ライダーウェイト・タロット解説

PART II The Doctrine Behind the Veil
ベールに隠された教義
§1 THE TAROT AND SECRET TRADITION
タロットと秘密の伝説


 このPartUが、この本の実質メインの章であり、その中での概説部分が、この§1となります。
 ウェイト氏は、ヤル気満々ですので、豊富なオカルトの知識に基づく、上級者向けの濃いネタが続きます。(笑)

THE Tarot embodies symbolical presentations of universal ideas, behind which lie all the implicits of the human mind, and it is in this sense that they contain secret doctrine, which is the realization by the few of truths imbedded in the consciousness of all, though they have not passed into express recognition by ordinary men.
タロットは、人間の精神の中に潜在的に含まれるもの全てに横たわるものの背後にある、普遍的な思想の象徴的な表現を具体化している。それはまた、それら(タロット)が、一般の人には明確な認知として伝えられないけれども、すべての意識に埋め込まれていた選ばれた真実(を知る者)により現実化した秘密の教義を含んでいることを意味する。

 少々回りくどい言い方ですが、タロットというものは、人間の意識深くに潜在しているものを、選ばれた者だけによる神秘主義団体に伝わる象徴主義という表現形式を用いて、絵という形で具体化したもの、ということですね。 

 ということで、魔術団のリーダーでもあったウェイト氏は、いきなり一般人を排除してます。(笑)
 そもそも、大アルカナは、一般人が通常の意識下において理解できるような、俗っぽいシロモノではないということですよね。
 ちなみに、私はごく普通の人なので、いまだに大アルカナは理解できていません。

The theory is that this doctrine has always existed--that is to say, has been excogitated in the consciousness of an elect minority; that it has been perpetuated in secrecy from one to another and has been recorded in secret literatures, like those of Alchemy and Kabalism; that it is contained also in those Instituted Mysteries of which Rosicrucianism offers an example near to our hand in the past, and Craft Masonry a living summary, or general memorial, for those who can interpret its real meaning.
学説では、この手の教義は常に存在しているのであるが…すなわち、選ばれた少数者の意識の中で案出されたということであり、そしてそれは、ある者から別の者へと秘密の中で永続させられ、錬金術やカバラのような秘密文献に記録されているということであり、そしてそれはまた、薔薇十字団が過去において我々の手の近くにある例を提供した神秘主義団体の中に含まれており、メイソンリーは、その本当の意味を解釈することができる人々のための、生きている要約、すなわち全般的な記念物であるということである。

 ウェイト氏は、タロットの出生に関する、いかがわしげな学説については否定的でしたので、その延長にある懐疑的な言い回しです。
 まあ、タロットや魔術団体の名前を売り出すために、色々とそれっぽい宣伝文句を付けるのは、商売上は重要なことですけどね。
 オカルト的な資料については、否定もしないし、盲信もしないが、役に立つ部分は取り入れていくという、研究者的な考え方が必要ということです。

Behind the Secret Doctrine it is held that there is an experience or practice by which the Doctrine is justified.
秘密の教義の背後には、その教義が正当化される経験や実践があるということは考えられる。

 「Secret Doctrine/秘密の教義」というのは、神秘主義団体内部の精通した者だけが知る教義であり、部外者には教えることは無く、たとえ教えてもらっても理解できないものですよね。
 単なる知識ではなく、修行を通して、経験や実践により身に付く教えみたいなものです。
 学校やネットで得た言葉や文字だけの知識をひけらかす若輩者よりも、多くの苦難の道を乗り越えてきた経験を持つ熟練者の方が、より多くの「神秘の技」を持っているということですね。

It is obvious that in a handbook like the present I can do little more than state the claims, which, however, have been discussed at length in several of my other writings, while it is designed to treat two of its more important phases in books devoted to the Secret Tradition in Freemasonry and in Hermetic literature.
この本のような手引書においては、私は、いくつかの主張を述べることができるにすぎないというのは明らかである。しかしながら、それら(私の主張)は、私の他の著作のいくつかで詳細に論じられ、そして、フリーメーソンとヘルメス文学の中にある秘密の伝統に専念した本の中でより重要な語句のうちの2つのものについて論じることが企画されている。

 この本は、あくまでも「タロット入門本」の位置付けですので、読者そっちのけで、魔術オタク向けのオカルトネタをバリバリ書いていては、出版社が怒ります。
 というわけで、そっち方面のネタが好きな人は、その手の本も出していますので、良かったら買ってね♪、というウェイト氏の自己宣伝でした。

 で、「重要な語句のうちで2つ」という思わせぶりなセリフが出てきますが、これは後に出てくる
 ・material side/物質的・肉体的な面
 ・spiritual side/精神的・霊的な面
というものですね。

As regards Tarot claims, it should be remembered that some considerable part of the imputed Secret Doctrine has been presented in the pictorial emblems of Alchemy, so that the imputed Book of Thoth is in no sense a solitary device of this emblematic kind.
タロットについての主張という点については、「秘密の教義」に帰属するいくつかの注目すべき部分が、錬金術の図章化された寓意画の中に呈示されていたということを思い出すべきであり、それゆえ、「トートの書」に帰属するものは、この象徴的な種類の唯一の道具ということでは決して無いということである。

 「Book of Thoth/トートの書」というものは、タロットを勉強していると良く出てくるネタですが、これは古代エジプトの神であるトートが書き記したと言われている、伝説の「魔法の書」みたいなものです。
 タロットの世界では、アレイスター・クロウリー(Aleister Crowley)の書いた『トートの書』も有名ですが、これは1944年に発表された作品なので、ここでは無関係です。
 ここの文章はおそらく、ジェブラン氏の『原始の世界』で、タロット愛好家の共同執筆者である"M. Le C. de M.***"氏が「タロットはトートの書である」的なことを書いていますので、それを揶揄しているのだと思われます。
 つまり、「トートの書」というのは、タロットだけでなく、様々な錬金術や魔術、オカルトに共通の「古典的ネタ」であり、誰かが商標登録して独り占めにするようなものでは無いということですよね。
 それゆえ、遊戯王のデッキはトートの書の生まれ変わりである、と言ってもいいわけなのです。←さりげない嘘

Now, Alchemy had two branches, as I have explained fully elsewhere, and the pictorial emblems which I have mentioned are common to both divisions.
さて、私が他の所で十分に説明したように、錬金術は2つの枝を持っており、そして、私が言及している(錬金術の)図章化された寓意画は、両方の部分に共通している。

 「elsewhere/他の所」というのは、この本だけでなく、ウェイト氏名義の他の著作も含みますが、色々ありすぎて、どこの部分かは特定できません。
 とりあえず、2つの枝とは、先に書いたように、
 ・material side/物質的・肉体的な面
 ・spiritual side/精神的・霊的な面
というものです。
 この分類は、タロットの大アルカナ(spiritual side)と小アルカナ(material side)にも通じるものがありますよね。

Its material side is represented in the strange symbolism of the Mutus Liber, printed in the great folios of Mangetus.
その(錬金術の)物質的な側は、マンゲタス氏の大きな二つ折り判に印刷された、『沈黙の書』の奇妙な象徴主義の中に表現されている。

 『Mutus Liber/沈黙の書』は、ラテン語のタイトルですが、フランス西部沿岸にあるラ・ロシェル(La Rochelle)で1677年に発行された、錬金術の「賢者の石」を生成する工程を、文字で説明せずに図版のみで表現した図版です。
 その図版は、1702年のジュネーヴでラテン語で発行された、マンゲタス氏(Mangetus, Johannes Jacobus)による『Bibliotheca chemica curiosa/神秘化学論集』の中で復刻され、わけわからない解説付きで掲載されて、当時のオカルト界で大きな話題になったようです。
 なお、「folios/2つ折り判」というのは、本のサイズのことで、日本のB4よりも大きいサイズであり、かなり大判の本です。

 日本でも、白水社のヘルメス叢書から『沈黙の書・ヘルメス学の勝利』というタイトルで、様々な人の解説付きの翻訳本が出版されていますので、興味のある人は読んでみてください。
 私は読むこと自体、すぐに挫折しましたが・・・。(苦笑)


『Mutus Liber/沈黙の書』その[1]

[2],[3],[4],[5],[6],[7],[8],[9],[10],[11],[12],[13],[14],[15]
クリックで拡大

There the process for the performance of the great work of transmutation is depicted in fourteen copper-plate engravings, which exhibit the different stages of the matter in the various chemical vessels.
そこには、(錬金術の)変成についての偉業の実行の工程が、14枚の銅板の彫刻に描写されており、それらは様々な化学の容器の中での物質の異なる段階を提示している。

