ライダーウェイト・タロット解説

Preface
序文


 さあ、壮大なタロットの旅のはじまりです。
 グダグタと無駄に長い旅ではありますが、ヒマな人は最後までお付き合いください。(笑)

 まず最初に、簡単な歴史から。
 この本の著者のウェイト氏は、 1857年10月2日生まれの天秤座。カードイラストレータのスミス女史は、1878年9月16日生まれの乙女座。どちらも、当時最大級の魔術団体ゴールデン・ドーンの団員でした。
 もちろん、魔術師が本業というわけではなくて、ウェイト氏はオカルト関係の著作や翻訳が本職、スミス女史はイラストレータが本職で、つまり、その道のオタク、いやプロフェッショナルがコラボして作り上げたのが、このライダーウェイト・タロットというわけです。

 ライダーウェイト・タロットには、このタロットとセットになった「The Key to the Tarot」という付属解説本が1910年に出ていますが、この「The Pictorial Key to the Tarot」は、その付属解説本の増補版という位置付けで、1911年にイギリスのライダー社から発行されました。
 そして、この「Preface/序文」は、この「The Pictorial Key to the Tarot」で新たに付け加えられた章です。
 ちなみに、「The Key to the Tarot」は、現在でも「The Original Rider Waite Tarot Pack」としてカードとセットで販売されていますので、もし興味のある人がいれば、入手して読んでみてください。比較すると、色々な箇所が細かく書き加えられているのがわかります。

IT seems rather of necessity than predilection in the sense of apologia that I should put on record in the first place a plain statement of my personal position, as one who for many years of literary life has been, subject to his spiritual and other limitations, an exponent of the higher mystic schools.
私は最初の場所に、私の個人的な地位の率直な表明、すなわち、霊的なものや他の制限を題材とし、高位の神秘主義団体の解説者として、何年間も文学での生活をしてきた一人である、という経歴を記載しておくべきであるという弁明の意味は、好みというよりもむしろ必要に思える。

 とりあえず、この序文を書いたウェイト氏の立場についての「apologia/弁明」、要するに自己紹介みたいなものから始まっています。
 これは、経歴自慢というか自己宣伝に近い部分ですので、これ以降に、オカルト的文章を書く上での弁明、つまり色々と変なことを書くけど、オレはちゃんとしたオカルト研究者であり、その辺に転がっている安っぽいオカルト本とは質が違うんだぞ、ということを暗に言いたいのではないかと推察しておきます。
 この後も、自慢なのか弁解なのか、よくわからない文章がありますが、深層意識(自己意識)と文字表現(他者との関係)のギャップについて、色々と悩むところもあるのではないかと思います。
 味方も多いが敵も多い。ウェイト氏って、そういう人生だったんでしょうね。

It will be thought that I am acting strangely in concerning myself at this day with what appears at first sight and simply a well-known method of fortune-telling.
一見したところ、単純でよく知られている占いの方法という分野に、今日、私自身が関わっていることについて、奇妙に行動していると思われるだろう。

 ウェイト氏は、元々はオカルトや魔術系統の著述をメインとして活動しており、占い関係は、あまり表だった活動はしてなくて、翻訳とか他のペンネーム(グランド・オリエント名義)で、生活費稼ぎとして、ちまちまと著作活動をしています。
 ただし今では、この「The Pictorial Key to the Tarot」の本のおかげで、ウェイトという名前は魔術業界よりも占い業界の方で超有名になってしまっていますけどね。

 とりあえず、この本が出版された位置付けは、「ウェイト名義での、タロット占いの本」です。
 ただし、ウェイト名義の本だけあって、単なる占いの範疇からは、完全に逸脱していますけどね。(笑)

 それまでタロットに対する、一般人の認識は、カード賭博用カードとか、カード占い用といったところでした。
 その「単純で誰でも知っている子供の遊び」みたいなタロット占いに、神秘主義的な概念を持ち込んで大改革し、大々的に商業宣伝して大成功したのが、ウェイト氏の功績です。
 にもかかわらず、占いの世界では今でも、「単純で誰でも知っている遊び」みたいな占い方がメインですけどね。
 残念ながら、商業的には、「単純で誰でも知っている遊び」としてのタロット占いの方が成功しているということです。

