ライダーウェイト・タロット解説

§4 THE TAROT IN HISTORY
歴史の中のタロット


 本編のPartUに入る前に、ウェイト氏は言っておきたいことがあるようです。
 それは、タロットの歴史に関する伝説についての話です。

Our immediate next concern is to speak of the cards in their history, so that the speculations and reveries which have been perpetuated and multiplied in the schools of occult research may be disposed of once and for all, as intimated in the preface hereto.
我々の当面の次の関心事は、本書の序文で公言しているように、オカルト研究の学界において永続させられ増殖している憶測と幻想は、これを最後に処分されることができるように、カードの歴史について語ることである。

 誰でも、自分の興味のあるものについて、その素性とか出生の秘密を知りたいと思います。
 そして、それが捏造された可能性があるのであれば、はっきりとさせておいた方がいいですよね。
 当時のタロットの歴史観は、一部のオカルト研究家の妄想のためにゴチャゴチャになっていましたので、ウェイト氏は、それらの妄言をバッサリと切り捨て、真実の歴史を読者に知らせるという目的で、この章を書くということです。

 オカルトの世界は、昔からインチキやデッチ上げや勘違いが横行する世界ですし、今でもそうです。
 ウェイト氏のような研究家タイプの人って、オカルトの世界では珍しいと思いますし、だからこそ、どうしても周囲とは軋轢を生みやすいんですよね。

Let it be understood at the beginning of this point that there are several sets or sequences of ancient cards which are only in part of our concern.
この論点を始めるにあたり、我々に関係する(カードの)一部でしかない、いくつかのカードのセットあるいは系列があるということを、理解してもらいたい。

 ちょっとわかりにくい文章ですが、当時でも、原始的タロットに関係する資料は少なく、その全容を知ることは困難であると言っているようです。
 あと、今のタロットカードの体系とは異なるものも初期には色々とあったようで、タロットの元祖となる親や、タロットとはちょっと異なる兄弟などもあります。

The Tarot of the Bohemians, by Papus, which I have recently carried through the press, revising the imperfect rendering, has some useful information in this connexion, and, except for the omission of dates and other evidences of the archaeological sense, it will serve the purpose of the general reader.
私が最近、不完全な翻訳を改訂して出版した、パピュス氏の「ボヘミアンのタロット」には、この関連におけるいくつかの有益な情報を含んでいる。そして、年代と考古学的な観念に関する他の証拠の欠落を除けば、それは一般的な読者の目的に役立つであろう。

 『The Tarot of the Bohemians/ボヘミアンのタロット』は、パピュス氏が1889年にフランス語で発行したタロットの解説本です。その英訳本(訳者はA. P. Morton)の第2版が1910年頃にライダー社から発行され、その改訂作業にウェイト氏が関わっているので、その宣伝も兼ねています。(笑)

 この『ボヘミアンのタロット』の第9章に、タロットの歴史について簡単に触れてあります。
 それなりにまとまっていますので、興味のある人は読んでみてください。

I do not propose to extend it in the present place in any manner that can be called considerable, but certain additions are desirable and so also is a distinct mode of presentation.
私は、現在の立場で、考慮すべきと考えられることができるいかなる方法も、それ(ボヘミアンのタロットに書かれたタロットの歴史観)を拡張するよう提案しない。しかし、確実なる付加は望ましく、それはまた、提示の異なった方法である。

 歴史観については、ちょっと前に、『ボヘミアンのタロット』に色々と書かれているので、付け足すことはあんまり無さそうだけど、やっぱり何かしらの歴史ネタを書いておくよ、と言いたいわけです。

 ちなみに、以降に出てくる「マンティーニャ」「ミンキアーテ」「ベニス」「ボローニャ」については、『ボヘミアンのタロット』の中でも解説されていますが、ウェイト氏はパピュス氏とはかなり違った見方をしています。

 結局のところ、ウェイト氏はパピュス氏の歴史観については、受け入れていないということなんですよね。(笑)

Among ancient cards which are mentioned in connexion with the Tarot, there are firstly those of Baldini, which are the celebrated set attributed by tradition to Andrea Mantegna, though this view is now generally rejected.
タロットに関係すると言及される古代のカードの間では、まず第一に、バルディーニのそれらがある。それは伝説によりアンドレア・マンティーニャ氏の作品とされた有名なセットである。とはいえ、この見解は現在では大体において却下されているのだが。

 アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431-1506)は、イタリアのルネサンス期の著名な画家です。
 当時は既に、バルディーニのカードは、イタリアの彫刻家であるバルディーニ氏(Baccio Baldini, 1436- 1487)の作でもなく、アンドレア・マンテーニャ氏の作でもないということが判明していましたが、それでもその絵の内容については、色々と興味深いものがあります。
 ただし、ウェイト氏が最初に言及するネタは、いつも否定的なものというのが、いつものパターンですけどね。

Their date is supposed to be about 1470, and it is thought that there are not more than four collections extant in Europe.
それらの年代は1470年頃であると推定されており、ヨーロッパに残存している所蔵品は、多くても4つしかないと考えられている。

 オリジナルの版画は、1470年頃に作られ、現在残っていることが確認されているのは4つということです。
 ちなみに、現存する最古のタロットであるヴィスコンティ・スフォルツァ版は、1460年ぐらいの作品だと言われています。
 結論から言うと、バルディーニのカードよりも、タロットの方が古い可能性が高いということになります。

A copy or reproduction referred to 1485 is perhaps equally rare.
1485年に属するとされる複写もしくは復刻は、おそらく同様に珍しい。

 バルディーニのカードは、銅板による凹版画です。
 オリジナルの版画は、超レアカード(希少品)だけど、後の時代に出版された復刻品も、同じくらいレアカードだということですよね。
 発売当時でも、ほとんど普及していないものでしたし、後の時代になって、タロットに関連付けられて、こんなに注目されるようになるとは、当時は全く知るよしも無かったということでしょう。
 なお、オリジナル品は"E-Series"、1485年の復刻品は"S-Series"と呼ばれており、両者の図案には明らかに違いがありますので、単なるコピー品ではないです。

A complete set contains fifty numbers, divided into five denaries or sequences of ten cards each.
完全なセットは、5つの10枚組、もしくはそれぞれ10枚のカードの系列に分かれた、50の数を持つ。

 要するに、10枚が一つの組となったものが5組あって、全部で50枚のカードになるということですね。
 どういうふうに使われたのかは分かりませんが、各カードのタイトルの左欄に、1-10には"E"、11-20には"D"、21-30には"C"、31-40には"B"、41-50には"A"という組が割り当てられていますので、タロットの大アルカナが無く、小アルカナのスートが5種類あるような感じですかね。

There seems to be no record that they were used for the purposes of a game, whether of chance or skill; they could scarcely have lent themselves to divination or any form of fortune-telling; while it would be more than idle to impute a profound symbolical meaning to their obvious emblematic designs.
それらは、運であろうと腕前であろうと、ゲームの目的のために使用されたという記録は無いと思われる。それらは予言や占いのどんな形式にも、それ自身を役立てることがほとんど出来なかった。それらの明白で表象的な図案に、深遠で象徴的な意味を帰属させることが、十分には機能していないのであろうが。

 「game of chance/運のゲーム」というのは、サイコロやルーレットのような、偶然だけに頼るゲームです。
 「game of skill/腕前のゲーム」というのは、将棋やチェス、囲碁などの、対戦者の腕前も重要になるゲームです。
 どちらの記録も無いというのは、賭博用や娯楽用のカードとしての人気は出なかったし、占いに使用された記録もほとんど無いということなので、あまり売れなかった失敗作ということになりますね。

 「symbolical /象徴的な」は、記号的で抽象的な象徴表現で、「emblematic/表象的な」は、絵画的で具体的な象徴表現です。
 つまり、明白すぎてそのものズバリの図案というのは、象徴主義的な妄想には使いにくいので、占い用としては使いにくかったということではないかとの推察です。
 現在でも、ゲーム用やコレクション用としては写実的なカードはポピュラーですが、占い用は、もっと絵画的で抽象的なものが多く用いられています。 

 参考として画像を貼っておきます。

バルディーニのカードの画像(50枚)

The first denary embodies Conditions of Life, as follows: (i) The Beggar, (2) the Knave, (3) the Artisan, (4) the Merchant, (5) the Noble, (6) the Knight, (7) the Doge, (8) the King, (9) the Emperor, (10) the Pope.
最初の10枚組は、人生の状態を具現化しており、以下の通りである。(1)乞食、(2)下男、(3)職人、(4)商人、(5)貴族、(6)騎士、(7)総督、(8)王、(9)皇帝、(10)法王。

 いくつか大アルカナに相当するタイトル(乞食、皇帝、法王)が見られますが、これらは大アルカナの上位界ではなくて小アルカナの物理界に属するものだと思われます。

The second contains the Muses and their Divine Leader: (11) Calliope, (12) Urania, (13) Terpsichore, (14) Erato, (15) Polyhymnia, (16) Thalia, (17) Melpomene, (18) Euterpe, (19) Clio, (20) Apollo.
2番目は、ミューズの神々と彼らを統率する神を含む。(11)カリオペ、(12)ウラニア 、(13)テルプシコラ、(14)エラト、(15)ポリヒムニア、(16)タレイア、(17)メルポメネー、(18)エウテルペ、(19)クレイオ、(20)アポロ。

 「Muses/ミューズの神々」は、ギリシャ神話で文芸を司る9人の女神であり、彼女たちの指導者は男神アポロです。
 カリオペは叙事詩、ウラニアは天文学、テルプシコレは合唱歌舞、エラトは恋愛詩、ポリュヒュムニアは賛歌、タレイアは喜劇、メルポメネは悲劇、エウテルペは抒情詩、クレイオは歴史、アポロは音楽・医術・託宣を司るとされています。

The third combines part of the Liberal Arts and Sciences with other departments of human learning, as follows: (21) Grammar, (22) Logic, (23) Rhetoric, (24) Geometry, (25) Arithmetic, (26) Music, (27) Poetry,(28) Philosophy, (29) Astrology, (30) Theology.
3番目は、教養科目と人文学の他の分野の専門科目の部分を併有しており、以下の通りである。(21)文法、(22)論理、(23)修辞学、(24)幾何学、(25)算術、(26)音楽、(27)詩、(28)哲学、(29)占星学、(30)神学。

 「Liberal Arts/教養科目」というのは、中世における一般教養科目であり、語学系が3科目(文法学、論理学、修辞学)、数学系が4科目(幾何学、算術、占星学、音楽)から成ります。
 なお、「Science/専門科目」は、現代の科学とは異なり、中世における専門的知識を必要とする学問のことを指し、ここでは詩、哲学、神学がそれに相当します。

The fourth denary completes the Liberal Arts and enumerates the Virtues: (31) Astronomy, (32) Chronology, (33) Cosmology, (34) Temperance, (35) Prudence, (36) Strength, (37) Justice; (38) Charity, (39) Hope, (40) Faith.
4番目の10枚組は、教養科目の完成と、徳の列挙である。(31)天文学、(32)年代学、(33)宇宙論、(34)節制、(35)思慮分別、(36)力、(37)正義。そして(38)愛、(39)希望、(40)信仰。

 「Temperance, Prudence, Strength, Justice/節制、思慮分別、力、正義」は、今まで出てきたものと同じ基本的な徳です。
 「Charity, Hope, Faith/愛、希望、信仰」は、キリスト教的な徳であり、『新約聖書:コリント人への手紙1』13:13に出てきます。
 「And now abideth faith, hope, charity, these three; but the greatest of these is charity.(King James Version)/こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(新改訳)」

The fifth and last denary presents the System of the Heavens: (41) Moon, (42) Mercury, (43) Venus, (44) Sun, (45) Mars, (46) Jupiter, (47) Saturn, (48) A Eighth Sphere, (49) Primum Mobile, (50) First Cause.
5番目で最後の10枚組は、天の体系を提示している。(41)月、(42) 水星、(43)金星、 (44)太陽、 (45)火星、(46)木星、(47)土星、(48)第8天、(49)原動力、(50)第一原因。

 古代の天文学は、宇宙は10の天界から成っていて、それぞれに天体が配属されていると考えていました。


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中世の宇宙観
Cosmographia/宇宙誌」(ペトルス・アピアヌス著、1539年発行)より

We must set aside the fantastic attempts to extract complete Tarot sequences out of these denaries; we must forbear from saying, for example, that the Conditions of Life correspond to the Trumps Major, the Muses to Pentacles, the Arts and Sciences to Cups, the Virtues, etc., to Sceptres, and the conditions of life to Swords.
私たちはこれらの10枚組から完全なタロットの系列を抽出する空想的な試みをわきに置かなければならない。例えば、(神的)生命の状態は大アルカナに、ミューズ神は五芒貨に、教養科目と専門科目は杯に、徳などは笏(しゃく)に、および(人間の)人生の状態は剣に対応するなどと言うことを、慎まなければならない。

 「Sceptres/笏(しゃく)」というのは、王の持つ杖のことです。
 「Conditions of Life/(神的)生命の状態」というのは、宇宙原理のことを示しています。
 『ボヘミアンのタロット』に、この対応に近い記述がありますので、そういうのを否定しているということことです。

This kind of thing can be done by a process of mental contortion, but it has no place in reality.
観念的な曲解の過程でこの種の事をやろうとすれば出来るが、しかしそれは、実は、あるべき場所は無い。

 脳内妄想により、色々と概念をねじ曲げることで、対応をデッチ上げることは可能ではあるけれども、そんなことをしたところで何の意味も無いよ、と言いたいわけです。
 残念ながら、バルディーニのカードは、タロットとは存在する次元が違うので、月とスッポンを対比するように、実際には対応する場所は見あたらないということです。

At the same time, it is hardly possible that individual cards should not exhibit certain, and even striking, analogies.
その一方で、個々のカードが、確実に、そして実に顕著な類似を示すはずがないのは、ほとんど可能ではない。

