星占い(占星術)の歴史


 西洋における占星術と天文学の歴史について、簡単に紹介します。

 なお、現代においては、占星術と天文学は、全く違う学問体系となっていますが、古代においては、両者を分けて論ずることは不可能ですので、途中までは同時に説明していきます。


《古代バビロニアの天文学・占星術》

 現代に通じる天文学や占星術は、メソポタミア地方(現代のイラク)の古代バビロニア文明が起源だと考えられています。

 最初にメソポタミアの歴史に登場したのはBC3000年以前のシュメール人で、星座の発明や、惑星の運行の観測を行い、天文暦を作っていたと考えられています。後に、カルデア人がこの技術を引継ぎ、楔型文字が刻まれた粘土板に、多くの天文記録が残されています。この時代の宇宙観では、地面は平面であり、天は半球と考えられています。この考えは、そのままヘブライへと受け継がれ、ユダヤ・キリスト教の宇宙観の基礎となっているようです。そして、カルデア人の知識の一部は、BC2000年頃より、地中海貿易に従事していたフェニキア人に伝えられ、その後、初期ギリシアにも伝えられたようです。なお、バビロニア天文学・占星術の確たる文献記録は、BC1600年以降のようであり、最初は天文現象の記録に始まり、国家や王侯に関する占いが発展し、次第に個人レベルに浸透していったようです。
 なお、当時の天文学は、「天変地異」の体系的記録とその解析が主なものであり、現代で言うところの占星術そのものと考えることもできます。


《古代エジプトの天文学・占星術》

 古代エジプトでは、独自に発展した天体観測が行われており、それに基づいた、本格的な太陽運行を基本とする天体暦が作られています。後に、シュメール時代の天文学の知識が加わり、独自の宇宙観を生み出していたようですが、残念ながら、古代エジプトの天文学資料は、他のエジプト文明の記録と同様に、その多くが失われており、ほとんどが神秘のヴェールに包まれたままです。


《古代ギリシアの天文学・占星術》

 古代ギリシアでは、現代に通じる多くの発見・研究・実験がなされており、多くの基礎科学が発達した時代です。天文学においても、古代エジプトや古代バビロニアの知識をベースにして、
 ・無限宇宙論/有限宇宙論
 ・数学の発達
 ・地球が丸いことの発見と、その大きさの測定
 ・天動説/地動説
 ・原子論/元素論
などの、現代天文学・宇宙論に通じる考えが、数多く出されています。そして、現代科学の基礎は、ほぼこの時代に確立されました。なお、ギリシア時代の後期には、ペルシアとの戦争や、マケドニアのアレクサンドロス(アレキサンダー大王)の東方遠征により、バビロニアの占星術(天文学)に関する知識が、かなり本格的に流入してくるようになります。ちなみに、ハウスの最初の概念が生まれたのも、この時代のようです。


《古代ローマの天文学・占星術》

 ローマでは、実用的なものが重視されたようで、実用的な暦が完成したのも、この時代です。占星術や天文学でも、今までの研究的なものから、実用的なものを重視するようになり、天文学や数学の知識をベースとした、いわゆる「星占い」が繁盛した時代でもあります。現代の占星術の基礎は、この時代に完成しました。
 紀元2世紀のプトレマイオスは、有名な天文学書「アルマゲスト」と、占星術書「テトラビブロス」を編纂し、後世の学術的研究のベースとなっています。


《中世暗黒時代の天文学・占星術》

 キリスト教が支配していた中世の科学暗黒時代には、全ての思想は、聖書の言葉を基準に評価され、それにそぐわないものは、徹底的に排除され、考えを改めない人間は、迫害されました。このため、天文学に限らず、科学の発展は、ほとんど停止してしまいました。ただし、占星術については、公式的には禁じられてはいましたが、かなり一般に普及していたようです。


《中世アラビアの天文学・占星術》

 ギリシア・ローマの科学は、中世ヨーロッパでは研究を禁じられましたが、それらはアラビアへ伝えられ、そこで実用面で発達することになりました。天文観測も数多く行われ、天文学者も多くいたようです。ギリシア・ローマの天文学の文献も、多くがアラビア語訳されています。ちなみに、プトレマイオスの天体書の「アルマゲスト」というのも、アラビア語訳のタイトル名であり、アラビアの宇宙観は、このプトレマイオスの提唱した、天動説に依存していたようです。なお、アラビアの天文学の知識は、現代天文学にも「星の固有名」として、受け継がれています。有名なものは、アルタイル(牽牛星)とか、オリオン座のベテルギウス、リゲル、おうし座のアルデバラン、さそり座のアンタレスなどがあります。


《ルネサンス時代の天文学・占星術》

 ルネサンス期に入ると、キリスト教会の支配が弱体化し、数多くの科学思想が復活してきました。埋もれていたギリシア文献や、アラビアに伝わったギリシア思想が、ラテン語等に翻訳され、ヨーロッパに広まりました。その中で、当時の宇宙観に影響を与えたものとしては、新プラトン主義や魔術で有名なエジプト源流のヘルメス主義の、「太陽崇拝」の思想です。この流れを汲む者として、天文学においても、コペルニクス、ケプラー、ガリレオなどが活躍します。そして、その後、ニュートンが登場することにより、それまでの概念的宇宙論が崩壊(天動説から地動説への転換)し、天文学が観測と実験、理論的考察を主とする「科学」になっていきます。
 一方、占星術は、錬金術やカバラなどの神秘思想を取り込み、科学とは別の思想体系を形作っていくようになります。アスペクト(座相)が使われるようになったのも、この時代からのようです。


《近世の占星術》

 占星術は、その後も天文学上の発見を取り入れ、変化していきます。その大きなものは、
 ・外惑星の発見(天王星-1781年、海王星-1846年、冥王星-1930年)
 ・小惑星の発見(セレス-1801年以降)
 ・冥王星の準惑星への降格(2006年)
ですが、これらの惑星を占星術に取り入れることにより、さらに占星術の解釈が複雑化しているとも言えます。


《現代の占星術》

 現代においては、占星術は世界的に何度かブームがあり、様々な占い方法も独自に開発されています。ただし、その占いの根拠というものが希薄化しているのは、確かでしょうね。
 現代の占星術には、色々と問題点もあります。そういう意味でも、占星術の原点に立ち返り、歴史を学ぶという姿勢は、大事にしたいと思っております。


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