 ちなみに、『Mutus Liber/沈黙の書』は銅板エッチングで凹版印刷されており、その図版は14枚ではなく15枚なのですが、表紙扱いの1枚目を除外してカウントしたのか、単なる誤記なのかは不明です。

Above these vessels there are mythological, planetary, solar and lunar symbols, as if the powers and virtues which --according to Hermetic teaching--preside over the development and perfection of the metallic kingdom were intervening actively to assist the two operators who are toiling below.
これらの容器の上には、神話や惑星や太陽や月のシンボルがあり、それはまるで、金属の王国の進化と完成を統轄する力と美徳が…錬金術の教えに従って…下で働いている2人の操作者を支援するために積極的に介入していたかのようである。

 錬金術は、神や大自然の超越的な力を利用しているので、神話や占星術(惑星や太陽や月)とは、密接な関係があります。
 なお、「Hermetic/錬金術の」は、本来はギリシャ神話の「Hermes/ヘルメス神」に関する言葉なのですが、ヘルメス神が錬金術に深く関わっているとされており、オカルト世界では「Hermetic」というのは「錬金術」と同意語となっています。
 ちなみに、オカルト世界以外では「Hermetic」という言葉は違う意味で普通に使われますので、要注意ですね。

The operators--curiously enough--are male and female.
操作者は…不思議なことに…男性と女性である。

 錬金術の作用は、「陽」と「陰」の両方が必要という暗示ですよね。
 この陰陽のバランスの考えは、タロットの図柄のあちこちにも出てきています。

The spiritual side of Alchemy is set forth in the much stranger emblems of the Book of Lambspring, and of this I have already given a preliminary interpretation, to which the reader may be referred.[1: See the Occult Review, vol. viii, 1908.]
錬金術の精神的な側は、『ラムスプリングの書』の、より大いに奇妙な寓意画の中に説明されている。また、私はこれに関する予備的解釈を既に発表しており、読者はそれを参照するとよい。[1:オカルトレビュー第8巻(1908年発行)を参照]

 『Book of Lambspring/ラムスプリングの書』は、Lambspringと名乗る著者が、錬金術に関する解説をする、奇妙な内容の本です。
 この本は、最初に1599年にNicholas Barnaud氏により「Triga Chemica: De Lapide Philosophico」というタイトルで発行されたもので、15枚の錬金術に関する不思議な図版が掲載されています。
 こちらも、ヘルメス叢書で『賢者の石について・生ける潮の水先案内人』というタイトルで出版されていますので、興味のある方は参考にしてください。
 ちなみに「Lambspring/子羊の跳躍(春、泉、源)」という名前ですが、これは「Lamb/神の子羊」すなわちイエス・キリストのことを暗示しているのかもしれませんね。

 なお、『Occult Review/オカルトレビュー』というのは、当時人気のオカルト雑誌みたいなもので、ウェイト氏以外にも、他の魔術関連の人も、色々と記事を投稿しています。今の雑誌だと、学研の「ムー」みたいな存在なのかもしれませんね。
 このオカルトレビューには、ウェイト氏の錬金術に関する記事がいくつか掲載されていますので、興味のある人は探してみてください。

The tract contains the mystery of what is called the mystical or arch-natural elixir, being the marriage of the soul and the spirit in the body of the adept philosopher and the transmutation of the body as the physical result of this marriage.
その小冊子は、神秘的もしくは大自然のエリクシルと呼ばれるものの秘密、熟達した哲学者の体内における魂と精霊の結婚の存在、および、この結婚の肉体的な結果としての身体の変化、というものを含んでいる。

 この「tract/小冊子」は、『ラムスプリングの書』を指してます。
 つまり、このエリクシルという薬の秘密を解き明かすことにより、病気にもかからず、老いて死ぬこともなく、色あせることのない「黄金」の輝きのように、ずっと美しいままの姿で生きていくことが出来るよという、おとぎ話が書かれているよ、ということです。

 ちなみに、「elixir/エリクシル」はラテン語読みで、英語読みだと「エリクサー」ですが、これは本来は練金薬、すなわち卑金属を金に変える薬のことで、後に不老不死の霊薬ともされ、どんなダメージでも回復する万能薬としてゲームなどの回復アイテムでも有名ですね。

I have never met with more curious intimations than in this one little work.
私は、この1つの小さな作品でよりも不思議な暗示に遭遇したことがない。

 「this one little work/この1つの小さな作品」というのも、『ラムスプリングの書』を指します。
 確かに、現代においても、わけわからないムチャクチャな内容が書かれていますけどね。

It may be mentioned as a point of fact that both tracts are very much later in time than the latest date that could be assigned to the general distribution of Tarot cards in Europe by the most drastic form of criticism.
その両方の小冊子は、文芸批判の最も徹底的な形式によって、ヨーロッパにおいてタロットカードの一般的な流通(状態になった)と定めることができた一番最後の期日よりも、ずっと後の時代であるという事実の点として言及されるかもしれない。

 「that both tracts/その両方の小冊子」は、もちろん『沈黙の書』と『ラムスプリングの書』を指します。
 「the most drastic form of criticism/文芸批判の最も徹底的な形式」というのは、揚げ足取りの形式のみにこだわって、その本質を考えようとしない薄っぺらな批評家達の行動を、ウェイト氏が皮肉っている文章です。
 おそらく、オカルトレビュー誌上では、ウェイト氏はそういう批評家達と、色々な悶着があったのでしょうね。(笑)

They belong respectively to the end of the seventeenth and sixteenth centuries.
それらは、17世紀、および16世紀末にそれぞれ属している。

 前述のように、『沈黙の書』は1677年(17世紀)の発行で、『ラムスプリングの書』は1599年(16世紀末)の発行です。
 一方で、タロットは、15世紀後半には手描きのヴィスコンティ・スフォルツァ版が出ており、木版画による量産は16世紀頃に始まっていますので、これらの錬金術文書の発行時期よりも早くからヨーロッパ圏に流通していたのは確かです。

As I am not drawing here on the font of imagination to refresh that of fact and experience, I do not suggest that the Tarot set the example of expressing Secret Doctrine in pictures and that it was followed by Hermetic writers; but it is noticeable that it is perhaps the earliest example of this art.
私は、事実と経験のそれ(タロットと錬金術の関係の問題)を活気づけるための、想像力の源泉をここに引き出していないので、タロットが絵の中に秘密の教義を表現することの例を示し、そしてそれが錬金術の作家により追従されたということは提案しない。しかしそれ(タロット)は、おそらくこの芸術の最も初期の例であることは注目すべきことである。

 タロットの方が先に出現しているので、タロットのネタを丸々パクって『沈黙の書』や『ラムスプリングの書』が書かれたということではないけれども、おそらくは、ネタの一部として参考にされた可能性は高いと思われます。
 とはいえ、タロットが神秘主義の最初の絵画表現作品であるということでもありませんので、この入門書では、歴史的経緯については深入りする話題では無いです。

 大事なことは、タロットと神秘主義、そしてタロットと錬金術の間には、密接な関係があり、それらを理解せずにタロットの本質を知ることは難しいということですね。表面的な意味だけを覚えても、本当のタロットを知っていることにはならないということです。

It is also the most catholic, because it is not, by attribution or otherwise, a derivative of any one school or literature of occultism; it is not of Alchemy or Kabalism or Astrology or Ceremonial Magic; but, as I have said, it is the presentation of universal ideas by means of universal types, and it is in the combination of these types--if anywhere--that it presents Secret Doctrine.
それ(タロット)はまた、最も普遍的なものである。なぜならば、それは、(年代や作者の)特定もしくは他の方法によって、神秘主義のどれか一つの学派や文芸作品の派生物ではないからである。それは、錬金術やカバラや占星術や儀式魔術の(どれか一つの派生物)ではない。しかし、私が言ったように、それは一般的な様式による一般的な観念の表現であり、これらの様式の組み合わせの中にあり、…いずれにしても…それは秘密の教義を提示しているのである。

 絵画表現というのは、おそらく人類の全ての歴史において、神秘主義の思想を具現化するための一般的な様式であるということですよね。
 石器時代に描かれた絵にも、現代の絵にも、その中には簡単には言葉に出来ない多くの不思議が隠されています。
 そして、タロットに含まれている神秘思想は、錬金術やカバラや占星術や儀式魔術のどれか一つに属するということではなくて、色々なオカルト要素を組み合わせて再構成したものとなっています。