Now, the opinions of Mr. Smith, even in the literary reviews, are of no importance unless they happen to agree with our own, but in order to sanctify this doctrine we must take care that our opinions, and the subjects out of which they arise, are concerned only with the highest.
さて、文芸批評においてさえ、スミス氏の意見は、彼らがたまたま私たち自身に同意するのでなければ、全く重要ではないが、この主義を神聖に正当化するために、我々は、私たちの意見、およびそれらが起こる対象は、最高位のものだけに関係することに注意しなければならない。

 この「Mr. Smith/スミス氏」とは一体何者なのか・・・。
 おそらく、何らかのレビュー雑誌の投稿者ではないかと推察されますが、残念ながら良くわかりません。
 固有名ではなく一般名詞的に解釈するならば、「Smith/鍛冶職人、金属加工職人」ということで、現実主義者とか堅物の人物というイメージになります。
 魔法関連ゲームでも、能力は、魔術、化学(薬とか)、物理(剣とか)とかに分類されますが、物理系職人であるスミス氏は、魔術系であるオカルトの対極にある存在なのでしょう。

 とりあえず、スミス氏の意見の詳細はわかりませんが、そういう物質世界オンリーの人の意見については、慎重に対処しなければならないということだと、勝手に推測しておきます。

Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith, whom I respect within the proper measures of detachment, but to some of more real consequence, seeing that their dedications are mine.
それにもかかわらず、現在の実例においては、私が、正しい分離の手段の範囲内で考慮に入れているスミス氏だけでなく、自己中心的に見える現実的な重要性を持つ人々にとっても、疑わしく思えるかもしれないというのは当然のことである。

 「the present instance/現在の実例」というのは、当時のタロット占いの現状を指していると思われます。
 スミス氏の意見は、かなり自己中心的で現実主義的で、意味の無い意見も多いようですが、その彼の意見の中には、「within the proper measures of detachment/正しい分離の手段の範囲内で考慮に入れている」という、正当で考慮してもいいような意見も混じっているという意味の文章ですね。

 実際のところ、オカルト(見えない世界の話)と現実主義(見える世界だけでの話)とは、なかなか相容れないものがあります。極端に走らず、バランスを取るということが、オカルトを語る上では大切なことなのです。

To these and to any I would say that after the most illuminated Frater Christian Rosy Cross had beheld the Chemical Marriage in the Secret Palace of Transmutation, his story breaks off abruptly, with an intimation that he expected next morning to be door-keeper.
あれやこれやで、私は、最も明るく照らされたクリスチャン・ローゼン・クロイツ兄弟が、「変質の秘密の宮殿」の中で「化学の結婚」を挙行した後、彼の物話が、翌朝には彼が門番になることを予期した暗示で突然に終わると、言えるであろう。

 また、何言ってるか、わかんないですよね。
 ここでネタになっているのは、『The Alchemical Wedding of Christian Rosycross/クリスチャン・ロージークロスの錬金術の結婚』という本です。
 これは『Chmische Hochzeit Christiani Rosenkreutz/クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』という、1616年にドイツ(当時は神聖ローマ帝国)のヨーハン・ヴァレンティン アンドレーエ(Johann Valentin Andreae)という人物が書いた、錬金術に関する本の英訳版です。
 この本は、伝説的(つまりネタ的な)秘密結社である薔薇十字団創設の3つあるネタ本の一つとして知られています。
 参考までに、そのネタ本を挙げておきます。
 ・『Fama Fraternitatis/友愛団の名声』 著者不明、1614年発行
 ・『Confessio Fraternitatis/信条告白』 著者不明、1615年発行
 ・『Chmische Hochzeit Christiani Rosenkreutz/クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』 1616年発行
 日本語訳には、慣例として英語とドイツ語とラテン語読みが入り混じっていますので、混乱しないでくださいね。(笑)

 この伝説の薔薇十字団の創設者である「Frater Christian Rosenkreutz/クリスチャン・ローゼンクロイツ兄弟」ですが、「Frater/兄弟」というのは魔術団体における敬称みたいなもので、兄弟2人いるということではなく、クリスチャン・ローゼンクロイツは1人です。
 そして、魔術や錬金術の世界においては、最上級に偉大な人物であるとされています。
 この薔薇十字団の思想は、後の魔術団体に大きな影響を与えており、ゴールデン・ドーンの知識体系や儀式にも取り入れられていますし、ウェイト氏も自分自身で「Fellowship of the Rosy Cross/薔薇十字友愛団」という魔術団体を作って活動しています。

 結局のところ、ウェイト氏がここで言いたいことは、どんなに優れた魔術師であっても、それは現世とは次元の違う存在であり、それを同列に論じることは間違っているということです。つまり、魔術界では最高の人物であっても、物理界では最底辺に住む人間である場合もあるということですね。