 二重否定の文なのでややこしいですが、「それにしても、両者の間には、似たデザインのカードは実に多いよね」と言うことです。
 直前の文で、「両者は似て非なるもの」と断言しているので、ここは婉曲的な表現にしたかったということですかね。

The Baldini King, Knight and Knave suggest the corresponding court cards of the Minor Arcana.
バルディーニの(カードの)王、騎士、および下男は、小アルカナの宮廷カードに相当することを示唆している。

 バルディーニの「2:Knave/下男」は、タロットの「Page/騎士見習」に相当します。
 ただし、タロットの「Queen/女王」に相当するカードは、バルディーニには見あたりません。

The Emperor, Pope, Temperance, Strength, justice, Moon and Sun are common to the Mantegna and Trumps Major of any Tarot pack.
皇帝、法王、節制、力、正義、月、および太陽は、マンティーニャ(のカード)と、どんなタロットのデッキにとっても、共通にある。

 「Mantegna/マンティーニャ」というのは、今まで出てきた「Baldini/バルディーニ」のカードの別名であり、同一のものです。
 同じデッキなのに、歴史的考察の混乱のため、違う名前で呼ばれることがあるという例です。
 ライダーウェイト版も、ライダー版とかウェイト版とか、ウェイト・スミス版とか、色々な呼び方がありますしね。

Predisposition has also connected the Beggar and Fool, Venus and the Star, Mars and the Chariot, Saturn and the Hermit, even Jupiter, or alternatively the First Cause, with the Tarot card of the World.[1]
傾向はまた、乞食と愚者、金星と星、火星と戦車、土星と隠者、木星あるいは第一原因でさえ世界のタロットカードに関連させている。[1]を参照。

 まあ、両者の間で、図柄的に似ているカードは多いですよね。
 図案だけを見るのであれば、両者の間には、何らかの関連があると考えてもおかしくは無いと思います。

[1. The beggar is practically naked, and the analogy is constituted by the presence of two dogs, one of which seems to be flying at his legs.
[1. 乞食は裸も同然であり、類推は2匹の犬の存在によって構成される。その1匹は彼の足に飛びかかっているように見える。

 ここからは、[1]の補足説明の箇所です。
 この図からは、確かに両者は似ていますよね。


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バルディーニの「1:乞食」
 
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タロットの「0:愚者」
The Mars card depicts a sword-bearing warrior in a canopied chariot, to which, however, no horses are attached.
火星のカードは、天蓋付きの戦車の中の剣を持つ戦士を描いている。けれども、それ(戦車)には馬が付加されていない。

 火星は、戦いの神の象徴ですので、戦車に乗っているのは当然なのですが、戦車なのに馬が描かれていないのは、ウェイト氏にとっては不満なようです。(笑)


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バルディーニの「45:火星」
 
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タロットの「7:戦車」
Of course, if the Baldini cards belong to the close of the fifteenth century, there is no question at issue, as the Tarot was known in Europe long before that period.]
もちろん、もしバルディーニのカードが15世紀の終わりに属しているのであれば、タロットはその時代のずっと前にヨーロッパで知られていたので、論争中の問題は全く無い。

 タロットが先に作られていて、バルディーニのカードはそれを参考にして作られたということであれば、両者が似ていても何の不思議も無いということですよね。
 ちなみに、現代においても、タロットが先に存在していて、バルディーニのカードは後で作られたという説が有力です。
 とりあえず、ここまでが[1]の補足説明です。

But the most salient features of the Trumps Major are wanting in the Mantegna set, and I do not believe that the ordered sequence in the latter case gave birth, as it has been suggested, to the others.
しかし、大アルカナの最も顕著な特徴が、マンティーニャのセットには不足している。そして私は、他者に示唆されていたような、その後の(タロットと同じ)状態の順序付けられた系列が生み出されたということを信じていない。

 つまり、バルディーニ(マンティーニャ)のカードは、タロットの原形ではなく、またタロットからの派生品でもなく、絵柄は似ているけれども、全く別の体系のカードの発明品だということですかね。
 当時の15世紀の西洋では、印刷技術が発達してきて、本やカードなどの出版物が量産できるようになってきた時代です。
 この時代に、様々なカードメーカーが様々なシステムのカードゲームを発行し始めたということなのでしょう。

Romain Merlin maintained this view, and positively assigned the Baldini cards to the end of the fourteenth century.
ロマン・マーリン氏は、この見解を支持しており、バルディーニのカードを14世紀末に積極的に割り当てた。

 ロマン・マーリン氏(1793 - 1876)は、フランスの書誌家で、『Origine des cartes a` jouer/カード遊技の起源』(1869年発行)という本を書いています。古代のカードの絵がたくさん掲載されていますので、タロット愛好家には面白い本だと思います。
 フランス語で書かれていてますので、中身は読めませんが(--;;…、文章から推定するに、マーリン氏はバルディーニのカードはタロットの元祖であると決めつけて、タロットより古い年代にバルディーニのカードが制作されたと主張したのでしょうかね。

 ただし、14世紀末の作だとすると、その当時はカードを量産する印刷技術はまだありませんので、考古学的な検証でアウトとなりますけどね。

If it be agreed that, except accidentally and sporadically, the Baldini emblematic or allegorical pictures have only a shadowy and occasional connexion with Tarot cards, and, whatever their most probable date, that they can have supplied no originating motive, it follows that we are still seeking not only an origin in place and time for the symbols with which we are concerned, but a specific case of their manifestation on the continent of Europe to serve as a point of departure, whether backward or forward.
偶発的および散発的なことを除いて、もしもバルディーニの表象的もしくは寓意的な絵は、タロットカードと実体のない偶然の関係しかなく、それらの最も可能性の高い年代が何であれ、(タロットの)起源となる題材を全く提供していないということについて同意されるのであれば、我々は今でも、我々が関心のある象徴(タロット)の場所と時間の起源だけではなく、前方であれ後方であれ、出発の論点として役立つヨーロッパ大陸でのそれらの顕現の具体的な事例を探求しているということになる。

 要するに、従来の「バルディーニのカード=タロットの元祖説」を完全に否定し、そんな俗世間の噂話について、これ以上あれこれ語るのは無駄だということですね。

 そして、タロットの元祖は、まだよく解明できてはいないけれども、次からきちんとした歴史的な証拠を挙げていこうということです。
 さて、ウェイト氏らしい皮肉まじりの前置きでしたけど、ここから後が本編になります。(笑)

Now it is well known that in the year 1393 the painter Charles Gringonneur--who for no reason that I can trace has been termed an occultist and kabalist by one indifferent English writer--designed and illuminated some kind of cards for the diversion of Charles VI of France when he was in mental ill-health, and the question arises whether anything can be ascertained of their nature.
さて、…1人の平凡なイギリス人作家によりオカルティストでありカバリストと呼ばれている…その(そう呼ばれている)理由については、私は探すことは出来ないのだが…画家のチャールズ・グランゴヌール氏が、1393年にフランスのシャルル6世が精神的な病気に彼がいたときの気分転換のため、ある種のカードの図案を作り彩飾したのが、よく知られている。そして、それらの本質(実物)について何であろうと確認できるかどうかという質問が生じる。

 「Charles VI /シャルル6世」(1368-1422)は、1380年から1422年までフランスの王位にありましたが、遺伝的な精神疾患があり、1392年頃から精神状態が悪化したようで、その治療というか気分転換のためにタロットが作られたという話です。
 王室の確かな記録によると、デッキは56枚から成り、3組のデッキが作成されたようです。
 タロットは78枚が基本ですので、かなり少ない枚数となっています。

 で、ここで問題となるのは、そのカードの現物がまだ残っていて、私たちがその現物を見てどんなものかを確認できるかどうか、ということですよね。

 ちなみに、「Charles Gringonneur/チャールズ・グランゴヌール氏」の名前はおそらく勘違いで、現在では「Jacquemin Gringonneur/ジャクマン・グランゴヌール氏」という説が有力のようです。

 ちなみに、「indifferent English writer/平凡なイギリス人作家」というのは、おそらくマクレガー・マサース氏のことを婉曲的に指していて、マサース氏は1888年発行の『タロット』の中で、グランゴヌール氏を「Astrologer and Qabalist/占星術師でカバリスト」と説明しています。
 まあ、こんなことをするから、ウェイト氏って、ゴールデン・ドーンの魔術仲間からは、あまりウケは良くないんですけどね。

The only available answer is that at Paris, in the Bibliotheque du Roi, there are seventeen cards drawn and illuminated on paper.
唯一の利用できる答えは、パリの王立図書館にあり、紙に描かれ彩飾されている17枚のカードがある。

 直前の「question/問題」に対する「answer/答え」の文です。
 王室の文献に残されているだけでなく、パリの王立図書館にはいくつかの現物が残されているということですね。
 この王立図書館は1367年にシャルル5世によって創立され、現在ではフランス国立図書館となっています。

They are very beautiful, antique and priceless; the figures have a background of gold, and are framed in a silver border; but they are accompanied by no inscription and no number.
それらは、非常に美しく、骨董品で、金では買えない貴重なものである。 図は、金の背景を持ち、銀の飾り縁で縁取られている。しかし、それらは題字も数字も伴っていない。

 「border/飾り縁(ふち)」は、絵の額縁みたいなものです。
 カードの図には、文字や数字は一切無く、完全に絵だけという状態ということですね。

It is certain, however, that they include Tarot Trumps Major, the list of which is as follows: Fool, Emperor, Pope, Lovers, Wheel of Fortune, Temperance, Fortitude, justice, Moon, Sun, Chariot, Hermit, Hanged Man, Death, Tower and Last judgment.
しかしながら、それらは、タロットの大アルカナを含んでいるのは確実であり、それらのリストは以下の通りである。愚者、皇帝、法王、恋人たち、運命の輪、 節制、力、正義、月、太陽、戦車、隠者、吊られた男、死、塔、そして最後の審判。

 このリストにある「Wheel of Fortune/運命の輪」は、おそらく勘違いであり、実際には「世界」のカードのようです。
 あと、パリの王立図書館にある17枚は、これらの16枚の大アルカナの他に、1枚の小アルカナの「剣の騎士見習」が含まれています。
 とりあえず、画像を貼っておきます。

パリの王立図書館のシャルル6世のカードの画像(17枚)

There are also four Tarot Cards at the Musee Carrer, Venice, and five others elsewhere, making nine in all.
また、4枚のタロットカードがベニスのコレール博物館に、そして5枚が他の場所にあり、全部で9枚となる。

 「Musee Carrer/コレール博物館」というのは、おそらくは現在のベニスにある「Museo Civico Correr/コレール市立博物館」ではないかと思われます。
 こちらのカードの画像は、残念ながら確認できていません。

 とりあえず、先ほどの17枚と9枚、計25枚のカードが、当時は現存していた可能性があるということになりますね。

They include two pages or Knaves, three Kings and two Queens, thus illustrating the Minor Arcana.
それらは2枚の騎士見習もしくは下男、3枚の王、そして2枚の女王を含んでおり、従って、小アルカナの例証である。

 パリの王立図書館にも、小アルカナの騎士見習のカードが一枚あります。
 そして、それ以外の場所にも、7枚の小アルカナが残っていたということですね。

These collections have all been identified with the set produced by Gringonneur, but the ascription was disputed so far back as the year 1848, and it is not apparently put forward at the present day, even by those who are anxious to make evident the antiquity of the Tarot.
これらの収蔵品は、グランゴヌール氏により作られたセットとすべて同一視されていたが、1848年以来、帰属は異議を唱えられている。そして、タロットの古さを明白にすることを切望している人々によってでさえも、それは一見したところ今日では前面には出されていない。

 「These collections/これらの収蔵品」とといいうのは、王立図書館に収蔵されている17枚と、他の場所にある9枚のカードのことを指します。
 「set produced by Gringonneur/グランゴヌール氏により作られたセット」というのは、1393年にシャルル6世のために作られて納入されたカードのことです。
 つまり、グランゴヌール氏により作られたシャルル6世のカードは実は現存しておらず、王立図書館などにあるカードは、もっと後の時代の作であるということが判明したということです。

It is held that they are all of Italian and some at least certainly of Venetian origin.
それらは全てがイタリア、そして少なくともいくつかは間違いなくベニスが起源であると考えられている。

 とりあえず、フランスの王立図書館にあるカードも含めて、「グランゴヌール氏により作られたタロットカード」というものは、フランスではなくイタリア北部で作られていたことが確実であるということですね。

We have in this manner our requisite point of departure in respect of place at least.
我々は、このように、少なくとも場所については出発において必要な論点を持っている。

 今のところ、タロット発祥の地ということでは、イタリア北部あたりが有力であるということですね。
 ちなみに、現存する最古のタロットであるヴィスコンティ・スフォルツァ版は、イタリアのミラノあたりで、1460年ぐらいに作られたと考えられています。

It has further been stated with authority that Venetian Tarots are the old and true form, which is the parent of all others; but I infer that complete sets of the Major and Minor Arcana belong to much later periods.
ベニスのタロットは古くて正しい形式であり、その他全ての親であると、権威をもってさらに述べられている。しかし、私は、大アルカナと小アルカナの完全なセットは、かなり後の時代に属していると推定している。

 「Venetian Tarot/ベニスのタロット」についての記述は、パピュス氏の『ボヘミアンのタロット』にもありますが、その元ネタはロマン・マーリン氏の『カード遊技の起源』(1869年発行)にあるようです。
 フランス語の本で読めませんので、これがどんなカードであるのかは、わかりません。(汗…)

The pack is thought to have consisted of seventy-eight cards.
デッキは78枚のカードから成っていたと考えられている。

 ここで言うところのベニスのタロットというものはおそらくは現存せず、資料だけの証拠ではあるけれども、現在のデッキと同じ構成であったということのようです。

 ちなみに、この本書では言及されていませんが、現存する大アルカナと小アルカナの78枚の完全なセットは、ソラ・ブスカ(Sola Busca)のタロットというものが知られています。
 色々と興味深いタロットですし、ライダーウェイト版にも関係するカードですので、参考までに画像を貼っておきます。