That combination may, ex hypothesi, reside in the numbered sequence of its series or in their fortuitous assemblage by shuffling, cutting and dealing, as in ordinary games of chance played with cards.
"仮説"によれば、その組み合わせは、その一組の番号付けられた順番の中に存在するかもしれないし、通常の賭け事のカードゲームのように、シャッフルし、カットし、配分されることによる、それらの偶然の集まりの中に存在するかもしれない。

 つまり、タロットのデッキの数字の並びというものは、
 (1) きちんと神秘主義に基づいて設計されたものであり、カードに付けられた数字には重要な意味がある。
 (2) 偶然にそうなっているだけであって、カードに付けられた数字は特に重要な意味を持たない。
ということです。

 もちろん、意味付けが大好きで、魔術大好きなウェイト氏ですので、この本では(1)の説をメインにしています。
 そして、思い切った数字の割り当ての変更(8-11交換)も、行っています。
 ただし、カードの数字の割り当てや意味はともかく、「0:愚者」の置き場所には悩んだみたいですね。

Two writers have adopted the first view without prejudice to the second, and I shall do well, perhaps, to dispose at once of what they have said.
2人の著述家が、第2への偏見のない第1の見解を採用しており、そして私は、彼らが述べたことを直ちに処理するために、おそらく、うまくやるだろう。

 過去に「カードに付けられた数字の重要な意味」について書いていた人間が2人いるということですが、それ以前には、数字の意味については、それほど深くは追求されてはいなかったということです。
 ウェイト氏は、この2人よりも、さらに深い数字ネタを追求していく予定のようです。
 なお、「dispose/処理する」という言葉は、「捨てる」という意味もありますので、過去の著述家の意見を否定して、ウェイト氏が独自見解を打ち出す意図もありそうです。

 とりあえず、過去の「カードに付けられた数字の重要な意味」について書いていた最初の人、つまり前座ネタとして挙げられたのは、当時の現役魔術師であった、マサース氏です。

Mr. MacGregor Mathers, who once published a pamphlet on the Tarot, which was in the main devoted to fortune-telling, suggested that the twenty-two Trumps Major could be constructed, following their numerical order, into what he called a "connected sentence."
マクレガー・マサース氏は、彼はかつて『タロット』の小冊子を刊行し、それは主に占いに専念したものだったが、22枚の大アルカナは、それらの数字の順序に従って、彼が「連結した文」と呼んだものへと構築されることができることを提案した。

 マクレガー・マサース氏(Samuel Liddell MacGregor Mathers, 1854-1918)は、1888年に設立されたゴールデン・ドーンの創設者の一人であり、三人の首領の一人でしたが、1900年には団から追放されて、その後に別の魔術結社「A∴O∴」で活動しています。
 色々と問題の多い人だったみたいで、ウェイト氏とも仲は良くなかったみたいでしたが、ウェイト氏も色々と問題のある言動をしていますので、お互い様といったとこですかね。

 なお、マサース氏は、オカルト関係の著作や翻訳も多く手がけていて、1888年の『Tarot/タロット』という40ページくらいの著作の中で、タロットの大アルカナを「connected sentence/連結した文」と呼んでいます。
 参考までに、以下にその部分を引用しておきます。

『Thus the whole series of the twenty-two trumps will give a connected sentence which is capable of being read thus:--The Human Will (1) enlightened by Science (2) and manifested by Action (3) should find its Realisation (4) in deeds of Mercy and Beneficence (5). The Wise Disposition (6) of this will give him Victory (7) through Equilibrium (8) and Prudence (9), over the fluctuations of Fortune (10). Fortitude (11), sanctified by Sacrifice of Self (12), will triumph over Death itself (13), and thus a Wise Combination (14) will enable him to defy Fate (15). In each Misfortune (16) he will see the Star of Hope (17) shine through the twilight of Deception (18); and ultimate Happiness (19) will be the Result (20). Folly (0), on the other hand, will bring about an evil Reward (21).
このように、22枚の切り札(大アルカナ)の全系列は、このように読まれることができる「連結した文」を与えるだろう。…「科学(知識)」(2)により教化され、「実行」(3)により明示される人間の「意志」(1)は、その「実現」(4)を「慈悲と善行」(5)の行為の中において見い出すべきである。この「賢明な気質」(6)は、「運命」(10)の変動を乗り越え、「均衡」(8)と「思慮分別」(9)を通じて、彼に「勝利」(7)を与えるだろう。自分自身の「犠牲」(12)により神聖化された「剛毅」(11)は、「死」(13)自体を克服し、そして、このように、賢明なる「組み合わせ」(14)は、彼が「宿命」(15)に挑むことを可能にするだろう。各々の「不運」(16)の中で、彼は「希望」(17)の星が、「偽り」(18)の薄明かりを通して輝くのを見るだろう。そして、究極的な「幸福」(19)が、「結末」(20)となるだろう。他の一方では、「愚行」(0)は、邪悪な「報酬」(21)をもたらすであろう。』

 よくある、こじつけの文章ではありますが、こういうふうに一連のカードの並びに色々とストーリーを仕立てて遊ぶのも、割と面白いと思います。(笑)

It was, in fact, the heads of a moral thesis on the human will, its enlightenment by science, represented by the Magician, its manifestation by action--a significance attributed to the High Priestess--its realization (the Empress) in deeds of mercy and beneficence, which qualities were allocated to the Emperor.
それは、実際には、人間の意志に関する道徳の題目の見出しであり、魔術師で表された科学によるその教化、…高等女司祭に帰着された意味の…実行によるその明示、皇帝に割り当てられた性質である慈悲と善行の行為の中におけるその実現(女帝)であった。

 ウェイト氏のこのカードの意味の割り当ては、先のマサース氏のものとは違いますね。

カード マサース説 ウェイト説
魔術師(1) 意志 科学
高等女司祭(2) 科学 実行
女帝(3) 実行 実現
皇帝(4) 実現 慈悲と善行
法王(5) 慈悲と善行

 この食い違いの原因は、おそらく「愚者(0)」のカードの解釈によるものです。
 マサース氏は、従来通りの、位置の定まらない「愚者=愚行」という解釈でしたが、ウェイト氏は、「愚者」を大アルカナの先頭に配置して人間の「意志」の始まりと考える近代的な解釈となっているようです。

He spoke also in the familiar conventional manner of prudence, fortitude, sacrifice, hope and ultimate happiness.
彼は、そしてまた、思慮分別、剛毅、犠牲、希望、そして究極的な幸福について、よく知られている従来の方法で話した。

 マサース氏は、『タロット』の本の中で、思慮分別(9)、剛毅(11)、犠牲(12)、希望(17)、そして究極的な幸福(19)という呼び方で、大アルカナについて色々と語っていますが、これは基本的に、マルセイユ版時代の従来解釈を踏襲したものとなっています。
 ウェイト氏は、そういった世俗的な従来解釈が嫌いで、新しい解釈のカードをデザインしたということです。

But if this were the message of the cards, it is certain that there would be no excuse for publishing them at this day or taking the pains to elucidate them at some length.
しかし、もしこれがカードのメッセージであったとするならば、相当詳しくそれらを解明するための苦労をするより前に、今日それらを出版したことに対して弁解の余地が無いということは確かである。

 要するに、世間の低俗なタロット解釈を鵜呑みにして出版してしまったマサース氏に対する嫌みの言葉です。
 当時現役バリバリの魔術師であったマサース氏に対して、正面から喧嘩売ってますので、当然ながら反発は食らいますよねー。
 でもまあ、マサース氏にとっても、この占いマニア向けの『タロット』という本を書いたのは、ゴールデン・ドーンの魔術師としての黒歴史でしたが。(笑)

In his Tarot of the Bohemians, a work written with zeal and enthusiasm, sparing no pains of thought or research within its particular lines--but unfortunately without real insight--Dr. Papus has given a singularly elaborate scheme of the Trumps Major.
パピュス博士は、彼の「ボヘミアンのタロット」、その特別な線(大アルカナ)の中に、思考と研究の労を惜しまず、熱意と熱中で書かれた著作の中で、…しかし不運にも真の洞察力を持たずに…大アルカナの不思議で手の込んだ図式を発表した。