 まあ、ネトゲでは最高レベルのプレイヤーであっても、リアルでは無職の引きこもり生活をやっているのと同じようなものです。(笑)

After the same manner, it happens more often than might seem likely that those who have seen the King of Heaven through the most clearest veils of the sacraments are those who assume thereafter the humblest offices of all about the House of God.
同じ方法にならって、聖餐の最も穢れ無きベールを通して「天国の王」を見た者たちは、その後で、「神の家」の全ての中でも最も粗末な職務を引き受ける者であるという、ありそうに見えるかもしれないことよりも、よりしばしば起こっている。

 「sacraments/聖餐」というのは、キリスト教での儀式であり、神との合一を図るのが目的ですね。
 「King of Heaven/天国の王」というのは、神そのものを指します。
 「House of God/神の家」というのは、いわゆる「教会」ですね。

 ここでウェイト氏が言いたいのは、本当に偉大な人というのは、一般人からはつまらない人に見えるということが結構あるよ、ということのようです。
 というか、何かしら批判的な雰囲気の文章ですよね。ひょっとすると、世間から認められない自分の境遇のことを嘆いている気持ちがあるのかもしれません。

By such simple devices also are the Adepts and Great Masters in the secret orders distinguished from the cohort of Neophytes as servi servorum mysterii.
そのような簡単な策略で、秘密の位階にある「達人」や「偉大な首領」は、「神秘のしもべのしもべたち」として、「新参者」の集団から区別されるのか。

 「Neophyte/新参者」は、元々はキリスト教会や修道院の新参聖職者という意味です。魔術団体でも、同じように新参入団者の意味で使われています。

 「servi servorum mysterii/神秘のしもべのしもべたち」はラテン語ですが、これは「Servus Servorum Dei/神のしもべのしもべ」すなわちキリスト教の教皇の別名をもじったもので、神秘主義における最高権威者ということを意味していると思われます。

 「secret order/秘密の位階」というのは、魔術団を含む多くの神秘主義集団が、
 ・First Order=初心者(Neophyte)クラス=外陣=外部に公開できる知識を伝授される
 ・Second order=熟練者(Adept)クラス=内陣=外部に公開できない知識を伝授される
 ・Third order=指導者(Master)クラス=内陣の内陣
という分類を持っていますので、それを例に出しているのだと思われます。

 なお、この文章は疑問文の形式ですが、最後に?がありませんので、読者に対して「そんなに簡単には区別できない」ことを確認している文章です。

So also, or in a way which is not entirely unlike, we meet with the Tarot cards at the outermost gates--amidst the fritterings and de'bris of the so-called occult arts, about which no one in their senses has suffered the smallest deception; and yet these cards belong in themselves to another region, for they contain a very high symbolism, which is interpreted according to the Laws of Grace rather than by the pretexts and intuitions of that which passes for divination.
また同じように、もしくは完全には違っているというわけではないような方法で、私たちは、正気な者で最も小さい騙しを受けた者はいないところのあたりにある、いわゆるオカルト術の浪費の小片と残骸の中にあって、最も外側にある門のところでタロットカードに出会う。 それにもかかわらず、これらのカードはそれ自身が別の領域に属している。というのは、それらは非常に高い象徴を含んでおり、それ(その象徴)は、占いとして通っているものの口実と直観でというよりも、むしろ「恩寵の法」に従って、解釈される。

 ちょっとややこしい文章ですが、前半では、次のように言っています。
 ・タロットカードは、オカルトの辺境の地にある。
 ・オカルトの辺境の地は、オカルトの中でも、最もガラクタが散乱した、不毛の地である。
 ・そして、オカルトというもの自体が、正気な者には、全くわけわからないものであり、嘘や偽りに満ちあふれた、救いようのないものである。
 ・そのような最低の地位にいるタロットカードではあるが、今まで述べてきたように、実はこれこそが、最高のものであるという証拠である。
 ・そして、その生みの親である「占い」とは、全く違う次元の存在であり、実は真の神に繋がる鍵でもある。
 ・つまり、タロットカードというのは、オカルト界の「みにくいアヒルの子」的なロマンなのである。
 まさしくこれは、オカルト的な超絶裏技大逆転のクソミソ説得術ですよね。
 分別のあるマトモな人は、絶対にウェイト氏の弁舌にダマされてはいけませんよ。(笑)