ソラ・ブスカのタロットカードの画像(78枚)

Notwithstanding, however, the preference shewn towards the Venetian Tarot, it is acknowledged that some portions of a Minchiate or Florentine set must be allocated to the period between 1413 and 1418.
それにもかかわらず、とはいえ、優先権はベニスのタロットの方を示しており、フィレンツェのミンキアーテのセットのいくつかの部分は、1413年と1418年の間の期間に割り当てなければならないことが認知されている。

 「Minchiate or Florentine」というのは、「Minchiate of Florentine」の誤記ではないかと思われます。
 「Minchiate of Florentine/フィレンツェのミンキアーテ」というのは、タロットに似た昔のカードゲームです。
 「Minchiate/ミンキアーテ」というのは、語源は不明ですが、おそらくは「愚者のカード」という意味ではないかと考えられています。
 「Florentine/フィレンツェ」というのは、イタリア中部の都市であり、タロット発祥の地と言われるイタリア北部に近い位置にあります。
 つまり、「フィレンツェ地方の愚者のカードゲーム」という感じですかね。

 でもまあ、ベニスのタロットは、もっと早い時期に作られていたということのようです。
 なんか、きちんとした証拠が見あたらないので、何とも言えないですけどね。

These were once in the possession of Countess Gonzaga, at Milan.
これらは、かつてはミラノのカウンテス・ゴンザーガ氏の所有物の中にあった。

 ミラノは、イタリア北部の都市であり、ヴィスコンティ・スフォルツァ版を描かせたフランチェスコ・スフォルツァ(Francesco Sforza,1401-1466)は、ミラノ公でしたので、ミラノもタロット発祥の候補地の一つです。
 いずれにしても、ベニスのタロットと呼ばれたものは、現在は誰が所有しているのか分からないようです。

A complete Minchiate pack contained ninety-seven cards, and in spite of these vestiges it is regarded, speaking generally, as a later development.
完全なミンキアーテのデッキは97枚のカードを含んでおり、これらの痕跡にもかかわらず、一般的に言えば、それはもっと後の発展と見なされている。

 現在一般的に知られているミンキアーテのデッキは97枚で、タロットの祖先に関連する注目すべきネタがあるように見えるけれども、初期には色々なバリエーションが存在していた可能性があり、枚数や象徴が確定したのは、かなり後の時代ではないかと考えられています。
 つまり、どちらが先でどちらが後なのかは、はっきりしないということです。

 とりあえず、かなり後の時代のミンキアーテのデッキの資料になりますが、参考までに貼っておきます。

ミンキアーテ・フィレンツェのデッキ(1700年頃)の画像(97枚)

There were forty-one Trumps Major, the additional numbers being borrowed or reflected from the Baldini emblematic set.
41枚の大アルカナがあり、バルディーニの表象的なセットから借りるか反映された追加の番号があった。

 ミンキアーテの大アルカナは41枚あり、タロットの大アルカナやバルディーニのカードやその他色々なものが混合したような感じです。
 バルディーニのカードは、1470年頃の作品だと推定されていますので、おそらくは発展途上のミンキアーテとは何らかの関係があったのではないかと考えているようです。

In the court cards of the Minor Arcana, the Knights were monsters of the centaur type, while the Knaves were sometimes warriors and sometimes serving-men.
小アルカナのコートカードでは、騎士はケンタウロス型の怪物であった。その一方、小姓は、時には戦士であり、時には召使いであったが。

 「centaur type/ケンタウロス型」というのは、上半身が人で、下半身が馬になった獣人です。
 ミンキアーテの小アルカナの「騎士」は、4枚とも半人半馬の姿です。
 あと、小アルカナの「騎士見習」は、杯と貨幣が女性の召使いで、棒と剣は男性の戦士の姿になっています。

Another distinction dwelt upon is the prevalence of Christian mediaeval ideas and the utter absence of any Oriental suggestion.
詳しく論じられるもう一つの特徴は、中世キリスト教の考えの普及と、どんな東洋的な暗示の完全な欠如である。

 イタリアはキリスト教のカトリックの中心地ですので、キリスト教徒向けに色々と改変されていったものと思われます
 中世キリスト教的なものとしては、高等女司祭が不在であることと、キリスト教徒向けの徳(16:希望、18:信仰、19:愛)が含まれていることですかね。
 東洋的な暗示については、ちょっと例は思いつきません。

The question, however, remains whether there are Eastern traces in any Tarot cards.
とはいえ、どんなタロットカードにも、東洋の形跡があるのかどうかという問題は残っている。

 全てのタロットカードに、東洋の影響があると言い切れるということでも無いですからね。
 というか、あんまり関係なさそうな感じではありますけど。

We come, in fine, to the Bolognese Tarot, sometimes referred to as that of Venice and having the Trumps Major complete, but numbers 20 and 21 are transposed.
最後に、私たちは、ボローニャのタロットに至る。それは時にはベニス製のものと言及されており、完全な大アルカナを有してはいるが、数字の20と21は置き換わっている。

 ボローニャのタロットは、イタリア北部の都市であるボローニャのあたりで、15世紀の頃から使われていたタロットの亜種みたいなもので、主にゲーム用として使われており、今でもカードゲーム用として販売されています。
 ちなみに、ボローニャとベニスはどちらもイタリア北部の都市であり、そんなに離れているわけではないので、両方の都市で同じようなものか作られていた可能性はありますね。

 ボローニャの大アルカナのカードの数字は記入されていないものもありますが、タロットと同じく合計で22枚あります。
 ただし、タロットの大アルカナの20番目は「審判」ですが、ボローニャでは「世界」が対応し、21番目は、タロットは「世界」ですが、ボローニャでは「天使(審判と同じ図柄)」が対応していて、この部分で入れ替わりが見られます。
 とはいえ、ボローニャはゲーム用として時代と共に色々と改変されてますので、結構対応付けの検証が大変です。
 ボローニャがタロットの原型なのか亜種なのかは、おそらく確定してはいないと思います。
 なお、市販カードには、「ボローニャのタロット」の名前で、78枚の「昔のボローニャで作られていた普通のタロット」と、62枚の「ポローニャのタロット」の2種類がありますので、注意して下さいね。

 とりあえず、現在売られているボローニャのタロットカードの画像を参考までに貼っておきます。

ボローニャのタロットカードの画像(62枚+1)

In the Minor Arcana the 2, 3, 4 and 5 of the small cards are omitted, with the result that there are sixty-two cards in all.
小アルカナの中で、2、3、4、そして5の小さい(順位の)カードは省略されており、その結果、全部で62枚のカードがある。

 ボローニャの小アルカナは、なぜか2〜5が無く、一つのスートは王、女王、騎士、騎士見習、10、9、8、7、6、Aの10枚で一組でした。
 この10枚組というのは、何かのキーワードになっているような感じですね。
 このため、スートとしては、棒、杯、剣、貨幣があったので、小アルカナは合計で40枚ということになります。

The termination of the Trumps Major in the representation of the Last judgment is curious, and a little arresting as a point of symbolism; but this is all that it seems necessary to remark about the pack of Bologna, except that it is said to have been invented--or, as a Tarot, more correctly, modified--about the beginning of the fifteenth century by an exiled Prince of Pisa resident in the city.
大アルカナの結末を「最後の審判」で代表するのは、興味深く、象徴主義の点として少し注意を引くものである。しかし、ボローニャのデッキについて言う必要のあるように見えることは、これで全てである。都市の居住者のピサを追放された王子により15世紀の初めの頃に発明された…または、より正しく言うと、タロットが改変されたとして…と言われていることを除けば。

 ボローニャが、大アルカナの最後が「最後の審判」と同等の「Angelo/天使」であることは興味があるけど、後は大したネタは無いということですね。
 あと、ピサの王子うんぬんという伝説は、それ自体がガセ情報である可能性が高いので論外ということのようです。

The purpose for which they were used is made tolerably evident by the fact that, in 1423, St. Bernardin of Sienna preached against playing cards and other forms of gambling.
それらが使用された目的については、1423年にシエナの聖バーナディンが、カードや他の形式の賭博に反対する説教をしたという事実により、かなり明白にされている。

 「Sienna/シエナ」は、イタリア北中部にある都市で、タロット発祥のイタリア北部に近い位置にあります。
 タロットカードが名指しで賭博に使用されていたとは書かれていませんが、当時はタロットも遊技用のカードの一つとして賭博に使われていたというのは確かです。

Forty years later the importation of cards into England was forbidden, the time being that of King Edward IV.
40年後に、エドワード4世が王であった時代に、イギリスへのカードの輸入は禁止された。

 1463年に、カード以外にも色々と輸入の禁止令が出ましたが、これは賭博の禁止ということではなく、国内産業の保護のための施策だったようです。

This is the first certain record of the subject in our country.
これは、わが国(イギリス)において、主題(タロット)の最初の確かな記録である。

 カード遊びは、結構ハマる人も多いので、ヨーロッパ全土に割と急速に広まっていったようですね。

It is difficult to consult perfect examples of the sets enumerated above, but it is not difficult to meet with detailed and illustrated descriptions--I should add, provided always that the writer is not an occultist, for accounts emanating from that source are usually imperfect, vague and preoccupied by considerations which cloud the critical issues.
上に列挙されたセットの絶好な実例を調べることは難しいが、詳細に述べられた図解入りの解説本に出会うのは、難しくはない。…オカルティストでない作家から常に提供されたものであることを、言い足しておくべきであろう。というのは、その出所から発する記述は、いつも不完全で、あいまいであり、重大な論点を曖昧にする考察により心を奪われているからである。

 骨董的価値の高い初期タロットの現物をじっくりと見る機会というものは少ないけれども、研究目的であれば、本に掲載されている複写で充分だということです。

 あと、オカルティストの書いた本は、ムチャクチャな内容なので信用できないということですよ。
 まあ、オカルティストの典型みたいな人が、そういう発言はいかがなものかとも思うのですが、ウェイト氏は、いわゆるオカルティストと呼ばれる人は嫌いなようです。

 ちなみに私は、オカルティストではなく、普通の人です。

An instance in point is offered by certain views which have been expressed on the Mantegna codex--if I may continue to dignify card sequences with a title of this kind.
適当な例は、…私が、この種の表題でカードの系列に威厳をつけ続けることができるのであれば…マンティーニャの古写本に示されたある見解により提供される。

 「title of this kind/この種の表題」というのは、「タロットカードの歴史」ということですね。
 ウェイト氏は、カード史の専門家ではありませんので、歴史研究の権威者みたいなあまり大きなことは言えないのですが、それでもマンティーニャとタロットの関係について色々なデマを書いていたオカルティストについては、ちょっと苦情を言いたいようです。
 おそらくは、パピュス氏の『ボヘミアンのタロット』の内容について、皮肉を言っているのだと思われます。

It has been ruled--as we have seen--in occult reverie that Apollo and the Nine Muses are in correspondence with Pentacles, but the analogy does not obtain in a working state of research; and reverie must border on nightmare before we can identify Astronomy, Chronology and Cosmology with the suit of Cups.
…我々が既に知っているように…オカルトの空想では、五芒貨と関係があるのはアポロと9人のミューズ女神であると裁定されているが、その類推は、研究の作業中の状態においては、確立してはいない。そして、私たちが杯のスートと天文学、年代学、および宇宙論を同一化できる前に、空想は、悪夢に隣接しなければならない。

 五芒貨のスートや杯のスートを、バルディーニのカードに対応させるということは、無理であると考えられている、ということです。
 つまり、タロットとバルディーニのカードとは、全くシステムが違うので、直接の関連は無いと言いたいわけてすよね。
 ちなみに、『ボヘミアンのタロット』においては、
  ・バルディーニのカードの1-10(E組) =タロットの剣のスート
  ・バルディーニのカードの11-20(D組)=タロットの五芒貨のスート
  ・バルディーニのカードの21-30(C組)=タロットの杯のスート
  ・バルディーニのカードの31-40(B組)=タロットの棒のスート
  ・バルディーニのカードの41-50(A組)=タロットの大アルカナ
が、特に根拠もなく対応付けられています。

The Baldini figures which represent these subjects are emblems of their period and not symbols, like the Tarot.
これらの科目を描写するバルディーニの図案は、それらの段階の表象であって、タロットのような象徴ではない。

 つまり、これらの図案は、人間の地位とか、人間が学ぶべき学科をそのまま図案化したものであり、タロットのような深遠な意味を持たされているわけではない、と言いたいわけです。

In conclusion as to this part, I observe that there has been a disposition among experts to think that the Trumps Major were not originally connected with the numbered suits.
最後に、この部分に関して、大アルカナは、番号が付けられたスートとは本来は関係が無かったと考えるのが専門家の間の傾向であるということに、私は注目している。

 「numbered suits/番号が付けられたスート」というのは、ここではタロットの小アルカナのことを指します。
 つまり、大アルカナと小アルカナは別々に生まれてきたものであるというのが、当時の専門家の多数意見であるのに対し、バルディーニのカードでは大アルカナと小アルカナの系列が混在しているため、これがタロットの原形であると考えるのは無理があると言いたいわけですよね。

I do not wish to offer a personal view; I am not an expert in the history of games of chance, and I hate the profanum vulgus of divinatory devices; but I venture, under all reserves, to intimate that if later research should justify such a leaning, then--except for the good old art of fortune-telling and its tamperings with so-called destiny--it will be so much the better for the Greater Arcana.
私は個人的な意見を述べるつもりは無い。 私は運のゲームの歴史の専門家ではなく、そして、占いの策略の世俗的な民衆は嫌いである。しかし私は、全ての蓄積の下で、もし後の研究でそのような傾きを正当化するべきであれば、…良き古き占いの技術と、いわゆる運命というものの改竄を除いて…それが大アルカナにとって尚更良くなるのを暗示することを試みる。