 過去の「カードに付けられた数字の重要な意味」について書いていた二つ目の人の登場です。
 パピュス氏(本名Gerard Encausse, 1865-1916)は、フランスのオカルト研究家であり、「le Tarot des bohemiens(原著はフランス語)/ポヘミアンのタロット」という著作を1889年に出版しています。
 ちなみに、この本のタイトルは、パピュス氏は、タロットは古代エジプト発祥の聖典であり、それが「ジプシー(エジプト人が語源)」を通じて現代へと伝えられたと考え、当時のフランスのジプシーは、主にボヘミア地方から流入していたので、ジプシーのことを「ボヘミアン(ボヘミア人が語源)」と呼んでいたからです。
 もちろん、破れかけのタロットを投げた歌とは何の関係もありません。(笑)

It depends, like that of Mr. Mathers, from their numerical sequence, but exhibits their interrelation in the Divine World, the Macrocosm and Microcosm.
それは、マサース氏のそれのように、それらの数字の連鎖に依存してはいるが、神の世界、大宇宙および小宇宙におけるそれらの相互関係を明らかにしている。

 マサース氏のような、占い遊びみたいに数字にこじつけた言葉だけではなく、パピュス氏はもっと色々なネタを使って、より奇妙で不可思議なこじつけ、いや魔術の世界で言うところの「照応」とか「秘密の鍵」というものを考え出したということです。
 実際、パピュス氏は魔術関連の様々な著作がありますし、本職は医者でしたので、人間に対する洞察力もあります。
 そして、当時のオカルト界においては、割と高学歴、高収入であり、知識量もトップクラスの著名人でしたので、ウェイト氏はパピュス氏のことは、さほど悪くは言っていないですね。
 でも、それでもオレ様の方がもっと偉いと言うのが、ウェイト氏なのでした。←微妙にコンプレックス入ってます。(笑)

In this manner we get, as it were, a spiritual history of man, or of the soul coming out from the Eternal, passing into the darkness of the material body, and returning to the height.
この方法で、我々は、言うなれば、人の、すなわち神から出る魂の、物質的な肉体の暗闇へと入り、高い場所へと戻るという、霊的な歴史を知る。

 人の魂は神の分身であり、地上界へと降りてきて肉体に宿り、肉体が滅びた後は天界に戻るという、よくある話です。
 大アルカナが、単純な俗世界での占い用途ではなく、天上界の法則その中に秘めているということであれば、これは基本中の基本ですので、ベタではありますが決して外してはならないポイントですよね。

I think that the author is here within a measurable distance of the right track, and his views are to this extent informing, but his method--in some respects-confuses the issues and the modes and planes of being.
私は、著者(パピュス氏)は、正しい進路の測定可能な距離の範囲内のここにあり、そして彼の見解は、この範囲の通知にあると思う。しかし彼の方法は、…いくつかの点で…論点と方法と存在の次元を混同している。

 パピュス氏は、方向性としては大体正しいんだけど、細かいところでちょっと残念なところがあるよね、と言いたいウェイト氏なのでした。

The Trumps Major have also been treated in the alternative method which I have mentioned, and Grand Orient, in his Manual of Cartomancy, under the guise of a mode of transcendental divination, has really offered the result of certain illustrative readings of the cards when arranged as the result of a fortuitous combination by means of shuffling and dealing.
大アルカナは、また、私が言及した別の方法でも論じられており、グランド・オリエントは、彼の「占いの手引き書」の中で、先験的な占いの方法の装いの下で、シャッフルと配分による偶然の組み合わせの結果として配列された時の、カードの確実な実例の解釈の結果を、本当に提案している。

 この「alternative method/別の方法」というのは、ちょっと前に書かれている"仮説"のもう一方の説のことで、「通常の賭け事のカードゲームのように、シャッフルし、カットし、配分されることによる、それらの偶然の集まりの中に存在する」という部分を指しています。

 まあ、前にも説明している通り、グランド・オリエントはウェイト氏の占い関連の著作で使っているペンネームですので、見えすいた自己宣伝ですけど。(笑)

 ちなみに、魔術目的でタロットを使用する際には、タロットの数字の順番を大事にしますし、カードをシャッフルすることも少ないです。
 占いの場合は、シャッフルが前提ですし、展開されたカードの数字の順番については、解釈上ではあまり意味を持ちません。
 つまり、最初の方法(数字を重視)は魔術用途、二番目の方法(数字を重視しない)は、占術用途がメインと言うこともできます。

 占いやってる人って、割と理論無視の実践重視なので、カードとオカルトの関わりについては、あまり興味の無い、というか面倒な理屈は苦手な人が多いというのはあります。
 言い返せば、魔術系の人は、現実逃避の原理マニアで、理屈っぽい人ということにもなりますか。
 魔術マニアは男性が多くて、占術マニアに女性が多いというのも、この辺りに関係があるということですかね。
 魔術と魔女術、占術の間には、時として越えられない壁があるというのは、経験上知っていますが。(笑)

The use of divinatory methods, with whatsoever intention and for whatever purpose, carries with it two suggestions.
占いの方法での使用は、意図が何であれ、どんな目的であれ、それに2つの示唆をもたらす。

 タロットを占い目的で使っていると、他のカードを使った占いと比較して、2つの大事な違いに気づくよね、ということです。
 一つは、「タロットは、現実よりもより深い意味を持つ。」、そしてもう一つは「タロットは、占いがメインの目的ではない。」ということです。
 現実の問題解決にタロット占いを適用し、そういう意図や目的に何の疑問を持たないタロット占い師の現状を、やんわりと否定しています。

 ウェイト氏は、当時の最先端のオカルト理論を駆使して、タロット占い界を改革しようとしたのですが、残念ながら現在に至っても、ごく一部の人の間でしか理解されていないのが現状なんですけどね。

It may be thought that the deeper meanings are imputed rather than real, but this is disposed of by the fact of certain cards, like the Magician, the High Priestess, the Wheel of Fortune, the Hanged Man, the Tower or Maison Dieu, and several others, which do not correspond to Conditions of Life, Arts, Sciences, Virtues, or the other subjects contained in the denaries of the Baldini emblematic figures.
実在する(意味)よりも、より深い意味が帰属していると考えられるかもしれないが、これは、人生、芸術、科学、徳、あるいはバルディーニ氏の象徴的な図案の10枚たちに含まれていた他の主題などの状態とは一致しない、魔術師、高等女司祭、運命の輪、吊られた男、塔あるいは"神の家"、そしていくつかの他のもののような、ある特定のカードの事実によって処理される。

 「Maison Dieu/神の家」というのは、フランス語で、ジェブラン氏の『原始の世界』の中で16番(塔)のカードに付けられていたタイトルです。
 バルディーニ氏(Baccio Baldini, 1436- 1487)は、イタリアの彫刻家であり、1470年頃に作られたタロットに似た「マンテーニャ(Mantegna)のタロット」の作者と考えられていましたが、現在ではこのカードの作者は別人であると推定されています。このタロットは10枚の絵毎に5グループに分類されており、計50枚のデッキとなっていますので、このタロットのことを「denaries/10枚たち」と呼んでいると思われます。

 この5グループは、それぞれ
  1:人々(身分や地位)(Men)
  2:芸術を司る神々(Muses and Apollo)
  3:技術と学問(Liberal Arts)
  4:徳(Cardinal Virtues)
  5:天界(Heavenly Spheres)
となっており、これらのカードは当時の世界観を網羅しているような感じです。
 つまり、マンテーニャのタロットにあるような、従来の世界観では説明できないような深い意味を持つものが、大アルカナの中にある、というのがウェイト氏の主張であり、その証拠としてここに挙げられているのが、魔術師、高等女司祭、運命の輪、吊られた男、塔のカードということですね。

They are also proof positive that obvious and natural moralities cannot explain the sequence.
それらはまた、明白な普通の倫理観では系列(大アルカナ)について説明することができないことの明確な証拠である。

 要するに、現実的な人間の普通の思考では理解できない奥深い概念が、大アルカナの並びの中に存在している証拠であると言いたいわけです。

Such cards testify concerning themselves after another manner; and although the state in which I have left the Tarot in respect of its historical side is so much the more difficult as it is so much the more open, they indicate the real subject matter with which we are concerned.
そのようなカードは、別の方法に従って、それら自身に関することを証言する。また、私がその歴史上の観点に関するタロットを離れた状態というのは、それをより広く公開するのと同じくらいに、より理解しにくいことではあるが、それらは私たちが関係のある本当の主題を示している。