 ここで、「Grace/恩寵」というのは「神の愛」を示す言葉であり、「Laws of Grace/恩寵の法」というのは、物理界である人間世界の律法ではなく、上位界である神の世界の律法で解釈しなければならないということです。

 結局のところ、ウェイト氏は、今までの占いというものはオカルト術という領域、すなわち人間界や物理界での論理や直観や欺瞞の領域であると断定し、その領域での解釈は、全面的に間違っているということを主張しているのです。
 遠回しの文章ではありますが、ずいぶんと思い切った主張をしているんですよね。

 でもまあ、これを「今までの常識を覆す、業界初の画期的な新機能です!」という宣伝文句と捉えるのであれば、今でもそういう欺瞞はどこにでもありますので、良い子の皆さんは、絶対にダマされないようにしましょう。(笑)

The fact that the wisdom of God is foolishness with men does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom; so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.
神の知恵は人にとっては馬鹿げたものであるという事実は、この世界の馬鹿げたものが神の知恵として理解されるという推定を生みださない。従って、普通の階級の学者も、権力の座にいる教育者も、この提案の有望さ、もしくは可能性でさえ理解することは早くはないだろう。

 神の知恵は、しょせん人間には容易には理解できないものであり、人間が理解できないものは全て「愚か」であり「馬鹿げたもの」という烙印を押されてしまい、真の神の姿として認識するのが遅れてしまいます。
 つまり、ここにおいて、「神の化身=愚者のカード」説が出てくるわけですよね。

The subject has been in the hands of cartomancists as part of the stock-in-trade of their industry; I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence; but on the historical and interpretative sides it has not fared better; it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.
主題は、カード占い師の手の中に、彼らの産業の商売道具の一部としてある。 私は、私自身の範囲の外には誰にも勧めようとは試みないが、それは大いに重要であり、全く重要でもない。しかし、歴史的で解釈的な面においては、それはより良いものには成っていない。それは、証拠を識別するための哲学的な洞察力や能力を持つ人々のために、全く蔑視されるに至った解説者の手にあった。

 要するに、カード占いは「金儲けのための物理界での仕事」として存在し、タロットカードも、今はそういう世界で存在しているが、ウェイト氏は、神秘主義世界におけるタロットについての話をしたいので、占い界のタロットとは別物として考えようということです。
 そして、従来のような、歴史の面からの考察、つまり捏造された歴史観を打ち立ててタロットの神秘性をデッチ上げたり、解釈の面からの考察、つまり数秘術や錬金術的な妙な操作を行って、色々な神秘的属性をデッチ上げてみたりといったことも、あまりやりたくは無いということですね。
 行き過ぎたデッチ上げにより、多くのタロット解釈者は、後で検証されて「ウソツキ」呼ばわりされているということですね。
 まあ、オカルトを語る上では、ある程度の古代の歴史や数秘術、占星術、錬金術、そして占いの要素というものは、切っても切れない関係にあるのですが、あまりに妄想が行き過ぎると、弊害が出るということです。

 いずれにしろ、従来手法による解釈では、タロットカードというものは、何の根拠もなく、研究対象にもならず、子供のおもちゃみたいなものとして、蔑まれる対象でしか無かったということです。
 でもまあ、それは今でも同じような状況ではありますけどね。

It is time that it should be rescued, and this I propose to undertake once and for all, that I may have done with the side issues which distract from the term.
それは救い出されるべき時である。そしてこれを私は今回限りできっちりと引き受け、それを私は項目の気を散らす副次的な論点を処理することができるということを提案する。

 色々な副次的な産物、つまりデッチ上げの歴史や、意味不明な解釈とか、そういうミソクソな現状を何とかして打破しようと、オカルトに詳しいウェイト氏が、ついに立ち上がったということですね。
 実は、タロットの世界は、ウェイト氏の殴り込みにより、さらにカオス化したわけですが…。

 ちなみに、このライダーウェイト版がカオスになった原因は、ウェイト氏の性格とか文章の難しさだとか、カードデザインが魔術と占術のキメラになっているとか、筆者と出版の意図が微妙にズレていたりとか、他の魔術団員と折り合いが悪かったとか、まあ色々とあるわけですが、最も大きな問題は、タロットカードを使う我々の側の能力にあるのは確かなんですよね。(他人のせいにしてはいけません!)
 まあそのおかげで、今日でもタロットの世界はカオスです。(笑)