 「games of chance/運のゲーム」というのは、腕前よりも偶然性に支配されるゲームのことで、ここでは賭博系のカードゲームのことを指しています。
 「profanum/世俗的な」 ラテン語で、神を冒涜するという意味であり、ウェイト氏は、占いというものは、キリスト教の教えに従って「神を冒涜する行為」であると考えているわけです。
 西洋の魔術師には、熱心なキリスト教徒の人も多く、占いについては消極的な立場の人は多いですね。
「good old art of fortune-telling /良き古き占いの技術」というのは、婉曲的な嫌みであり、占いというものは、昔からの言い伝えや迷信に基づく、何の根拠も無いシロモノであるということを言いたいわけです。
 また、「its tamperings with so-called destiny/いわゆる運命というものの改竄」というのも、占いにより、罪のない人々の運命を変えてしまうということについての、嫌悪の言葉です。
 つまり、そういう俗悪な占い業界のために、何かネタを提供するつもりは全くないけれども、魔術などの他のオカルト世界での研究目的のために、大アルカナの素性や神秘を解き明かすための努力は前向きに検討しましょう、と言っているわけですよね。
 ウェイト氏って、本当に根っから占いが嫌いなんですよね〜。(笑)

So far as regards what is indispensable as preliminaries to the historical aspects of Tarot cards, and I will now take up the speculative side of the subject and produce its tests of value.
タロットカードの歴史的な面の準備として不可欠なことに関することに限り、私は今、主題(タロット)の推測の面を取り上げ、そして、価値の検定を提示するつもりである。

 この本は、何だかんだ言っても、基本的には占いの手引き書ですで、読者レベルを考えると歴史についての詳細検討までは述べられないけれども、最低限必要なことについては、きちんとした論拠を付けて述べておくよ、ということです。
 詳しい歴史については、こういう占いの入門書ではなく、ウェイト氏の好きなオカルト系の専門書を読んでほしいということです。
 なお、タロットの歴史のような、こういう社会的な歴史問題というのは、なかなか決着は付きません。
 現代においても、色々な説は出ていますので、興味のある人は、自分で調べてみてください。

In my preface to The Tarot of the Bohemians I have mentioned that the first writer who made known the fact of the cards was the archaeologist Court de Gebelin, who, just prior to the French Revolution, occupied several years in the publication of his Monde Primitif, which extended to nine quarto volumes.
「ボヘミアンのタロット」への私の序文で、私は、カードの真相を公表した最初の作家が、考古学者クール・ド・ジェブラン氏であったことに言及した。彼はフランス革命のすぐ前に、彼の「原始の世界」の発行に数年間従事しており、それは四折判で9冊に達した。

 パピュス氏の『ボヘミアンのタロット』はフランス語であり、その英語の翻訳本(翻訳者:A. P Morton)の第2版(1910年)の序文をウェイト氏が書いています。
 フランス革命は1789年から約10年間続きましたが、ジェブラン氏の『原始の世界』の第1巻は1775年に発行され、最後の第9巻は1784年の発行です。ちなみにタロットの話題のある第8巻は1781年の発行です。

 「quarto/四折判」というのは本のサイズのことで、JISのA4サイズに相当します。

 ということで、パピュス氏の説を否定した後は、ジェブラン氏の説を否定する作業が始まります。(苦笑)

He was a learned man of his epoch, a high-grade Mason, a member of the historical Lodge of the Philalethes, and a virtuoso with a profound and lifelong interest in the debate on universal antiquities before a science of the subject existed.
彼は、彼の時代の学者であり、高位のメイスンであり、フィラレテスの歴史的なロッジの会員であり、主題(タロット)の学問的知識が存在する以前の、全世界の古代に関する討論への深遠で終生の関心を持つ博識家であった。

 「virtuoso/博識家」というのは、骨董品の鑑定とか収集を行う古物愛好家の意味があります。
 「Philalethes/フィラレテス」という言葉は、「真実を愛する者」という意味ですが、地名を表している可能性もあります。
 そして、タロットが学問として研究対象となったのは、ここが始まりということです。
 つまり、ウェイト氏は、考古学者としてのクール・ド・ジェブラン氏の業績には、一定の評価をしているということですよね。
 ただし、タロットのことを除いては。(笑)

Even at this day, his memorials and dissertations, collected under the title which I have quoted, are worth possessing.
今の時代でさえも、私が引用した表題の下で集められた彼の年代記と論文は所有している価値がある。

 「title which I have quoted/私が引用した表題」というのは、クール・ド・ジェブラン氏の『原始の世界』のことを指します。
 その本の内容を「memorials and dissertations/年代記と論文」と呼んで、価値があるものだと評しています。
 ただし、タロットのことを除いては。(笑)

By an accident of things, he became acquainted with the Tarot when it was quite unknown in Paris, and at once conceived that it was the remnants of an Egyptian book.
ものの偶然により、彼は、パリではほとんど知られていなかったタロットに詳しくなり、すぐに、それがエジプトの本の名残であると思いついた。

 こういう出会いは、いつも偶然なんですよね。
 ジェブラン氏は、この本を書く数年前に、ドイツかスイスから来た知人の女性たちが、見慣れないカードゲーム、すなわちタロットをやっていたのを見て、興味を持ったようです。

He made inquiries concerning it and ascertained that it was in circulation over a considerable part of Europe--Spain, Italy, Germany and the South of France.
彼は、それに関する調査を行い、それがヨーロッパのかなりの地域…スペイン、イタリア、ドイツ、およびフランス南部…の一面に流通していたことを確認した。

 当時は、ヨーロッパ北西部のパリまでは到達していなかったけれども、ヨーロッパ東南部には既に広まっていたということですよね。

It was in use as a game of chance or skill, after the ordinary manner of playing-cards; and he ascertained further how the game was played.
それはトランプの普通のやり方にならって、運もしくは技能のゲームとして使われていた。そして彼はさらに、ゲームがどのようにして遊ばれたかを突きとめた。

 当時は、タロットはゲーム用として、かなりの人気があったようです。
 今でも、色々なカードゲームは発売されていますし、今も昔もカードゲームは遊びの王道ですよね。

But it was in use also for the higher purpose of divination or fortune-telling, and with the help of a learned friend he discovered the significance attributed to the cards, together with the method of arrangement adopted for this purpose.
しかしそれは、予言や占いの、より高い目的のためにも使われていた。そして、(タロットに)習熟した友人の助けと共に、彼は、この目的(占い)のために採用された配置の方法と共に、カードに帰する意味を発見した。

 当時は、今と同じように、占い用のスプレッドやカードの意味があったということです。
 とはいえ、こういうのは、カード占いの基本なので、おそらく最初は他のカード占いのやり方を流用したのではないかと思われます。

In a word, he made a distinct contribution to our knowledge, and he is still a source of reference--but it is on the question of fact only, and not on the beloved hypothesis that the Tarot contains pure Egyptian doctrine.
一言で言えば、彼は我々の知識への明確な貢献をした。そして、彼は今もなお参考文献の出所ではあるが、それは事実のみの問題においてであり、タロットが純粋にエジプトの教義を含むという愛されている仮説によるものではない。

 「distinct contribution/明確な貢献」というのは、2つの意味を持ち、一つは明らかに大きな影響力を持ったということであり、もう一つは明らかに間違った情報であったということです。
 「beloved hypothesis/愛されている仮説」というのは、皮肉まじりの表現ですよね。
 ウェイト氏の当時も、ジェブラン氏のタロットのエジプト起源説は、根強い人気があったことがわかります。

However, he set the opinion which is prevalent to this day throughout the occult schools, that in the mystery and wonder, the strange night of the gods, the unknown tongue and the undeciphered hieroglyphics which symbolized Egypt at the end of the eighteenth century, the origin of the cards was lost.
しかしながら、彼は、失われたカードの起源を、18世紀の終わりにエジプトを象徴した、神秘、驚異、神々の奇妙な夜、未知の言語であり判読されていない象形文字の中にあるという、オカルト学界の至る所で現代に流行している見解を設けた。

 当時のオカルト学界では、古代エジプトの人気は、かなり高かったようです。
 エジプトの探検隊とかも、何度か出ていますが、まだエジプトの古代象形文字は解読されていない時期です。
 そういうわけわからない人気に便乗する形で、タロットも広まったということですよね。

 ちなみに、『原始の世界』では、以下のようなことが述べられており、現代のオカルト界にも伝説として伝わっています。
 (1) タロットの起源が古代エジプトにあり、そして古代中国にも関係があること。
 (2) タロットという言葉はエジプトに由来し、タロットはトートの書であること。
 (3) ヨーロッパにおけるタロット普及にジプシーが関係していること。
 (4) 大アルカナは象形文字であり、ヘブライ文字と大アルカナとの間には関連があること。
 (5) トランプカードとタロットの対比は、以下の通りであること。
   ・ハートは、タロットの杯であり、幸福を表す。
   ・クラブは、タロットの貨幣であり、財産を表す。
   ・スペードは、タロットの剣であり、不幸を表す。
   ・ダイアは、タロットの棒であり、田舎を表す。

So dreamed one of the characteristic literati of France, and one can almost understand and sympathize, for the country about the Delta and the Nile was beginning to loom largely in the preoccupation of learned thought, and omne ignotum pro AEgyptiaco was the way of delusion to which many minds tended.
フランスの特徴的な知識人階級のそのように夢見られた1つであり、デルタとナイルに関する国が、主に学術的な思考の先入観の中で、大きくぼんやりと姿を現し始めていたために、人はほとんど同情して理解し共感することができた。そして"未知なるエジプト"は、多くの心が向かいがちな惑わしの道であった。

 「country about the Delta and the Nile/デルタとナイルに関する国」というのは、エジプトを流れるナイル川とその河口に広がる広大な三角州地帯を示しており、ここでは古代エジプト文明のことを指しています。
 「omne ignotum pro AEgyptiaco/未知なるエジプト」はラテン語ですが、わけわからない不思議なものは、何でもエジプト起源にすればいいという風潮を揶揄しているようです。

It was excusable enough then, but that the madness has continued and, within the charmed circle of the occult sciences, still passes from mouth to mouth--there is no excuse for this.
それは、当時であれば、まあまあ許しても良いことではあったが、しかしその狂気が続き、神秘学の魔法で守られた円の内部で、まだ口から口へと言い伝えられている、…これについては弁解の余地は全く無い。

 「charmed circle/魔法で守られた円」というのは、魔術団体の内陣メンバーなどの、オカルトの指導者連中のことを指します。
 どこの団とは言っていませんが(おそらく、あの超有名な団だと推察できますが)、こういったデッチ上げの歴史を元にして詐欺みたいなヤリ口でメンバーを集めていた魔術団体の現状に、ウェイト氏は暗黙的に抗議しているということです。
 とはいえ、今でもこのような虚言を真に受けている人たちって、それなりに多いんですよね。

Let us see, therefore, the evidence produced by M. Court de Gebelin in support of his thesis, and, that I may deal justly, it shall be summarized as far as possible in his own words.
それゆえに、彼の論文を支援したクール・ド・ジェブラン氏により創作された証言を見ていこう。そして、私は公正に取扱うことができることは、できるだけ彼自身の言葉で、要約するものとする。

 以降、ちょっと法律文言っぽい堅苦しい表現が続きますが、あくまでも自分は中立的な裁判官であるということを、読者にアピールしているような感じですよね。(笑)

 とりあえず、この本の挿絵として提供されているタロットカードの画像を掲載しておきます。

『原始の世界』のカード挿絵の画像(26枚)

(1) The figures and arrangement of the game are manifestly allegorical;
(1) ゲームの図と配置は、明らかに寓意的である。

 この「game/ゲーム」というのは、タロットカードのことを指します。当時は占い用としてよりも、カードゲーム用としてポピュラーだったことと、この『原始の世界』でのタイトルが、「タロットのゲーム」だったからです。
 で、このタロットカードの絵は、単なる記号ではなくて、何らかの深い意味を持つ絵であるということです。

(2) the allegories are in conformity with the civil, philosophical and religious doctrine of ancient Egypt;
(2) 寓話は、古代エジプトでの、市民と、哲学と、宗教の教義に従っている。

 はっきりとした証拠も無いのに、いきなりの論理飛躍的な犯人の決めつけです。
 こういうのを、勘頼みの、見込み捜査と言います。(笑)

(3) if the cards were modern, no High Priestess would be included among the Greater Arcana;
(3) もしカードが近代のものであるならば、高等女司祭は大アルカナの中には含まれないであろう。

 近代というか中世キリスト教の世界においては、女性の地位はかなり低く見られており、女性の上級祭司職はありませんでしたので、これはエジプトに由来する人物に違いないというのが、ジェブラン氏の主張です。

(4) the figure in question bears the horns of Isis;
(4) 問題となっている図は、イシスの角を生やしている。

 角(ツノ)といっても、小さいものですけどね。


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原始の世界』の「2:高等女司祭」

 ちなみに、イシス神の頭には、元々は椅子(玉座)が乗っていたのですが、いつのまにか太陽と牛の角になっています。
 これは、ハトホル神とイシス神が同一視されたためです。ついでに高等女司祭も同一視されてしまったようです。


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イシス神
  
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ハトホル神
(5) the card which is called the Emperor has a sceptre terminating in a triple cross;
(5) 皇帝と呼ばれるカードは、三重の十字で終結する笏(しゃく)を持っている。

 これは、「Emperor/皇帝」ではなくて、「High Priest/司祭長」のカードの誤記だと思われます。
 「sceptres/笏(しゃく)」というのは、王の持つ杖のことです。
 この三重十字が、エジプトに由来しているというのが、ジェブラン氏の主張です。


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原始の世界』の「5:司祭長」

 ジェブラン氏は、この三重十字のシンボルがイシス神のテーブルにあり、また「triple Phallus/三重の男根」にも関連すると言っています。
 なお、イシス神のテーブルの三重十字というのはわかりませんでしたが、4本の柱を表す「ジェド柱」というのが、何となく似ています。