 大アルカナのいくつかのものは、従来解釈ではない、全く異なった方法で解釈されることで、本当の意味を知ることができる。
 でも、それは魔術団の内陣のごく一部の人にのみ開示され理解できるようなことであり、簡単に公開できるようなシロモノではないということです。
 とはいえ、奥義書というものは、たとえその内容が公開されたとしても、普通の人には全く理解できないシロモノですからね。

 まあ、私にとっては、手引き書と称するこのウェイト氏の本の内容でさえ、ワケワカラないことだらけではありますが。(笑)

The methods shew also that the Trumps Major at least have been adapted to fortune-telling rather than belong thereto.
方法は、また、大アルカナは、いずれにせよ、それ(本当の意味)に属するよりも、占いに適合されてきたことを示している。

 「methods/方法」というのは、この本の中では「占いの方法」という文脈で使われていることが多いので、おそらく占術的な解釈方法だと思われます。
 つまり、従来の大アルカナのデザインや解釈は、その本当の意味を理解していない占い業界により、占いに転用されて間違った意味を与えられてきたということです。
 現実的な問題を抱えた相談者に対して、人間の世界観を越えたアドバイスをする占い師はキチガイ扱いされますので、占い師が大アルカナに現実的な意味を適用するのは、ある意味当然のことですけど、それも程度によりますよね。
 ライダーウェイト版タロットで「恋人」のカードが出たから恋人ゲット!とか言ってくれる低レベルの占い師は、ウェイト氏から非難されても仕方ないです。(苦笑)

The common divinatory meanings which will be given in the third part are largely arbitrary attributions, or the product of secondary and uninstructed intuition; or, at the very most, they belong to the subject on a lower plane, apart from the original intention.
第3部の中で述べられるであろう通常の占いの意味は、大部分は勝手な帰属、または二流で無知な直観の所産である。また、それらは、せいぜい、(大アルカナ本来の)原型の意図から離れた、より低い次元にある題目に属しているにすぎない。

 この本のPartV§3には、大アルカナのタロット占いにおける意味が書かれていますが、それらは、当時の二流で無知な占い師たちの言っている自分勝手な意味をまとめた低次元のものであり、ウェイト氏の考える大アルカナの持つ本来の高次元の意味ではないと言っています。

 残念ながら、PartVに書かれている低俗な意味を、ライダーウェイト版の大アルカナの解釈として採用している勘違いした人たちが、この世の中には多くいます。
 というか、今までに、ライダーウェイト版の大アルカナをきちんと理解して解釈できている人に出会ったことはありませんけどね。(苦笑)

If the Tarot were of fortune-telling in the root-matter thereof, we should have to look in very strange places for the motive which devised it--to Witchcraft and the Black Sabbath, rather than any Secret Doctrine.
もしもタロットが、それに関する根源物質の中に占いに属するものがあるのであれば、私たちは、それを考案した動機のために非常に奇妙な場所において…どんな秘密の教義よりも、魔女術と黒サバト…に目を向けなければならないだろう。

 ここでの「Secret Doctrine/秘密の教義」は、ユダヤ・キリスト教をベースとした神秘主義思想みたいなもので、ウェイト氏はこの分野の知識を用いて、このライダーウェイト版タロットをデザインしています。
 「Witchcraft/魔女術」は、キリスト教以外の民俗信仰的なものをベースとした魔術や宗教みたいなものです。
 「Black Sabbath/黒サバト」は、反キリスト教的な悪魔信仰をネタとした魔術みたいなものですかね。
 おそらく、ウェイト氏の中では、
 秘密の教義>>>(越えられない壁)>>>魔女術>>>黒サバト
ぐらいの評価ではないかと推定しています。
 占いと黒サバトとは直接の因果関係は無いと思うのですが、当時は反社会的な黒サバト的な集会が流行していて、そこでタロットがネタとして使われていたので、ウェイト氏が話題にしたのかもしれませんね。

 ともあれ、このウェイト氏が占いについては、かなり低評価であることを示す文章でもあります。
 つまり、このライダーウェイト版は、当時の低俗な占いのために作られたわけではないということであり、そして、占いの初心者でも簡単に習得できるような、そんな安易なシロモノではないということでもあります。

The two classes of significance which are attached to the Tarot in the superior and inferior worlds, and the fact that no occult or other writer has attempted to assign anything but a divinatory meaning to the Minor Arcana, justify in yet another manner the hypothesis that the two series do not belong to one another.
上位と下位の世界においてタロットに付与された意味の2組、およびオカルトや他の著述家が小アルカナに占いの意味のほかには何も割り当てを試みていないという事実は、まだ別の方法で、2つの系列がお互いに属さないという仮説を正当化する。

 つまり、小アルカナは、占いの意味しか研究されていない低次元のものである一方、大アルカナは上位世界でも研究されているので、両者は全く違う次元の存在であるということです。
 ついでに言うと、大アルカナはそういう低次元の占いに使えるようなものでもないということでもありますね。
 でも、占いには向かない大アルカナだけを使って占いをする初心者が後をたたないのが現状なのでした。(苦笑)

It is possible that their marriage was effected first in the Tarot of Bologna by that Prince of Pisa whom I have mentioned in the first part.
私が第1部で言及したピサの王子によるボローニャのタロットにおいて、それら(大アルカナと小アルカナ)の結合が最初に実施されたことはあり得ることである。

 この本のPartT§4で説明がありますが、ボローニャのタロットは、15世紀の初めに、ピサの王子により作成されたということなのですが、そこで初めて、大アルカナと小アルカナが一体となったタロットになったのではないかということです。
 なお、現在市販されている「ボローニャのタロット」は、もっと後期に作成されたものですので、お間違えなく。

It is said that his device obtained for him public recognition and reward from the city of his adoption, which would scarcely have been possible, even in those fantastic days, for the production of a Tarot which only omitted a few of the small cards; but as we are dealing with a question of fact which has to be accounted for somehow, it is conceivable that a sensation might have been created by a combination of the minor and gambling cards with the philosophical set, and by the adaptation of both to a game of chance.
彼(ピサの王子)の考案物は、彼を採用した都市から公に認められて報償を得たと言われているが、あのころの空想的な時代でさえ、いくつかの小アルカナのカードを単に省略したタロットの生産の報いとしては、それはほとんどありえないことである。しかし私たちが、何とかして説明されなければならない事実の問題を論じているので、それは下級で賭博用のカード(小アルカナ)と哲学的なセット(大アルカナ)の組み合わせによって、そして偶然のゲームの両方への適応によって、大評判が巻き起こされたかもしれないことは考えられる。

 ピサの王子は、割と人気があったのは、タロットを考案したためであるいう伝説もあるようだが、中途半端なタロットしか作っていないので、これが人気が出た要因ではなく、もっと他にも色々と人気が出る事業をやっていたに違いないという、極めて現実的なウェイト氏の意見です。
 そりゃまあ、ライダーウェイト版タロットは世界的に大ヒットしていると言われていますが、ウェイト氏もスミス女史も、そんなに裕福というわけではないですし、これで一流作家の仲間入りしたということでもなかったですからね。
 タロットは、魔術や占いというオカルト世界の片隅で、陰ながらひっそりと生きていく存在なのです。(←ちょっとカッコいいかも)

 「game of chance/偶然のゲーム」というのは、賭博だけでなく、カード占いについても指しています。
 ウェイト氏の中では、賭博行為とカード占いは、かなり近い存在であるという感じなのですかね。
 それはともかく、哲学的で神秘的な大アルカナと、昔からあるゲーム用の小アルカナの合体により、より高度で複雑なゲームや占いにも適した新種のカードが作られてきたということでしょうか。
 新キャラを投入してゲームを進化させる、というかバージョンアップは、昔から良くあることなのでした。

Afterwards it would have been further adapted to that other game of chance which is called fortune-telling.
後で、それは、占いと呼ばれている偶然のゲームのそのもう一方に、さらに適応されていったのであろう。

 大アルカナと小アルカナが合体した当初のタロットは、主に賭博用途として使われていたようです。
 占いにも使われはじめたのは、タロットが一般に広く普及してからのようですね。
 そして、占いに使われてからしばらくして、魔術家たちがタロットに注目してきたという歴史の流れがあります。
 つまり、こういった適用面でのバージョンアップというのも、タロットというカードゲームにはあるわけです。
 タロットを制するものは、仲間を制し、学園を制し、国家を制し、世界を制し、太陽系を制し、銀河宇宙を制し、全宇宙を制するといったインフレーション理論が成立しやすいのが、カードゲームの世界なのですから。(笑)