As poetry is the most beautiful expression of the things that are of all most beautiful, so is symbolism the most catholic expression in concealment of things that are most profound in the Sanctuary and that have not been declared outside it with the same fulness by means of the spoken word.
詩がすべての最も美しいものの中で最も美しい表現であるように、象徴主義は、聖域における最も深遠で、話し言葉を用いて同様に充分には外部に公表されていないものを隠蔽する、最も普遍的な表現である。

 「poetry/詩」は、様々な美を語る上で、その美しさというものを凝集しエッセンスを集め、全く無駄のない形で言葉を組み立てていくという作業をします。つまり、自然界には存在しない、言葉で綴られた、人工的な脳内補完と脳内妄想による美学です。
 このため、文字萌えを理解できる人にとっては素晴らしいものですが、物理界しか見えない人には、意味の無い、単なる文字の羅列に見えてしまうでしょう。

 一方、「symbolism/象徴主義」は、「Sanctuary/聖域」にあるもの、つまり言葉によっては充分には表現できない世界のものを、「symbol/象徴」というもので表現するという作業をします。つまりこちらも、自然界には存在しない、象徴という記号で綴られた、人工的な脳内妄想による神秘学です。
 このため、神秘萌えを理解できる人にとっては素晴らしいものですが、物理界しか見えない人には、意味の無い、単なる絵の羅列に見えるでしょう。

 ちなみに、ウェイト氏もスミス女史も、詩作には興味があるようで、自ら作った詩の出版もしています。

The justification of the rule of silence is no part of my present concern, but I have put on record elsewhere, and quite recently, what it is possible to say on this subject.
沈黙の規則の正当化は、私の現在の関心の一部ではありませんし、私は、他の場所で、ごく最近、この主題に関して述べるのが可能であるということを公言した。

 「rule of silence/沈黙の規則」は、おそらくキリスト教の修道院の戒律が元ネタではないかと推測します。
 旧約聖書には、沈黙して神との対話を行う記述があり、修道院においては、神との対話を重んじるため、人との付き合いが制限され、孤独と沈黙の中で、神への信仰を深める生活をします。
 あと、魔術団体においては、「秘密を外部に漏らさない」という規約がありますので、それを指している可能性もあります。

 それと、「沈黙は金」という言葉もありますね。
 その物事について、よく知らないまま、妄想をデッチ上げてベラベラと話すということは、いいことではありません。
 もう一つ言うと、よく知らないことを隠すために、「知らない」とは明言せずに黙秘権を使って、もったいぶるという手もあります。

The little treatise which follows is divided into three parts, in the first of which I have dealt with the antiquities of the subject and a few things that arise from and connect therewith.
次に続いている小さな論文は、3つの部分に分割されており、その1番目では、私は主題の古代遺物と、そこから生じて、それと共に関連したいくつかのものを取り扱う。

 「little treatise/小さな論文」って、ウェイト氏にしては、割と謙遜した言い方ですが、この本はあくまでも「占いカードの手引き書」ですからね。
 もし機会があれば、もっと詳細な記述の本を書いていたのかもしれません。

It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing; it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France, as to the source and centre of all the phantasmagoria which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.
それ(タロット)は、トランプの歴史への貢献として提案されないことは理解されるべきである。 それ(トランプ)に関しては、私は何も知らず、関心も無いが。歴史的にタロットカードを考慮していると見せかけた、ここ50年の間ずっと表現に加わっている、奇妙な幻想の出所と中心についての、より特にフランスにおいては、ある神秘主義の学派により、専心されて取り組まれたことは、考慮すべきことである。

 タロットカードは、トランプカードの歴史的進歩には関与していない、つまり、タロットはトランプの親ではなく、タロットがトランプから派生した子であり、トランプの歴史にはほとんど絡まずに、独自に進化してきたという主張です。おそらく、先にトランプという形が完成して、その後に派生物としてタロットが作られたという感じですかね。

 なお、「phantasmagoria/奇妙な幻想」というのは、元々は幻灯というか走馬灯みたいな仕掛けで、様々に移ろいゆく影像を観客に見せるものでした。
 ここでは、そういう実体の無いものを指しているようです。
 ここ50年間のフランスの学派の主張というのは、おそらくはエリファス・レヴィ氏の「ヘブライ文字対応説」をベースとした流れであると思われますが、それについては根拠の無い幻であると、バッサリと切っています。
 当時のフランスでは、オカルト関係の団体が数多く設立されており、後に出てくるパピュス氏も、フランスで活発に活動していました。