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ジェド柱

(6) the card entitled the Moon, who is Isis, shews drops of rain or dew in the act of being shed by the luminary and these--as we have seen--are the tears of Isis, which swelled the waters of the Nile and fertilized the fields of Egypt;
(6) 月と題名付けされたカードは、(その月は)イシスであり、雨のしずく、もしくは発光体により落とされている最中の露(つゆ)を示しており、これらは…我々が知っているように…、ナイル川の水かさを増し、エジプトの田畑を肥沃にした、イシスの涙である。

 エジプトのデルタ地帯では、ほとんど雨は降りませんが、定期的にナイル側が増水して氾濫し、水と養分に富んだ土を畑にもたらしてくれました。そして、シリウスが日の出直前に東の空に現れると、ナイル川の増水が始まることを知っていました。
 エジプトでは、ナイル川の増水をイシスの涙と呼び、それを知らせる星がシリウスであるとして、恵みの星と考えられました。


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原始の世界』の「18:月」

(7) the seventeenth card, or Star, is the dog-star, Sirius, which was consecrated to Isis and symbolized the opening of the year;
(7) 17番目のカード、すなわち星は、犬星であるシリウスであり、それはイシスに奉納されて、1年の始まりを象徴した。

 シリウスは、犬星(Dog star)と呼ばれており、夜空で最も明るく輝く恒星です。
 天空では、オリオン座の隣にある、おおいぬ(大犬)座にあり、ギリシャ神話ではオリオンが連れている犬でした。
 ちなみに中国では「天狼星(てんろうせい)」と呼ばれています。

 当時のエジプトでは、一年をナイル川と畑の状態に合わせて、洪水期、農業期、乾期と3つの季節に分けていました。
 そして、シリウスが日の出直前の東の空に現れる日を年の始まりとするエジプト暦をつくりました。
 シリウスは、エジプトでは崇拝の対象となり、イシスと結びつけて考えられ、「イシスの星」とも呼ばれました。
 このカードのデザインの着想としては、イシス伝説は悪くないイメージですよね。


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原始の世界』の「17:星」

(8) the game played with the Tarot is founded on the sacred number seven, which was of great importance in Egypt;
(8) タロットを用いて遊ばれたゲームは、神聖な数7に基づいて作られており、それ(数字の7)はエジプトにおいて非常に重要なものであった。

 ジェブラン氏は、タロットは、神秘数である7という数字に関係が深く、
  ・大アルカナは、7×3=21枚+愚者
  ・小アルカナのスートは、7×2=14枚
  ・タロットは、7×11=77枚+愚者
というように、7を基本に構成されていると述べています。
 これはれこれで興味深い考えではありますね。

(9) the word Tarot is pure Egyptian, in which language Tar=way or road, and Ro=king or royal--it signifies therefore the Royal Road of Life;
(9) タロットという単語は純粋なエジプト語である。その中にある言語"Tar"は道あるいは道路であり、"Ro"は王あるいは王室である。…従ってそれは、「人生の王への道」を意味している。

 つまり、タロットに従って生きると、人はエジプトの王になれるということです。
 まあ、リアルにはありえないですけど、よくあるシンデレラ物語みたいな宣伝文句ですよね。

(10) alternatively, it is derived from A=doctrine; Rosh=Mercury=Thoth, and the article T; in sum, Tarosh; and therefore the Tarot is the Book of Thoth, or the Table of the Doctrine of Mercury.
(10) あるいはまた、それは、"A"とは教義であり、"Rosh"は水星であるトート神であり、そして冠詞の"T"から導かれる。要するに、"Tarosh" である。 そして、したがって、タロットはトートの書、もしくはマーキュリー神の教義の彫り板である。

 「article/冠詞」というのは、英語の a, the などのことで、"T"はエジプト語の冠詞に相当するという説です。
 「Table of the Doctrine of Mercury/マーキュリー神の教義の彫り板」というのは、あの有名なトート・ヘルメス・トリスメドキスのエメラルドタブレットことを指しています。
 もちろん、全ては推測であり、何の証拠もありませんけど。

Such is the testimony, it being understood that I have set aside several casual statements, for which no kind of justification is produced.
そのようなものが証言であり、どんな種類の正当化も作り出すことは出来ないために、私がいくつかの思い付きの供述を除外したことは理解されるだろう。

 ジェブラン氏の書いた歴史的な背景のある部分は、まだ検証可能な箇所はあるのですが、共同執筆者の占い師が書いた部分は、伝説みたいなものですので、検証することがそもそも無理ですからね。

These, therefore, are ten pillars which support the edifice of the thesis, and the same are pillars of sand.
したがって、これらは論文の建築物を支える10本の柱であり、そして、同様に砂の柱でもある。

 しっかりとタロットのエジプト起源説を支えているように見えた柱でも、きちんと調べていくと、実際はサラサラと崩れていく砂の柱であったということであり、この論文には全く実体は無いと言いたいわけです。

The Tarot is, of course, allegorical--that is to say, it is symbolism--but allegory and symbol are catholic---of all countries, nations and times; they are not more Egyptian than Mexican; they are of Europe and Cathay, of Tibet beyond the Himalayas and of the London gutters.
タロットはもちろん寓意的表現であるが、…すなわち、それは象徴主義であるが…、しかしながら寓意的表現と象徴というのは…すべての国家、民族、および時代について…普遍的なものである。それらはメキシコ人よりエジプト人がより多いということではない。 それらはヨーロッパと中国、ヒマラヤを超えたチベット、そしてロンドンの貧民窟のものでもある。

 ここでいう「allegorical/寓意的表現」というのは、様々な「たとえになる絵」や「実例となる絵」を用いて、明示的に言いたいことを絵で述べるという表現法です。そして象徴は、そういう寓意的なものも含んだ上で、さらにより抽象的な記号となる絵を用いて、わかる人だけに対して暗示的に言いたいことを絵で述べるという表現方法です。
 「not more Egyptian than Mexican/メキシコ人よりエジプト人がより多いということではない」というのは、かなり穿った表現ですが、先進的なエジプトであっても、後進的なメキシコであっても、寓話と象徴というものは同じように存在し、決してエジプトの専売特許ではないと言いたいわけです。
 ちなみに、『原始の世界』では、チベットはタロットの起源とされたエジプトと中国の中間地点ということで、名前が出ていますが、わざわざロンドンの貧民窟まで例に出しているところを見ても、ウェイト氏が当時の主流であったエジプト起源説を徹底的に廃棄したいという意図が見えてきます。

As allegory and symbol, the cards correspond to many types of ideas and things; they are universal and not particular; and the fact that they do not especially and peculiarly respond to Egyptian doctrine--religious, philosophical or civil--is clear from the failure of Court de Gebelin to go further than the affirmation.
寓話と象徴として、カードは観念と物事の多くの類型に相応する。それらは普遍的なものであり、特殊なものではない。 そして、それら(のカード)が、エジプトの…宗教的、哲学的、もしくは民間的な…教義に対して、特別に、そして格別に対応しているわけではないという事実は、確言より先に行ったクール・ド・ジェブランの失敗から明らかである。

 「affirmation/確言」というのは、法律用語で「嘘でない確かであるという証言」という意味です。
 ジェブラン氏は、きちんとした証拠を固めずに、占い師の友人の虚言と、自分自身の単なる思い込みで、先走って「エジプト起源説」を提唱してしまったということですよね。
 とはいえ、ジェブラン氏が本を書いた当時は、それを積極的に肯定や否定ができるだけの根拠も無かったのでしょうね。

 いずれにしても、タロットの象徴体系というのは、エジプト限定の特産品ではなく、どこにでもある普遍的なものであるというのが、ウェイト氏の考えなのです。
 もちろん、エジプトの象徴性を否定しているということではないので、タロットの絵の中にエジプトの象徴が出てくることはありますが、だからといって、「タロット=エジプト」とはならないということです。
 あくまでも、「タロット=普遍的(エジプトやヨーロッパや中国やチベットやロンドンの貧民窟などを含む)」ということです。

 つまり、どんな絵柄であっても、たとえ日本の絵であったり猫の絵であったりしても、タロットはタロットということなのです。
 どれか一つが正しいタロットということでもなく、普遍的なベースさえきちんと理解しておけば、色々なデザインのタロットがあり、色々な解釈があるというのも、それはそれで問題ないということになります。
 ただ、基本的な部分を誤解したままで使っている人も多いわけで、そういうのは自由の履き違えという感じもしますけどね。

The presence of a High Priestess among the Trumps Major is more easily explained as the memorial of some popular superstition--that worship of Diana, for example, the persistence of which in modern Italy has been traced with such striking results by Leland.
大アルカナの中の高等女司祭の存在は、いくつかの人気がある迷信の偶像崇拝…例えば、現代のイタリアにおいてそれが持続していることが、リーランド氏によるその印象深い業績として探し出された、ダイアナの崇拝…の記念物として、より容易に説明される。

 リーランド氏(Charles Godfrey Leland, 1824-1903)は、アメリカの民俗学者であり、1899年に『Aradia, or the Gospel of the Witches/アラディア、または魔女の福音』という本を出版しました。
 これは、古代のダイアナ女神を崇拝する伝説的魔女宗が、現代のイタリアの田舎で秘密裡に伝承されているという、当時のオカルティストが狂喜するような濃い内容の本でした。
 残念ながら、これもオカルト本の通例として、どこまでが本当のことで、どこからがデッチ上げなのかは、よくわかっていません。
 まあ、日本の週刊誌の記事やテレビの番組だって、オカルト系に限らず、似たようなデッチ上げや誇張表現は普通にありますけどね。

We have also to remember the universality of horns in every cultus, not excepting that of Tibet.
また、我々はチベットのものを除くのではなく、あらゆる儀式における角(つの)の普遍性を覚えていなければならない。

 有角神の儀式といえば、現代の魔女宗では割とポピュラーになっていますよね。
 まあ、チベットに限らず、世界中に角の生えた神は存在し、現代でも次々に創作されていますけどね。


現代における角の普遍性の例

The triple cross is preposterous as an instance of Egyptian symbolism; it is the cross of the patriarchal see, both Greek and Latin--of Venice, of Jerusalem, for example--and it is the form of signing used to this day by the priests and laity of the Orthodox Rite.
三重の十字はエジプトの象徴主義の例としては不合理である。 それは、総大司教の十字であり、ギリシャとラテンの両方の…例えば、ベニスと、エルサレムの…ものであり、そしてそれは、東方正教会の典礼の聖職者と俗人によって今日まで使用された祝福の形式である。

 ここでは、「5:司祭長」にある三重の十字について、考察しています。
 「patriarchal see/総大司教」、カトリック教会において最高の裁治権をもつ司教職のことで、古代はローマ法王だけでしたが、その後の教会の分裂などもあり、現在では複数の総大司教がいます。
 ローマ・カトリック教会においては、現在でも三重の十字架は使われており、「Papal Cross/教皇十字」と呼ばれています。


教皇ヨハネ・パウロU世が持つ三重の十字架

 ギリシャとラテンの総大司教で、ここに挙げられているのは
 ・ラテン・エルサレム総大司教 (The Latin Patriarch of Jerusalem)
 ・ヴェネツィア総大司教(The Patriarch of Venice)
ですが、こちらの十字は確認できませんでした。

 あと、東方正教会においては、3本の横木の十字架が、一般的に使われており、日本だと「八端十字架」と呼ばれています。
 英語だと、「Russian Orthodox Cross/ロシア十字」とか「Orthodox Cross/正教会十字」と呼んでいますね。


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東方正教会の三重の十字架

 東方正教会では、祝福の儀式に、この三重の十字の形式が使われているようですが、よくわかりませんでした。
 カトリックやプロテスタントでは、普通に十字を切っているので、東方正教会では、ちょっと違う形式なのかもしれませんね。

I pass over the idle allusion to the tears of Isis, because other occult writers have told us that they are Hebrew Jods; as regards the seventeenth card, it is the star Sirius or another, as predisposition pleases; the number seven was certainly important in Egypt and any treatise on numerical mysticism will shew that the same statement applies everywhere, even if we elect to ignore the seven Christian Sacraments and the Gifts of the Divine Spirit.
私はイシスの涙への無駄な言及を無視する。なぜならば、他のオカルト作家が、それらはヘブライ文字のヨッドであると私たちに言っていたからである。 17番のカードについては、傾向が好んでいるように、それは、星のシリウスか何かである。確かに、数字の7はエジプトにおいて確かに重要であり、そして、数字の神秘主義に関するどんな論文も、7つのキリスト教の秘跡と神の聖霊の賜物を無視することを選んだとしても、同じ供述がいたる所に適用されているのを表しているだろう。

 「18:月」のイシスの涙というのは、エジプト地方という地理的な気候に関連した伝説ですので、普遍的なものを目指すウェイト氏にとっては、割とどうでもいいことのようです。
 そのかわり、ヘブライ文字のヨッドの方が、より普遍的な象徴として、気に入ったということですかね。

 「17:星」については、季節の移り変わりを表す象徴としての「星」という概念は、気に入ったようです。
 世界のいたるところで、色々な星や星座が、季節を示す象徴として使われていました。

 数字の7については、ユダヤ・キリスト教においては、割と重要視されて数多くネタにされていますよね。
 「seven Christian Sacraments/7つのキリスト教の秘跡」は、カトリックでは洗礼・聖体・婚姻・叙階・堅信・告解・病者の塗油の、7つの儀式のことを指します。
 「seven Gifts of the Divine Spirit/7つの神の聖霊の賜物」は知恵・理解・判断・勇気・節制・神を愛する恵・神を敬う心の7つで、カトリックでは堅信の秘跡で与えられるとされています。

Finally, as regards the etymology of the word Tarot, it is sufficient to observe that it was offered before the discovery of the Rosetta Stone and when there was no knowledge of the Egyptian language.
最後に、タロットという単語の語源に関しては、それ(タロットという語)がロゼッタ・ストーンの発見の前、エジプトの言語に関する知識が全く無かった時に、それが提案されたことに気づくことで十分である。