It should be understood here that I am not denying the possibility of divination, but I take exception as a mystic to the dedications which bring people into these paths, as if they had any relation to the Mystic Quest.
私が占いの可能性を否定していないことは、ここに理解されるべきである。しかし私は、まるでそれら(占い)が神秘主義的な探究と何らかの関係を持っているかのように、これらの(神秘主義への)道へと人々を連れて来る熱心さに対して、神秘主義者として異議を申し立てる。

 「I am not denying/私は否定していない」ということは、「積極的には肯定しない」という意味でもあります。
 ただし、世俗的な利益を目的とする占いの宣伝のために、世俗とはかけ離れた神秘主義に関するネタを使って人々を誘惑するのは、ウェイト氏にとっては、かなり迷惑なことだったようにも思えます。
 だからこそ、ウェイト氏の本名は魔術や神秘主義関係でのみ使い、占い関係の記事はGrand Orientというペンネームを使っているんですよね。
 ウェイト氏にとって、魔術や神秘主義と占いは、明確に次元の違う話だということであり、この本においても、占いの話は第3部に隔離されています。

 では、とりあえず私も、ウェイト氏に異議を申し立てておきます。
 神秘主義的なネタで、占いに興味のある輩を、熱心に神秘主義の道にひきずり込んでいる張本人は、アンタだろ!って。(笑)

The Tarot cards which are issued with the small edition of the present work, that is to say, with the Key to the Tarot, have been drawn and coloured by Miss Pamela Colman Smith, and will, I think, be regarded as very striking and beautiful, in their design alike and execution.
現在の作品の小さな版、すなわち「タロットを解く鍵」と共に発行されたタロットは、パメラ・コールマン・スミス嬢により描かれ彩色されたもので、それらと同様な図案や制作の中においては、非常に印象的で美しいものとして評価されるであろうと、と私は思う。

 「present work/現在の作品」というのは、この本(The Pictorial Key to the Tarot)のことを指します。
 「Key to the Tarot/タロットを解く鍵」は、1910年に発行された、ライダーウェイト版タロットに同梱されたオリジナル版の解説本です。
 オリジナル版のことを「small edition/小さな版」と言っているのは、Pictorial版の方がオリジナルの増補版という位置付けとなっていて、本自体のサイズもPictorial版の方が大きくなっているからですね。

 また、「their design alike and execution/それらと同様な図案や制作」というのは、当時制作され出版されていたタロットのことを指すと思われます。
 ウェイト氏は、スミス女史の仕事ぶりと作品の出来については高く評価しており、当時作られて売られていたタロットの中では、ウェイト氏の摩訶不思議で挑戦的な解説本と宣伝の効果もあって、かなりの注目を集めて大ヒットした作品となったようです。
 スミス女史は、1903年にゴールデン・ドーンに入会しており、かなり高い潜在的才能を有していたようですが、そういう優れた人を見つけて仕事を依頼したウェイト氏にも、実は人の才能を見抜く能力があったのではないかと思います。
 まあ、どんなに能力があっても、商業的に成功するかどうかは、また別の話なんですけどね。(苦笑)

They are reproduced in the present enlarged edition of the Key as a means of reference to the text.
それら(ライダーウェイト版タロットの図案)は、(この本の)本文への参照の手段として、鍵(Key to the Tarot)の現在の増補版(この本、The Pictorial Key to the Tarot)の中で再現される。

 この本(The Pictorial Key to the Tarot)は、以前のオリジナル版(Key to the Tarot)には無かった、ライダーウェイト版タロットの挿絵が白黒で掲載されています。
 だからこそ、この本のタイトルに「Pictorial/絵の」というものが加えられているわけですね。
 もちろん、挿絵だけでなく、本文もかなり書き足されていますので、この増補版の作戦は、読者にとっても出版社にとっても大成功だったと思います。

They differ in many important respects from the conventional archaisms of the past and from the wretched products of colportage which now reach us from Italy, and it remains for me to justify their variations so far as the symbolism is concerned.
それら(ライダーウェイト版タロット)は、過去の伝統的な擬古主義や、現在イタリアから私たちに届く書籍行商の悲惨な製品とは、多くの重要な点において異なっている。また、象徴主義に関する限り、それら(ライダーウェイト版タロット)の変化は、私にとっては正当なもののままである。

 「colportage/書籍行商」というのは、宗教関連の書籍を行商するという、ちょっといかがわしげな商売のことです。
 当時のイタリアのタロットは、マルセイユ版ベースで、見栄え重視の美術的なデザインのタロットがあったようです。
 今でもイタリアは、芸術的デザインのタロットを、色々と出していますよね。

 で、イタリア製のタロットは確かに見栄えはいいのかもしれないが、象徴主義的には無茶苦茶になり、子供のオモチャになってしまっているけれど、自分のデザインは芸術面での改革だけではなく、象徴主義面の改革については、きちんと伝統の継承を考慮した本格的なものだ、と言いたいわけです。
 ウェイト氏って、どこかの通販番組の社長みたいに、本当に宣伝上手ですよね。(笑)

That for once in modern times I present a pack which is the work of an artist does not, I presume, call for apology, even to the people--if any remain among us--who used to be described and to call themselves "very occult."
私が芸術家の作品であるデッキを発表するという、現代では今回限りのことについて、かつてそれら自身(ライダー版タロット?)を「非常に不可思議」と記述し呼んだ人々…もし我々の間に残っているのであれば…にさえも、謝罪を要求しようとは思わない。

 なんだかよくわかんない文章なのですが、オレの作ったタロットは、今までにないほど芸術的で象徴主義的にも完璧なものなんだが、それを理解できずに「あいつの作ったタロットは奇妙すぎてわけわかんない」などと散々に言っていたヤツらがいたけど、まあ許してやってもいいよ、とでも言いたいのですかね。
 まあ、ライダーウェイト版タロットは、そこそこヒットしたので、ウェイト氏も若干の余裕を見せてますよね。(笑)

If any one will look at the gorgeous Tarot valet or knave who is emblazoned on one of the page plates of Chatto's Facts and Speculations concerning the History of Playing Cards, he will know that Italy in the old days produced some splendid packs.
チャット氏の「遊技カードの起源と歴史の事実と憶測」の(挿絵の)図版のページのうちの1つに飾られる豪華なタロットの従者あるいは召使いを見た人は誰でも、昔のイタリアがいくつかの華麗なデッキを生んだことを知るであろう。

 『Facts and speculations on the origin and history of playing cards/遊技カードの起源と歴史の事実と憶測』は、W. A. チャット氏(1799-1864, William Andrew Chatto)によって1848年に発行された、トランプの歴史に関する本です。
 「valet or knave/従者あるいは召使い」は、タロットの騎士見習(ペイジ, Page)、もしくはトランプのジャック(Jack)のことですね。
 とりあえず、この本の中から、それっぽい挿絵を貼っておきます。


クリックで拡大

遊技カードの起源と歴史の事実と憶測』の挿絵

I could only wish that it had been possible to issue the restored and rectified cards in the same style and size; such a course would have done fuller justice to the designs, but the result would have proved unmanageable for those practical purposes which are connected with cards, and for which allowance must be made, whatever my views thereon.
私はただ単に、同じ様式と寸法で復元されて修正されたカードを発行することが可能であればよいと思うことも出来たのである。そのような方針は、図案をより十分に正当に評価することになるであろうが、しかし結果は、カードに関連する実践的な目的のために、そしてそこに私の見解を何でも考慮に入れるために、取り扱いにくいものを供給したことであろう。

 要するに、昔のイタリアの芸術家が制作した精緻で華麗なデザインのタロットをベースにして、それに若干の修正をした「ウェイト監修イタリアデザイナー版」というものを作る案もあったということです。
 それは、確かに見た目は素晴らしいものにはなるけれども、象徴主義的に見ると中途半端に妥協して混乱したものとなってしまうため、魔術マニアでオレ様最高!のウェイト氏には、受け入れられない案だったようです。
 そして、ウェイト氏は自己の研究を元にして、神秘主義的なネタをたっぷりと盛り込み、実践的な魔術儀式の道具としても充分に使える、オリジナルデザインの自己満足最高!のタロットを作り上げたということですよね。
 まあ、ウェイト氏が自画自賛するだけあって、このオリジナルタロットは大評判となり、現代においても売れ続ける超ロングセラーの大ヒットとなっています。