 一方、イギリスで設立されたゴールデン・ドーンでは、タロットへのカバラ導入は積極的に行われましたし、このライダーウェイト版タロットにも、その思想は数多く取り入れられてはいますが、ウェイト氏は「ヘブライ文字対応説」を暗に否定しており、カードデザインについても、ヘブライ文字を明示するものは避けています。
 他のゴールデン・ドーン団員のデザインしたカード(トート、B.O.T.A.、ゴールデン・ドーンなど)には、大アルカナのカードの中にヘブライ文字が入っていて、カバラを積極的にカードデザインに取り入れていることが分かりますので、ウェイト氏のカードは、ちょっと他の団員とは毛色が違います。
 おそらくは、研究者として「根拠の無いデッチ上げのものを避ける」とか、デザイナーとして「パクリと言われるのはイヤ」とか「オリジナルじゃないとイヤ」とかいうものもありそうですが、魔術団における他の団員とは、オカルトに対する姿勢というか考え方に微妙な違いがあるのでしょうね。

In the second part, I have dealt with the symbolism according to some of its higher aspects, and this also serves to introduce the complete and rectified Tarot, which is available separately, in the form of coloured cards, the designs of which are added to the present text in black and white.
第2部において、私は、より高い面のいくつかに従って象徴体系を取り扱い、そして、これはまた、完璧で修正されたタロットを紹介する役割を果たす。それ(新しいタロット)は、(この本とは)別に、彩色されたカードの形で入手できる。その図案は、白黒で、現在の本文に追加されている。

 第2部は、大アルカナの解説となっており、そこには全く新しくデザインされたカードの白黒のデザイン絵も掲載されています。
 ちなみに、このデザイン絵は、最初の「The Key to the Tarot」にはありませんでした。

 なお、この記述によると、「The Key to the Tarot」は、タロットカードの付属解説本でしたが、「The Pictorial Key to the Tarot」は単行本形式で、カードは別売りとなっているようですね。

They have been prepared under my supervision--in respect of the attributions and meanings--by a lady who has high claims as an artist.
それら(新しいタロットの図案)は、帰属性と意味に関しては私の監督下において、芸術家として高い資格を持つ婦人により作成された。

 「claims/資格」は、誰もが認めた資質というよりも、今はまだ無名に近いけれども、もっと能力を認めてあげるべきであるという「claims/主張」に近い意味のものです。「lady/婦人」という呼び名も、尊敬の対象としての意味があります。
 当時のスミス女史は、知る人ぞ知るといった感じで、商業的にはあまり成功してはいませんでしたので、その隠れた才能を高く評価したウェイト氏は、ここでスミス女史を宣伝しているということですよね。
 ただ、ウェイト氏自体がオカルト分野という特殊領域の人でしたので、確かにその分野では割と有名人になることはできましたが、一般向けにはさほど知名度は上がらなかったみたいで、やっぱり貧乏なままだったようです。

Regarding the divinatory part, by which my thesis is terminated, I consider it personally as a fact in the history of the Tarot--as such, I have drawn, from all published sources, a harmony of the meanings which have been attached to the various cards, and I have given prominence to one method of working that has not been published previously; having the merit of simplicity, while it is also of universal application, it may be held to replace the cumbrous and involved systems of the larger hand-books.
私の論文が終わる付近にある占いの部に関しては、私は、個人的には、それをタロットの歴史上の事実として考えており、それ自体は、私はすべての発行された出典から、様々なカードに付加されている意味の調和を引き出している。そして、以前には出版されていない、卓越した1つの(占い)作業方法を発表した。単純さの長所を持ちながらも、それはまた普遍的な適用性があるので、それはより大きな手引書の、面倒で複雑な方法に取り代わる置き換えるために維持されるかもしれない。

 この本の最終の第3部は、占いについて記述されています。
 そこで紹介されているカードの意味や使い方については、「a fact in the history/歴史上の事実」、つまり過去のタロットカードに関する資料を元にして編集されたものであり、個人的なデッチ上げではないということを明言しています。
 裏を返せば、ここは他人任せで、「ここの記述に間違いがあっても、オレの責任じゃないよ」と言い逃れしているわけでもあり、ウェイト氏は、占いそのものには、あまり興味がなかったということでもありますね。

 この文章の後半に述べられている「占い方法」とは、PartV§7で紹介されている「ケルティック・クロス・スプレッド」であり、ウェイト氏は、この占い方法には、かなりの自信があるようで、ここでも紹介しています。
 この占い方法は、今でも人気のある基本的な占い方法の一つになっていますよね。


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