 ロゼッタ・ストーン(ロゼッタ石、Rosetta Stone)は、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石碑であり、3種類の紀元前の言語で書かれており、1822年にシャンポリオン氏(Jean-Francois Champollion, 1790- 1832)により古代エジプトの象形文字(ヒエログラフ)が解読され、この後、エジプト語の文書が続々と解読されるきっかけとなったキーストーンです。

 つまり、「タロット」という言葉自体は、古代エジプトの言語が知られるようになる前から存在していたので、語源的には全く関係が無いと考えるのが自然であるということです。
 まあ、エジプト時代から、歴史の陰に隠れてタロットがエジプトの末裔の人々の中で子々孫々と継承されてきたという、いかにもイカくさい噂話もありますけど、それを裏付ける証拠というのは、全く無いんですよね。

The thesis of Court de Gebelin was not suffered to repose undisturbed in the mind of the age, appealing to the learned exclusively by means of a quarto volume.
クール・ド・ジェブラン氏の論題は、四折判の本によって独占的に有識者の興味を引いたことで、時代の心の中でそのままにして休息することに耐えることが出来なかった。

 単なる空想癖のある物好きが書いた本として、そのまま日の目を見ずに埋もれていれば良かったのですが、かなりセンセーショナルな内容でしたので、物好きな有識者連中の注目を集めてしまい、いろんな場所に引っ張り出され(引用され)て、その間違った情報が世界中に広まっていったということなんですよね。

It created the opportunity of Tarot cards in Paris, as the centre of France and all things French in the universe.
それ(クール・ド・ジェブラン氏の本)は、フランスの中心であり宇宙における全てのフランスの事物としてのパリにおいて、タロット・カードの機会を作り出した。

 「all things French in the universe/宇宙における全てのフランスの事物」という言葉は、「all things in the universe/森羅万象(宇宙における全ての事物)」という言葉をもじったものです。
 要するに、ジェブラン氏の本により、それまでは一部の人々の間で遊びとして使われていたタロットが、パリ在住のあらゆる層の人々の興味を引いたというわけです。
 そしてこれ以後、当時の世界の中心地であったパリを情報発信の起点として、タロットは世界的に存在を知られるようになり、オカルトや占いの世界で爆発的に広まっていったのでした。

The suggestion that divination by cards had behind it the unexpected warrants of ancient hidden science, and that the root of the whole subject was in the wonder and mystery of Egypt, reflected thereon almost a divine dignity; out of the purlieus of occult practices cartomancy emerged into fashion and assumed for the moment almost pontifical vestures.
カードによる占いは、その背後に古代の隠された科学の予想外の根拠があり、そして、全ての主題の根源はエジプトの驚異と神秘の中にあったという提案は、その上に、ほとんど神の威厳を反映した。オカルトの実践の境界地から抜け出して、流行のものへと浮かび上がったカード占いは、当時しばらくの間は、ほとんど司教の装いを身に着けていた。

 オカルトの応用者としては、比較的低俗と見られていた占い師たちにとっては、一気に地位を向上させることのできる、大歓迎されるデマ情報ですよね。
 でも、ウェイト氏は基本的に占いは嫌いですので、そういうデマ情報はは徹底的に排除したいという思いが、この文章からも伝わってきます。

 実際のところ、割と宗教的なオカルトの研究分野においては、低俗で商業的な占い師は嫌われる傾向があります。
 私も占い自体は好きなのですが、他の商業的な占い師とは、話が合わないことが多いので、あまり付き合いは多くはないですね。

The first to undertake the role of bateleur, magician and juggler, was the illiterate but zealous adventurer, Alliette; the second, as a kind of High Priestess, full of intuitions and revelations, was Mlle. Lenormand--but she belongs to a later period; while lastly came Julia Orsini, who is referable to a Queen of Cups rather in the tatters of clairvoyance.
奇術師、魔術師、そして手品師の役を引き受ける1番手は、無学ではあるが熱心な冒険家アリエッテであった。一種の高等女司祭の役として、直観と啓示で満ちた 2番手には、ルノルマン女史…しかし彼女は後の期間に属しているが…であった。そして最後に、ジュリア・オルシーニが来たが、彼女は杯の女王というよりは、むしろ千里眼のボロボロな服に属していると言える。

 1番手の魔術師役は、カード占い師のエッティラ(Jean-Baptiste Alliette, 1738〜1791)。
 2番手の高等女司祭役は、パリのカード占い師として大成功したルノルマン女史(Marie-Anne Lenormand, 1768-1843)。
 最後はなぜか杯の女王役で、パリのカード占い師として有名なジュリア・オルシーニ女史(Julia Orsini, ?-?)は、『Le Grand Etteila, ou l'Art de Tirer les Cartes/大エッティラ、カードを読む技術』(1853年発行?)という本を書いています。
 いずれも、占い師として活躍し、カード占いを広めた人たちです。

I am not concerned with these people as tellers of fortune, when destiny itself was shuffling and cutting cards for the game of universal revolution, or for such courts and courtiers as were those of Louis XVIII, Charles IX and Louis Philippe.
私は、普遍的な革命のゲームのため、もしくはルイ18世、シャルル9世、およびルイ=フィリップの時代にいた宮廷と廷臣のために、運命それ自体がカードをシャッフルしカットしていた時の、運勢の語り手のようなこれらの人々とは関係が無い。

 フランス革命は、1789年のバスティーユ牢獄の襲撃から、1799年のナポレオンによる権力掌握までの期間で、上記3人の活躍した頃です。
 フランス王ルイ18世(1755-1824、在位1814-1824)、フランス王ルイ=フィリップ1世(1773-1850、在位1830-1848)の時代は、フランス革命後の王政復古の時代ですが、フランス王シャルル9世(1550-1574)は時代が違いますので、おそらくここはフランス王シャルル10世(1757- 1836、在位1824-1830)の間違いだと思われます。
 いずれにしろ、3人の占い師の時代は、当時のフランスの宮廷でも占いが流行していたということを言いたいのだと思います。

But under the occult designation of Etteilla, the transliteration of name, Alliette, that perruquier took himself with high seriousness and posed rather as a priest of the occult sciences than as an ordinary adept in l'art de tirer les cartes.
しかし、アリエッテ(Alliette)という本名の(逆綴りの)書き直しの、エッティラ(Etteilla)という神秘学での称号の下で、そのカツラ職人は、自らを高い重大性と受け止め、「カードを読む技術」の中で、平凡な(カードの)達人としてよりもむしろ神秘学の司祭のように装って見せた。

 「perruquier/カツラ職人」というのは、17〜18世紀頃の男性が頭にかぶっていたカツラを作ったり、整えたりする職人で、現代の理容師に相当しますが、これはエッティラ氏の本職がカツラ職人だと考えられていたためです。
 『l'art de tirer les cartes/カードを読む技術』は、1783年発行の、エッティラ氏のタロット占いに関する本です。
 この後、1789年になって、現代でも人気のあるエッティラ版タロットが発行され、フランスで大人気となっています。

Even at this day there are people, like Dr. Papus, who have sought to save some part of his bizarre system from oblivion.
今日でさえ、パピュス博士のように、忘却から彼の奇妙な体系のいくつかの部分を救い出すことを試みる人々がいる。

 「oblivion/忘却」というのは、当時のオカルト界からは、ほとんど無視というか嫌悪されるようになっていたエッティラの業績のことを指しています。
 パピュス氏は、『ボヘミアンのタロット』の中で、エッティラ氏の考え方を、いくつか参照しており、1909年に発行された『タロット占い』という本の中では、エッティラ風のタロットを新規にデザインしています。

The long and heterogeneous story of Le Monde Primitif had come to the end of its telling in 1782, and in 1783 the tracts of Etteilla had begun pouring from the press, testifying that already he had spent thirty, nay, almost forty years in the study of Egyptian magic, and that he had found the final keys.
『原始の世界』の創始の長くて雑多な物語は、1782年にその話の終わりに来た。そして、1783年にエッティラの小冊子は、出版業界からどっと流れ出し始め、彼が既に、エジプトの魔術の研究に、30年、いや、ほぼ40年を費やして、しかも、最終的な解読鍵を見つけたと証言した。

 ジェブラン氏の『原始の世界』の第8巻は、1781年の発行です。
 そしてエッティラ氏は、『原始の世界』をネタ元として、1783年から、いくつかのカード占いに関する小冊子を出版しました。
 「press/出版業界」というのは、出版業の中でも、主に一般大衆向けのジャーナリズム的な報道・言論・小説関連の雑誌みたいなもので、学術本として出版されたジェブラン氏の本よりも、ちょっと格下扱いしてるような感じですよね。

They were, in fact, the Keys of the Tarot, which was a book of philosophy and the Book of Thoth, but at the same time it was actually written by seventeen Magi in a Temple of Fire, on the borders of the Levant, some three leagues from Memphis.
それら(の本)は実際、タロットの鍵であり、哲学の本とトートの書であったが、同時にそれ(トートの書)は実際に、レバント地方の境界で、メンフィス出身の、およそ3つの同盟の火の寺院の17人の魔術博士によって書かれたものであった。

 ということを、エッティラ氏は自ら書いた小冊子の中で述べているということですね。

 「Keys of the Tarot/タロットの鍵」というのは、小冊子がタロットの解説本であることを示しています。
 「哲学の本/哲学の本」というのは、小冊子の内容が、自然哲学とかヘルメス哲学と呼ばれる錬金術系の思想を書いたものであることを示しています。
 「Book of Thoth/トートの書」というのは、その手のタイトルの本の色々とあるのですが、11世紀頃に東ヨーロッパ地方で17冊の文書に編集されたヘルメス選集と呼ばれているものがありますので、そのことを指していると思われます。
 「Memphis/メンフィス」は、エジプトにあった古代王朝の都で、今も多くの遺跡があります。

 エッティラ氏は、ジェブラン氏の本に加えて、当時出回ったヘルメス文書(錬金術関連書)をネタにして、庶民向けに色々と面白そうな本を発行していったということですね。

It contained the science of the universe, and the cartomancist proceeded to apply it to Astrology, Alchemy, and fortune-telling, without the slightest diffidence or reserve as to the fact that he was driving a trade.
それ(の本)は宇宙科学を含んでいた。そして、カード占い師は、彼が取引に突進していたという事実に関しては、全くの遠慮も慎みもなく、占星術、錬金術、および占いにそれを応用することに着手した。

 エッティラ氏は、小冊子の人気が高まっていったので、カード占いの本だけでなく、占星術、錬金術、その他の占いに関する本を、次々と発行していったということです。
 そして、タロットにも、占星術の象徴を取り込んでいます。
 以前にも、バルディーニのカードみたいに占星術や錬金術を図案化したカードはありましたが、カードに直接、占星術の象徴を配属したのは、おそらくエッティラが初めてではないかと思われます。
 でも、その配属は、大アルカナの1〜12に黄道12宮を、貨幣のエース〜10に天体を、という単純なものなので、何も考えていないような感じもありますね。

 せっかくなので、エッティラ系のカードの画像を掲載しておきます。
 ひとつは、1789年発行のオリジナルの復刻版で、もう一つは1870年発行の「Grand Jeu de Oracle des Dames/婦人の偉大な神託」という別の作者がデザインしたエッティラ系カードの復刻版です。
 ウェイト氏は、このカードに書かれている小アルカナの意味とかは、参考にしているかもしれませんね。

エッティラ系のカードの画像(78枚×2種類)

I have really little doubt that he considered it genuine as a metier, and that he himself was the first person whom he convinced concerning his system.
私には、彼が、それが適職として本物であると考えて、彼の体系に関して納得させた最初の人が彼自身であったことについてのいう疑問はほとんど無い。

 要するにエッティラ氏は、うぬぼれが強くて、自画自賛というか自己陶酔していた人物であったと言いたいわけですね。
 でも、そういうふうにして自己流で作り上げられた体系というのは、全く使いモノにならなかったということです。

But the point which we have to notice is that in this manner was the antiquity of the Tarot generally trumpeted forth.
しかし、私たちが注意すべき点は、このようなそれは、一般に吹聴されたタロットの古代の遺物であったということである。

 結局のところ、昔のデマ情報、つまりジェブラン氏の『原始の世界』やヘルメス文書を元ネタにしている限り、それらは全て根拠が無いということです。

The little books of Etteilla are proof positive that he did not know even his own language; when in the course of time he produced a reformed Tarot, even those who think of him tenderly admit that he spoiled its symbolism; and in respect of antiquities he had only Court de Gebelin as his universal authority.
エッティラの小冊子は、彼が彼自身の言葉さえ知らなかったことの明確な証拠である。時が経つ中で、彼が改良されたタロットを作り出した時は、彼を優しく思う者でさえ、彼がその象徴主義を台無しにしたことを認めている。そして、古い時代のものという点では、彼は彼の普遍的な権威としてクール・ド・ジェブランしか持っていなかった。

 結局のところ、エッティラ氏は自らの研究成果を持たず、ジェブラン氏の受け売りばかりで、さらに悪い方向へと改良していったということですかね。
 エッティラ氏は、1789年に、占い専用の新作タロットを発行し、フランスでは大人気になったようです。
 人気が出たので、それのバージョンアップ版も、後になって色々と作られています。
 このエッティラのタロットは、エジプトの象徴主義を流用してデッチ上げられたものですが、その体系は独自というか、根拠のはっきりしないメチャクチャなものでしたので、現在では占い用としても、ほとんど使われなくなっています。

The cartomancists succeeded one another in the manner which I have mentioned, and of course there were rival adepts of these less than least mysteries; but the scholarship of the subject, if it can be said to have come into existence, reposed after all in the quarto of Court de Gebelin for something more than sixty years.
カード占い師たちは、私が言及したように、お互いに継承していき、そしてもちろん、これらのライバルの達人たちは、最少の神秘よりさらに少ないものであった。しかし、主題(タロット)の学識は、もしそれが誕生したと言うことができるのなら、結局のところ、60年間以上の何年もの間、クール・ド・ジェブラン氏の四折判本の中で、眠っていた。