For the variations in the symbolism by which the designs have been affected, I alone am responsible.
図案により影響された象徴主義における変化については、私が単独で責任を負う。

 大アルカナのデザイン面での従来からの変更は、ウェイト氏の考える象徴主義に完全に沿ったものである、ということですよね。
 文句があるなら、監修者であるオレに言って来い、というか積極的に象徴主義について議論したいのかもしれません。
 一方、小アルカナのデザインには、象徴主義は取り入れられていないので、ウェイト氏は関心が薄いのでした。

In respect of the Major Arcana, they are sure to occasion criticism among students, actual and imputed.
大アルカナに関する限り、それらは研究者の間で批判を引き起こすに違いないと思うし、実際に非難されてもいる。

 確かに、ウェイト氏のデザインは、オカルトの研究者、いわゆる当時の魔術オタク達の間では、かなりの批判を受けたようです。
 でもそういうことは、オタク世界では良くある「意見や解釈の違い」とか「オレの趣味に合わない」とか「知識レベルはオレの方が上だ」とか「アイツは偉そうにしてるから気にくわない」といった、現代においても良くあるレベルの話なのです。
 オカルトは学問(=理屈)というよりも、芸術や宗教(=感情や感性)に近いものですので、好き嫌いがあるのは、ある程度しょうがないんですよね。
 問題なのは、そういう一部の人達(←匿名希望)の偏った煽りを真に受けて、普通の人々がウェイト氏の仕事に偏見を持つことなのです。
 とはいえ、現代の日本においては、ライダーウェイト版タロットにおけるウェイト氏の仕事自体について、ほとんど理解されていないという方が問題なんですけどね。(苦笑)

I wish therefore to say, within the reserves of courtesy and la haute convenance belonging to the fellowship of research, that I care nothing utterly for any view that may find expression.
私は研究の仲間に属する礼儀および"高等な礼儀"の自制の範囲内で述べることを、それゆえに望む。そして私は、表現を探し出すことのできる、どんな見解についても、全く関心が無い。

 「fellowship of research/研究の仲間」というのは、ウェイト氏が属している各種の神秘主義団体であり、そのような団体においては、決して外部に漏らしてはならない機密事項というものが存在します。
 つまり、「courtesy/礼儀」というのは、そのような地上における団体において秘密を守るということで、「la haute convenance/高等な礼儀(フランス語)」というのは、さらに上位であるオカルト世界を研究する者にとって、神に対しての基本的なモラルを守るということです。
 友人に対して、および神に対して礼儀というか約束を守るというのは、とても重要なことなんですよね。

 後半の文にある「expression/表現」というのはおそらく、明文化されたもの、という意味です。
 オカルトの暗黙知というものを明文化するのは、ウェイト氏はあまり好まないということですかね。
 オカルト世界においては、まさしく「沈黙は金」なのですが、現実の世界では、「雄弁は金」であることも確かですので、世間からは「きちんと説明しろ」とか「もっとわかりやすく説明しろ」とか「素人にも理解できるように説明しろ」とか言われて、色々と非難されることになるのでした。

 でもまあ、こんな超マニアックなタロットと本を、タロット入門者向けに企画して出版したのは他ならぬウェイト氏ですので、きちんと責任取ってほしいんですけどね。(笑)

There is a Secret Tradition concerning the Tarot, as well as a Secret Doctrine contained therein; I have followed some part of it without exceeding the limits which are drawn about matters of this kind and belong to the laws of honour.
その(神秘主義団体の)中に含まれる「秘密の教義」と同じように、タロットに関係する「秘密の伝統」というものがある。私は、この種(秘密の教義)の事情に関して書かれた限度、そして名誉の法に属する限度を超過することなく、その(秘密の教義の)いくつかの部分に従った。

 「laws of honour/名誉の法」というのは、神秘主義団体において、「みだりに外部の人間に団の秘密を漏らさない」という基本的な礼儀作法というか暗黙の約束事みたいなものです。
 要するに、外部に漏らしてはいけない「秘密」というものがある以上、タロットについても、きちんと述べられない部分というものがある、ということです。
 というか、タロットというものが、そもそも具体的な絵にも文章にも書けないものを「象徴」として表現するしかない以上、きちんと説明できないという事態は、ある程度は避けられないことなんですけどね。
 ただ、全てを秘密にしてしまうのは、それはそれで問題があるので、きちんとしたルールを決めた上で、秘密主義団体にある公開可能なネタを、このタロットのデザインに利用しているということですね。
 とはいえ、仲間内でのネタを利用して金儲けするというのは、後々、非難というか陰口のネタにもなるわけですけどね。

This tradition has two parts, and as one of them has passed into writing it seems to follow that it may be betrayed at any moment, which will not signify, because the second, as I have intimated, has not so passed at present and is held by very few indeed.
この(タロットの秘密の)伝統は、2つの部分を持っており、それらの1番目を文書にしたことで、今にも裏切っていることになりそうでに思えるが、そのことは重要ではないだろう。なぜならば、2番目は、私が暗示していたように、現在のところはそれほどには言いふらされてはいないし、実にほんの少数により維持されている。

 タロットの2つの部分というのは、おそらくは
 ・下位世界での話 … 占いの世界へと適用される公開可能なもの
 ・上位世界での話 … 魔術の世界へと適用される公開できないもの
ではないかと推定されます。
 そのうち、公開しても問題のない、占い向けの薄っぺらなネタを、これ以降に述べていくということですね。

 ちなみに、2番目のもの、つまりオカルトマニア向けの濃い魔術ネタについては、この後でクロウリーやリガルディが次々と暴露していくという歴史があるわけです。

 なお、ウェイト氏は、当時の魔術界ではそれなりの地位であり、自らも魔術団体を主宰していました。
 しかし、この本(The Pictorial Key to the Tarot)は、占いの話がメインであり、魔術に関する本格的な記述は、ほとんどありません。
 つまり、ウェイト氏は、意図的に魔術の話を避けていたということであり、つまり「神秘主義団体における秘密の教義」は隠されたままになっているということです。
 もちろん、こういう手法に文句を言う人もいるのですが、占いをやってる側から見れば、わけわからないオカルトネタをグタグダと書かれるよりは、バッサリと省略してもらった方がいいということもありますけどね。

 え、オマエもよくわかんないオカルトネタを、占い向けのサイトにグダクダ書きすぎてるって?
 文句あるんなら、読むな(笑)

The purveyors of spurious copy and the traffickers in stolen goods may take note of this point, if they please.
それら(タロットの秘密の伝統ネタ)が気に入られたならば、偽造コピーの御用商人および盗品の商人は、この点に注目するかもしれない。

 ウェイト氏の期待通り、色々な商人(プロ占い師や出版社)が、この本の偽造コピー本を数多く出版し、多くの人が騙されてそれを買っているのが現状です。
 もちろん、偽造コピーですので、オリジナルとは全くレベルの違うものなんですけどね。

I ask, moreover, to be distinguished from two or three writers in recent times who have thought fit to hint that they could say a good deal more if they liked, for we do not speak the same language; but also from any one who, now or hereafter, may say that she or he will tell all, because they have only the accidents and not the essentials necessary for such disclosure.
私は、さらに、最近の著名な2、3人の作家に、我々は同じ言語を話さないために、もし望むのならば、もっとより多くのことを言うことができる暗示をすることが適切であるかどうかを尋ねた。なぜならば、しかしまた、今も今後も、彼女や彼がすべてを教えるだろうと言っていたであろう誰もが、それらは付随的な事項であり、そのような開示に必要な要点ではないからである。

 「accidents/付随的な事項」というのは、本質的なものではなく、偶然に発生した出来事を指します。
 結局のところ、言葉では表現することも理解することもできない神秘主義において、文字だけで全てを明らかにするということは本質的に不可能な作業であり、言葉にすればするほど、わけわからないものとなってしまう可能性が高いということです。
 だからこそ、神秘主義団体に限らず、様々な団体の内部で伝えられる伝統とか技術とか秘密というのは、保たれるわけですよね。

If I have followed on my part the counsel of Robert Burns, by keeping something to myself which I "scarcely tell to any," I have still said as much as I can; it is the truth after its own manner, and as much as may be expected or required in those outer circles where the qualifications of special research cannot be expected.
もしも私が、私の方でロバート・バーンズ氏の助言に従って、私自身にある「ほとんど何も言えない」何かを隠しておくことにしたとしても、それでも私は、私ができる限りの多くのことを述べている。それ(この本で述べていること)は、それ自身の方法に従って真実であり、特別な探索の能力を期待できないそれらの外陣において期待され要求されるであろう分量は充分にある。