 エッティラに続いて、ルノルマン女史やジュリア・オルシーニ女史などのカード占い師が、次々とタロットカードや占いの小冊子を出版し、商業的に成功していった時代でしたが、彼らのカードや本は、神秘学的には何の価値も無かったということです。

 タロットについて、賭博や占いなどの遊戯用としてではなく、学問的な研究という点では、ジェブラン氏がその創始者であったが、その後は、その著作をベースにして、色々な素人学説が出てきたけれども、結局のところ、ジェブラン氏以降は、神秘学的には全く進歩の無いものであったということです。

On his authority, there is very little doubt that everyone who became acquainted, by theory or practice, by casual or special concern, with the question of Tarot cards, accepted their Egyptian character.
彼の権威の上で、理論もしくは実践により、軽い気持ちもしくは特別な関心によって、タロットカードの問題と知り合いになった全ての人は、それらのエジプトの性質を受け入れることについては、ほとんど疑問を持ってはいなかった。

 エッティラの説は、ジェブラン氏の学説やヘルメス文書を元ネタにしていることもあり、当時はそれなりに権威があるとされ、それについて疑問を差し挟むことが出来る人はいなかったということです。
 まあ、今も昔も、こういうデマ情報を真に受けて、流される人は、絶えないのでした。

It is said that people are taken commonly at their own valuation, and--following as it does the line of least resistance--the unsolicitous general mind assuredly accepts archaological pretensions in the sense of their own daring and of those who put them forward.
世間の人々は、彼らの言うがままに普通に受け入れてしまい、そして…最も無難な方法を行うために従い…無頓着な世間一般の人の意向は、それら自身の斬新さと、それらを進める人たちの意味で、考古学的な主張を確実に受け入れると言われている。

 この「pretensions/主張」というのは、怪しげで無理やりな感じを含んだ言葉です。
 「archaological/考古学」というのは、現代においても、怪しげで無理やりな主張が多くあります。

 知識の無い一般人は、どうしても専門家気取りの怪しい人達の言葉を、割と抵抗なく受け入れてしまい、結果的に騙されてしまうということですよね。

The first who appeared to reconsider the subject with some presumptive titles to a hearing was the French writer Duchesne, but I am compelled to pass him over with a mere reference, and so also some interesting researches on the general subject of playing-cards by Singer in England.
いくつかの推定的な肩書きがある主題(タロットの歴史)を聴聞会にて再審議するために登場した最初の者は、フランス人の作家デュシェーヌであった。しかし私は、彼を単なる参照として、そしてイギリスのシンガーのトランプ遊技の一般的な主題のいくつかのおもしろい研究も、無視せざるを得ない。

 「presumptive titles/推定的な肩書き」というのは、タロットに関するジェブラン氏の様々な仮説のことを指します。
 後の時代のカードの歴史に関する研究家がこれらについて検証を試みたようですが、あまり深くはツッコミを入れることは出来なかったということです。

 デュシェーヌ氏についての情報は、わかりません。ウェイト氏も、ここでは単に名前を挙げるだけにしています。
 シンガー氏(Samuel Weller Singer, 1783-1858)は、シェークスピアの研究で有名な作家ですが、1816年に『Researches into the History of Playing Cards/遊技カードの歴史についての研究』という本を出版しています。
 いずれにしても、タロットの神秘学的な面での新しいネタは含んでいないので、ウェイト氏は、それほど重要視はしていないようです。

The latter believed that the old Venetian game called Trappola was the earliest European form of card-playing, that it was of Arabian origin, and that the fifty-two cards used for the purpose derived from that region.
後者(シンガー)は、トラッポラと呼ばれる古いベニスのゲームが、カード遊技の最古のヨーロッパの形態であり、それがアラビアの起源のものであり、目的に使用される52枚のカードがその領域に由来していたと信じていました。

 「Trappola/トラッポラ」というのは、16世紀の初めの頃、ペニスで生まれたカードゲームです。
 トランプカードの派生品みいたなもので、3,4,5,6を除いた36枚の構成になったカードゲムです。
 このカードゲームが、タロットの小アルカナ56枚に関係しているというのが、シンガー氏の説ということです。

I do not gather that any importance was ever attached to this view.
私は、どんな重要性も今までにこの視点に置かれたと推測しません。

 まあ、そんなことは、どうでもいい話だということですよね。(笑)

Duchesne and Singer were followed by another English writer, W. A. Chatto, who reviewed the available facts and the cloud of speculations which had already arisen on the subject.
デュシェーヌとシンガーの後には、この主題(タロットの歴史)に既に生じていた「有効な事実」と「憶測の疑念」を再検討した、もう一人のイギリス人の作家W. A. チャットが続いた。

 チャット氏(William Andrew Chatto, 1799-1864)は、1848年に『Facts and speculations on the origin and history of playing cards/遊技カードの起源と歴史の事実と憶測』という本を出版しています。

 チャット氏の頃には、ある程度のカード全般の歴史の検証が進んでいて、タロットについても、ある程度までは検討できるだけのネタが揃ってきたということです。

This was in 1848, and his work has still a kind of standard authority, but--after every allowance for a certain righteousness attributable to the independent mind--it remains an indifferent and even a poor performance.
これは、1848年にあった。そして、彼の業績にはまだ、ある種の標準的な説得力がある。しかし、…独立した精神に起因するある正義のためのあらゆる許容の後には…どうでもよくて貧弱でさえある実績が残る。

 まあ、割と中立的な立場で考察したのは評価するけれども、内容としてはイマイチだったという、ウェイト氏の感想です。

It was, however, characteristic in its way of the approaching middle night of the nineteenth century.
しかしながら、それは19世紀の夜中に近づいてくる方法としては独特であった。

 しかしながら、チャット氏の主張は、ウェイト氏にとっては、割と個性的で面白かったようです。
 そして、19世紀の「middle night/夜中」には、後で述べるように、タロットにおけるもう一つの重大な黒歴史イベントが発生し、その後には「Golden Dawn/黄金の夜明け」が続くことになるということですかね。

Chatto rejected the Egyptian hypothesis, but as he was at very little pains concerning it, he would scarcely be held to displace Court de Gebelin if the latter had any firm ground beneath his hypothesis.
チャットはエジプトの仮説を拒絶したが、彼はそれに関してはほとんど苦心しなかったので、後者が彼の仮説の下に何か堅固な根拠を持っていたとしても、彼は、クール・ド・ジェブランに取って代わるとは、ほとんど考えられないであろう。

 チャット氏は、自分ではある程度の証拠をつかんで確信していたのかもしれないけど、他人にきちんと説明していなかったので、誰も気に留めていなかったということです。
 まあ、いくらきちんと説明していても、タロットのエジプト起源説というのは、そう簡単には世間からは消せないんですけどね。(笑)
 エジプト風デザインのタロットは、今でもかなり人気がありますので。

In 1854 another French writer, Boiteau, took up the general question, maintaining the oriental origin of Tarot cards, though without attempting to prove it.
1854年に、別のフランス人の作家であるボワトーは、一般的な論点である、タロットカードの東洋起源の支持を、しかしそれを立証することを試みることなく、持ち出した。

 ボワトー氏(Paul Boiteau D'Ambly, 1830-1886 )は、1854年に『Les cartes a` jouer et la cartomancie/遊技カードとカード占い』という本を出版しています。フランス語の本なので、何が書かれているのかはわかりません。
 でもまあ、大した根拠も無しに、直感だけで血液型や星座や趣味や出身地を決め付けてしまうみたいな人って、確かにいますよね。

I am not certain, but I think that he is the first writer who definitely identified them with the Gipsies; for him, however, the original Gipsy home was in India, and Egypt did not therefore enter into his calculation.
私は確信してはいないが、私は彼がそれら(タロット)をジプシー(が起源である)と確定的に認定した最初の作家であると考えている。しかしながら、彼にとって、元祖のジプシーの発祥の地はインドにあり、それゆえに、エジプトは彼の計算に入っていなかった。

 タロットのジプシー発祥説とかインド発祥説というのは、現代においても、結構人気のある説ですよね。
 ジプシー発祥の元ネタはジェブラン氏ですが、歴史の研究者としてジプシー発祥を断言したのは、おそらくこの人であろうということです。

In 1860 there arose Eliphas Levi, a brilliant and profound illumine whom it is impossible to accept, and with whom it is even more impossible to dispense.
1860年に、受け入れることは不可能であり、ましてや執行することなど不可能である、輝かしく深遠な明知を得た人物である、エリファス・レヴィが現れた。

 いきなり、皮肉が込められた文章ですよね。(苦笑)
 「impossible to accept/受け入れることは不可能」というのは、常人には理解できないほど基地外じみた考え方であるということです。
 「impossible to dispense/執行することは不可能」というのは、常人には実行して結果を出すことはできないほど、基地外じみたことが書かれているということです。

 レヴィ氏(本名 Alphonse Louis Constant, 1810-1875)は、1860年に『Histoire de la Magie/魔術の歴史』という本をパリで出版しており、1913年には、ウェイト氏がそれを英訳して出版しています。
 ちなみに、それ以前の1855年に、レヴィ氏は『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等魔術の教理と祭儀』というフランス語の本を出版し、1896年にウェイト氏がそれを英訳して出版しています。

There was never a mouth declaring such great things, of all the western voices which have proclaimed or interpreted the science called occult and the doctrine called magical.
オカルトと呼ばれた科学と魔術的と呼ばれた教義を、公表もしくは解釈した(従来の)あらゆる西洋の意見の中で、そのようなすばらしいことを宣言する言葉は、いまだかつて無かった。

 非常にすばらしいと褒め称えていますが、これは明らかに皮肉がいっぱい込められている文体です。
 いつものウェイト氏のパターンですよね。(笑)
 レヴィ氏の『高等魔術の教理と祭儀』と『魔術の歴史』は日本語訳で出版されていますので、魔術に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

I suppose that, fundamentally speaking, he cared as much and as little as I do for the phenomenal part, but he explained the phenomena with the assurance of one who openly regarded charlatanry as a great means to an end, if used in a right cause.
根本的に言えば、彼は、私が現象的(驚異的)な部分についてやっていることと多かれ少かれ同じように気にしてはいたが、彼は、正当な理由に使用されるのであれば、インチキを目的を達成するための優れた手段として率直に見なした人の保証がある現象(驚異)について説明したのだ、と私は思う。

 ここでの「phenomenon/現象」は、自然現象という普通の意味ではなく、「トンデモなくすばらしい現象(笑)」とか、「メチャクチャふしぎな現象(笑)」という意味になりそうです。
 つまり、レヴィ氏は、ウェイト氏のように、いくつかの具体的な前例をベースにして魔術的理論を構築していったのですが、その具体例そのものが、オカルト学者のまるっきり信用出来ない、というか「ウソも方便のうち」の連中のものであったので、結果的には全くの絵空事であって役に立たないシロモノになってしまったということです。
 だからこそ、ウェイト氏は、オカルト仲間の根も葉も無い情報についてはあまり信用せず、そういう迷惑な連中からは少し距離を置いて接していたのではないかと思われます。

He came unto his own and his own received him, also at his proper valuation, as a man of great learning--which he never was--and as a revealer of all mysteries without having been received into any.
彼は、彼自身と、彼自身が受けたもの、また彼の適切な評価においても、優れた学識を持つ人間として、…彼は決してそうでは無かったが…、そして、誰も受け取ったことのないすべての神秘の啓示者として、あるようになった。

 レヴィ氏の魔術関連本は、かなりの人気となり、魔術界でも高い評価を受けて、魔術の達人と評され、多くの弟子も得て、フリーメーソンにも入会できるほど出世し、後の魔術団の思想にも大きな影響を与えています。
 ただ、レヴィ氏の実生活については、数々の紆余曲折があったみたいで、そんなに派手なものでもなく、割と質素だったようですね。 

I do not think that there was ever an instance of a writer with greater gifts, after their particular kind, who put them to such indifferent uses.
私は、よりすばらしい才能を持っていながら、それら(才能)の独特の性質に従って、そんなどうでもよい用途にそれらを置いた、作家の実例が、かつてあったとは思わない。

 レヴィ氏は、高い文章能力がありながら、オカルト方面の著作は見せかけだけで、実態を伴っていなかったと言いたいわけですかね。
 なんかとてもすばらしい仕事をしているように見えたけど、結局どうでもいいことばっかりしている人って、いますよね。
 でもまあ、ウェイト氏って、こんな皮肉を言ってるから、周りからも反撃を受けるんですよね。

After all, he was only Etteilla a second time in the flesh, endowed in his transmutation with a mouth of gold and a wider casual knowledge.
結局、彼は、生きている二度目のエッティラであって、彼の変化の中には、金の言葉と、より広いうわべだけの知識を授けられたに過ぎなかった。

 要するに、レヴィ氏の魔術思想は、エッティラ氏の外観だけを派手にしたマイナーなバージョンアップであって、本質的な部分については何も進化していなかったということです。

This notwithstanding, he has written the most comprehensive, brilliant, enchanting History of Magic which has ever been drawn into writing in any language.
これにもかかわらず、彼は、かつてどんな言語でも書かれたことがある中で、最も包括的で、輝かしく、魅惑的な「魔術の歴史」を書いた。

 この『History of Magic/魔術の歴史』は、1860年にレヴィ氏が出版した本のことです。
 魔法の歴史書というものは、今までにも色々な国で、色々な時代で、色々な人が書いているけれども、その中でも最も優れた著作であると言っています。
 つまり、それほど後世に対して、この本の影響力はすさまじく大きかったということですね。
 まあ、その中身については、ウェイト氏は全く評価はしていないようですけど。(笑)

The Tarot and the de Gebelin hypothesis he took into his heart of hearts, and all occult France and all esoteric Britain, Martinists, half-instructed Kabalists, schools of soi disant theosophy--there, here and everywhere--have accepted his judgment about it with the same confidence as his interpretations of those great classics of Kabalism which he had skimmed rather than read.
すべての秘教的イギリス人、マーチン主義者、半分の教えを受けたカバラ主義者、…そこやここや至る所にある…自称神智学の流派は、彼が読んだというよりむしろざっと読んだカバラ主義のすばらしい古典に関する彼の解釈と同じ自信をもって彼の判断を受け入れた。

 「esoteric Britain/秘教的イギリス人」というのは、おそらくイギリスに昔から伝わる秘教的伝統の信奉者だと思われます。イギリスの伝説といえば、聖杯伝説が有名ですよね。
 「Martinists/マーチン主義者」は、1740年頃に始まり、1886年にパピュス氏らにより「マーチン主義団」として設立されたものを指しているものと思われます。
 「half-instructed Kabalists/半分の教えを受けたカバラ主義者」は、タロットにカバラを持ち込んだ者たちであり、おそらくはGD創始者のマクレガー・マサース氏のことではないかと思われます。

 そして、レヴィ氏の魔術本に刺激されて、魔術の大ブームが起こり、あちこちに魔術団が設立されていったということですよね。

 ここは、当時の中途半端な神秘主義者と、オカルト業界の全てを敵に回すほど、ものすごい皮肉が入った文章です。
 ウェイト氏って、割と自信家なんですよね。

The Tarot for him was not only the most perfect instrument of divination and the keystone of occult science, but it was the primitive book, the sole book of the ancient Magi, the miraculous volume which inspired all the sacred writings of antiquity.
彼にとってのタロットは、占いの最も完全な道具と神秘学の根本要素であっただけではなく、それは原始の本であり、古代の魔術博士の唯一の本、古代のすべての聖なる書の啓示を受けた奇跡の書物であった。

 レヴィ氏にとって、タロットは至高にして究極の存在となったのでした。
 そして、タロットは、賭博やゲームや占いだけでなく、魔術にとっても欠かせないものになっていきました。

In his first work Levi was content, however, with accepting the construction of Court de Gebelin and reproducing the seventh Trump Major with a few Egyptian characteristics.
しかしながら、レヴィ氏は、彼の最初の著作において、クール・ド・ジェブランの解釈を受け入れて、いくつかのエジプトの特徴を用いて7番目の大アルカナを再建させることで満足していた。

 ここでレヴィ氏の最初の著作と言われているのは、おそらくは1855年に発行された『高等魔術の教理と祭儀』です。
 この本の中で、タロットの章での挿絵として、一枚だけ戦車が新たなデザインで描かれています。


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高等魔術の教理と祭儀』より「7:ヘルメスの戦車」

The question of Tarot transmission through the Gipsies did not occupy him, till J. A. Vaillant, a bizarre writer with great knowledge of the Romany people, suggested it in his work on those wandering tribes.
ジプシーを通じたタロットの伝達の問題は、ロマの人々について卓越した知識を持つ風変わりな作家であるJ. A. バイヤンが、それらの流浪の民に関する彼の著作の中で、それを提案するまでは、彼を専念させなかった。

J. A. バイヤン氏(Jean Alexandre Vaillant, 1804-1886)は、色々な経歴を持つフランスの作家で、ロマに関する著作が多くあります。その中で、『Les Romes, histoire vraie des vrais Bohemiens/ロマ、真のボヘミアンの歴史の真実』(1857年発行)の中に、レヴィ氏の魔術本に触発されたものがあったようです。

 ちなみに、「gypsy/ジプシー」という言葉は、本来は「egyptian/エジプト出身者」という意味ですが、現在では、ジプシーと呼ばれている流浪民族は、北インドのロマニ系民族の出身であると考えられています。
 ですから、ジプシーが古代エジプトのトートの書としてタロットを伝えたというのは、学術的には否定されたのですが、今度はタロットが古代インドの知恵の書となり、ロマによって伝えられたという話にスリ替えられたということのようです。

The two authors were almost coincident and reflected one another thereafter.
2人の著者は、ほとんど同時であった。そしてその後、お互いを反映した。

 レヴィ氏とバイヤン氏は、ちょうど同じ頃に著作活動をしていました。
 そして、お互いにお互いの妄想を引用し合って、さらなる妄想を深めていったということですよね。

 そして、それら影響を受けて、後になってパピュス氏は、1889年発行の『ボヘミアンのタロット』と、1909年発行の『タロット占い』という本の中で、カバラと古代エジプトと古代インドを融合させたタロットを発表しています。
 残念ながら、ここでは触れられていませんが、ライダーウェイト版タロットにも影響を与えているカードですので、参考までに掲載しておきます。

パピュス氏の『ボヘミアンのタロット』のカードの画像(22枚)

パピュス氏の『タロット占い』のカードの画像(22枚)

It remained for Romain Merlin, in 1869, to point out what should have been obvious, namely, that cards of some kind were known in Europe prior to the arrival of the Gipsies in or about 1417.
1869年に、ロマン・マーリンのために残していたことは、すなわち、ある種のそのカードが、1417年かそのあたりにジプシーが到着する前に、ヨーロッパで知られていたことが明白であるべきであったという指摘であった。

 おそらく、ロマン・マーリン氏(Romain Merlin, 1793- 1876)の『Origine des Cartes a` Jouer/カード遊技の起源』(1869年発行)の中にそういう指摘があるあるようですが、フランス語の本なのでよくわかりません。
 おそらく、マーリン氏はジプシーの存在がヨーロッパで始めて確認された記録が1417年であり、原始的なタロットカードの出現よりも遅いということを主張したのだと思われます。

But as this was their arrival at Luneburg, and as their presence can be traced antecedently, the correction loses a considerable part of its force; it is safer, therefore, to say that the evidence for the use of the Tarot by Romany tribes was not suggested till after the year 1840; the fact that some Gipsies before this period were found using cards is quite explicable on the hypothesis not that they brought them into Europe but found them there already and added them to their stock-in-trade.
しかし、これはリューネブルクへの彼ら(ジプシー)の到着であり、先だって彼らの存在が探り出されることはできるので、訂正はその説得力かなりの部分を失っている。それゆえ、ロマの部族によるタロットの使用に関する証拠が、1840年の後まで示唆されなかったと言うことの方が、より信頼できることである。この時期の前に、何人かのジプシーがカードを使用しているのが見つけられたという事実は、彼ら(ジプシー)がそれら(カード)をヨーロッパに持ち込んだのではなく、既にそこ(ヨーロッパ)にあった、それら(カード)を見つけて、彼らの商売道具に加えたという仮説で、ほとんど説明できる。

 「Luneburg/リューネブルク」はドイツ北部の都市です。
 ジプシーの存在が公式資料として確認されたのが、1417年のリューネブルクであったとしても、その他の地方ではもっさと早くからジプシーが移民していたというのは、ある程度は知られていたことです。
 ただし、ジプシーがカードを持ち込んだという記録は全く無いので、おそらくヨーロッパのイタリアあたりで生まれたタロットを、賭博や占いの道具として、ジプシーが現地で購入して使っていたというのは、当然ありうることだろうということですよね。

We have now seen that there is no particle of evidence for the Egyptian origin of Tarot cards.
我々は今や、タロットカードのエジプトの起源に関する証拠が微塵も無いということを知った。

 ということで、学術的な検討においては、タロットはエジプトが起源ではないことが、はっきりしています。

Looking in other directions, it was once advanced on native authority that cards of some kind were invented in China about the year A.D. 1120.
他の説明書を見ると、ある種のカードが西暦1120年頃に中国で発明されたことが、その土地の権威者から、かつて提唱された。

 マーリン氏の『カード遊技の起源』の本の中に、1120年頃の中国に、カードがあったと書かれています。
 フランス語の本なので、詳しくは分かりませんけど。

Court de Gebelin believed in his zeal that he had traced them to a Chinese inscription of great imputed antiquity which was said to refer to the subsidence of the waters of the Deluge.
クール・ド・ジェブランは、大洪水の水域の鎮静について言及していると言われた、偉大な転嫁された古代遺物の中国の碑文に、それら(タロットの元ネタ)を探し出したということを、熱心に信じていた。

 ジェブラン氏の『原始の世界』の第8巻には、エジプト起源説以外に、中国起源説についての条項があり、その中に上記のことが書かれています。
 「Deluge/大洪水」は、聖書に出てくるのノアの時代の大洪水のことを指しています。
 これは伝え聞きみたいな記事ですので、割とどうでもいいネタなのでしょうけどね。

The characters of this inscription were contained in seventy-seven compartments, and this constitutes the analogy.
この碑文の文字は77の区画の中に入っており、そして、これは類推を構成している。

 この話は、ジェブラン氏の『原始の世界』の第8巻にあります。
 7という数字は、タロットに限らず、西洋神秘主義的には、おいしいネタが多くありますしね。
 21とか22とか77とか78とか、タロットに関連付けされる数字は、色々あります。

India had also its tablets, whether cards or otherwise, and these have suggested similar slender similitudes.
また、インドには、カードもしくは別のものにかかわらず、書字板があり、そして、これらは同様にわずかな類似を示唆している。

 「tablet/書字板」というのは、文字を刻むための木や金属や石、象牙や粘土などの板のことです。
 古代インドのインダス文明の頃より、インドにはこういう石や粘土の文字板に絵や文字を刻んだものがあるようです。

But the existence, for example, of ten suits or styles, of twelve numbers each, and representing the avatars of Vishnu as a fish, tortoise, boar, lion, monkey, hatchet, umbrella or bow, as a goat, a boodh and as a horse, in fine, are not going to help us towards the origin of our own Trumps Major, nor do crowns and harps--nor even the presence of possible coins as a synonym of deniers and perhaps as an equivalent of pentacles--do much to elucidate the Lesser Arcana.
しかし、例えば、10の組や型、12の数字のそれぞれ、そして、ヴィシュヌ神の化身を意味する魚、亀、イノシシ、ライオン、猿、斧、傘か弓、ヤギ、仏陀、そして馬、という存在というのは、要するに、我々自身の大アルカナの起源のために我々を助けようとしないし、王冠を頂いたりしないし、ハープを奏でたりしないし、…ドニエ貨の同義語として、そしておそらく五芒貨の同等物としての可能な貨幣の存在でさえ…小アルカナの解明するためには十分というわけではない。

 「Vishnu/ヴィシュヌ神」は、ヒンズー教の神で、10の姿に変身して地上に現れるとされており、パピュス氏の『タロット占い』の本の中で、言及されています。
 また、「denier/ドニエ貨」は、昔のフランスの硬貨のことですね。

 結局のところ、世間にある様々な類型というのは、大アルカナの解明には、ほとんど役には立たないということです。
 また、小アルカナでさえ、そういう類型というものには、あまり関連性というのが見えてこないということですかね。

If every tongue and people and clime and period possessed their cards--if with these also they philosophized, divined and gambled--the fact would be interesting enough, but unless they were Tarot cards, they would illustrate only the universal tendency of man to be pursuing the same things in more or less the same way.
もし、あらゆる言語、民族、風土、および時代が、それらのカードを所有し、…もしこれらを用いて、また彼らが哲学や、占いや、賭け事をしていたなら…その事実は十分に興味のあるものであろう。しかし、それらがタロットカードでなければ、それらは多かれ少なかれ同じような方法で追求している人間の普遍的な傾向だけを例証するであろう。

 つまり、カードゲームには、世間にある類型と、割と共通している何かが存在するわけです。
 ところが、タロットというのは、そういうカードゲームとは違う何かがある、と言いたいわけですよ。

I end, therefore, the history of this subject by repeating that it has no history prior to the fourteenth century, when the first rumours, were heard concerning cards.
私は、したがって、カードに関する最初の噂が聞かれた時である14世紀より前に史実が無いことを重ねて言うことで、この主題(タロット)の歴史を終える。

 つまり、古代エジプトや古代中国や古代アラビアや古代インドが発祥であるという伝説は、学術的には根も葉もないものであり、単なる妄想であると、ここで断言しています。
 そして、過去の歴史を表面的に探っても、決して見えてこない何かがタロットの中に存在することを、ウェイト氏は暗示しているのです。

They may have existed for centuries, but this period would be early enough, if they were only intended for people to try their luck at gambling or their luck at seeing the future; on the other hand, if they contain the deep intimations of Secret Doctrine, then the fourteenth century is again early enough, or at least in this respect we are getting as much as we can.
それら(タロット)は何世紀にもわたって存在したのかもしれないが、それらが、人々が賭け事で彼らの幸運を、もしくは未来を見るために彼らの運勢を試すことを意図しただけであるならば、この期間というのは十分に早いだろう。その一方で、もしそれらが、秘密の教義の深い暗示を含んでいるのならば、14世紀というのは、また十分に早いのであり、もしくは少なくともこの点では、私たちはできるだけ多くのものを得ているところである。

 14世紀から今日まで存在しているというのは、どちらにしろ十分な時間であり、それ以前から存在している必要性は特に無いよ、ということですかね。
 つまり、太古のエジプト起源説や中国起源説を持ち出さなくても、賭け事や占いや神秘主義への応用には全く問題がないし、そんな昔のことをあれこれ詮索しなくても、今ある情報だけで、お腹いっぱいという感じですかね。
 まあ、私としては、タロットの歴史的なものには少しは興味はありますが、知っていたところで、こういう時の話のネタにしかならないわけなので、ここで長々とタロットの歴史解説を続けられても困るということもあります。(笑)

 この章は、そんな過去の未練を断ち切って、これからオレが、本当に新しい時代のタロットを作ってやるぜ!という、ウェイト氏の意志の表れなのかもしれません。
 そして、タロットというものは、過去の特定の人種や地域や歴史に属するものではなく、より汎用的で普遍的で現在進行形的なものであり、この宇宙の全てを含むものであるということを、言いたいのかもしれませんね。


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