 とりあえず、外部に公開できない秘密は書いてないけれども、一般の読者、というか主に占いに利用したい人々にとっては充分すぎるぐらいの内容の本になっているということですよね。
 「it is the truth after its own manner/それは、それ自身の方法に従って真実である」というのは、一般の占い師がタロットを占いの道具として使う分には、この本に書かれている程度のもので充分であり、ウェイト氏が隠している部分については、彼らにとっては理解できないし必要も無いものであるという意味ですし、その後の「those outer circles where the qualifications of special research cannot be expected/特別な探索の能力を期待できないそれらの外陣」というのも、神秘主義を理解できない占い師たちのことを指していると思われます。
 ウェイト氏にとって、「魔術師=秘密を理解し共有する内陣」であり、「占い師=秘密を理解できない外陣」であるわけですよね。
 確かに、占い関係の人は、PartUの神秘主義的な箇所を読み飛ばして、PartVの占いの意味だけを暗記したがる人が多いのは確かですので、ウェイト氏の意図は間違ってはいないということです。

 なお、ロバート・バーンズ氏(Robert Burns, 1759-1796)というのは、スコットランドの著名な詩人であり、日本でも「蛍の光」の原曲の作詞家として知られている人を指していると思われます。
 ウェイト氏は、ロバート・バーンズ氏と直接話すことはありません(降霊術で話をしたかもしれません)でしたが、バーンズ氏の簡潔で洗練され、読む者の心を打つ詩の形態に、かなり影響されたのではないかと思います。
 ウェイト氏の書く、解説書としては若干読みにくい上に分かりにくい文章というのは、理屈よりも心を伝えるという詩作の影響も受けているのでしょうかね。

In regard to the Minor Arcana, they are the first in modern but not in all times to be accompanied by pictures, in addition to what is called the "pips"--that is to say, the devices belonging to the numbers of the various suits.
小アルカナに関しては、"数札"と呼ばれるもの…すなわち色々なスートの番号に付属する図案に加えて、絵を伴わせることは、現代においては初めてのことではあるが、すべての時代でではない。

 つまり、当時発行されていたタロットの中では、小アルカナの絵札化というのは、初めての試みではあったけれども、過去の歴史を見ると、小アルカナが絵札として作られたものもあったということですよね。
 ちなみに、過去に小アルカナが絵札であったものとしては、15世紀に作られたソラ・ブスカのタロットが有名で、ウェイト氏とスミス女史も、それを参考にして、ライダーウェイト版の小アルカナをデザインしたようです。

These pictures respond to the divinatory meanings, which have been drawn from many sources.
これら(小アルカナ)の絵は、多くの出所から引き出された占いの意味に相応する。

 小アルカナは、神秘主義的な意味を持たず、占いの意味を持つということですね。
 これが、ライダーウェイト版における、大アルカナと小アルカナの決定的な違いであり、さらに言うと、魔術と占いが混在するという、かなり特殊な形態のタロットということなのです。
 両者のいいとこ取りということで、かなり実用性の高くて面白い企画だと思うのですが、魔術オタク側からは小アルカナが占い用途であると非難され、占いオタク側からは大アルカナ本来の意味を無視されて従来の解釈をそのまま適用されるという原因にもなっています。
 とはいえ、魔術側からも、占い側からも、ウェイト版をベースにして自分たちの立場で使いやすく改変したものが多く出ていますので、どっちつかずの立場が気にいらない人は、そういうカードを選ぶか、自分で作ればいいということですけどね。

To sum up, therefore, the present division of this key is devoted to the Trumps Major; it elucidates their symbols in respect of the higher intention and with reference to the designs in the pack.
要約すれば、それゆえ、この鍵の現在の部は、大アルカナに専念する。それ(PartU)は、より高い意図に関連する、およびデッキの図案に関しての、それら(大アルカナ)の象徴を明らかにする。

 「present division of this key/この鍵の現在の部」というのは、この本(The Pictorial Key to the Tarot)の、このPartU のことを指します。
 つまり、このPartUでは、大アルカナの神秘主義的な部分について重点的に述べ、神秘主義的でない部分や小アルカナは、後で述べるということですね。

The third division will give the divinatory significance in respect of the seventy-eight Tarot cards, and with particular reference to the designs of the Minor Arcana.
第3部は、78枚のタロットカードに関連する、および、特に小アルカナの図案に関しての、占いの意味を提供するつもりである。

 「third division/第3部」は、この本のPartVのことを指します。
 占いは、神秘主義とは別の世界のものなので、ウェイト氏は完全に切り離して記述しようということですね。
 つまり、ウェイト氏の中では
  魔術における大アルカナ>>>>(越えられない壁)>>>>占いにおける大アルカナ≧占いにおける小アルカナ
という感じなのでしょうけど、実はライダーウェイト版の世間での評判って、
  占いにおける小アルカナ>>占いにおける大アルカナ>>魔術における大アルカナ>>魔術における小アルカナ
という感じになっているかと思います。
 ただし、ウェイト氏は、世間の評判がそうなることは、ある程度は予想していたようですけどね。

It will give, in fine, some modes of use for those who require them, and in the sense of the reason which I have already explained in the preface.
それ(PartV)は、最後に、それらを要求する人々に、および私が序文の中で既に説明した理由の意味において、役に立ついくつかの方法を提供するつもりである。

 「those who require them/それらを要求する人々」というのは、占いのネタをほしがる占いオタクのことを指しています。
 「some modes of use/役に立ついくつかの方法」というのは、占いの方法のことで、PartVの後半で紹介されています。

That which hereinafter follows should be taken, for purposes of comparison, in connexion with the general description of the old Tarot Trumps in the first part.
この後に続くそれは、第1部の昔からのタロットの大アルカナの一般的な解説と関連して、比較の目的とするべきである。

 「That which hereinafter follows/この後に続くそれ」は、この後にあるPartU§2の大アルカナの解説部分を指します。
 PartT§2に、昔からの大アルカナの解説があるので、それと対比して読んでほしいということですよね。
 まあ、オレ様の作った新しいタロットは、昔のものとは比べものにならないほどスゴいことがわかるよ!、と言いたいわけですよ。(笑)

There it will be seen that the zero card of the Fool is allocated, as it always is, to the place which makes it equivalent to the number twenty-one.
そこで、愚者の0番のカードが、いつものように、21番に相当する場所へ配置されていることに気づくであろう。

 愚者は、ライダーウェイト版では0番を割り当てられていますが、配置される場所については、実は明確には決まっていないということです。
 参考までに、愚者の番号と配置に関するそれまでの歴史的経緯をまとめておきますね。

番号 場所
マルセイユ版 無し 不明
ジェブラン説(1781) 0 1番目(先頭)
エッティラ説(1789) 0 78番目(最後)
レヴィ説(1856) 不明 21番目(審判と世界の間)
クリスチャン説(1870) 0 21番目(審判と世界の間)
パピュス説(1889) 無し 21番目(審判と世界の間)
ウェイト説(1909) 0 21番目(審判と世界の間)
ゴールデン・ドーン説 0 1番目(先頭)

 要するに、ウェイト氏は当時の業界の流れを読んで、とりあえず、こういう配置にしたということのようです。

The arrangement is ridiculous on the surface, which does not much signify, but it is also wrong on the symbolism, nor does this fare better when it is made to replace the twenty-second point of the sequence.
(愚者の)配置は、表面上は馬鹿げていて、それはあまり重要でないばかりか、それはまた象徴主義の上でも間違っている。そして、それ(愚者)が連鎖の第22番目の箇所を交換させられた場合でも、より良くはいかない。

 つまり、21番目にあるのは本当はおかしいし、大アルカナの最後の22番目でも間違っていると言いたいわけです。
 とはいえ、素直に数字の順番に従って、大アルカナの先頭に持ってくるのは、(公然の)秘密にしておきたいという感じなんですよね。
 ただし、ウェイト氏の愚者のカードデザインは、ゴールデン・ドーン流に、明らかに大アルカナの先頭に配置することを意識したものとなっています。
 おそらく、カードの数字の並びを重視する魔術的な用途には、愚者を大アルカナの先頭に配置していたものと思われます。

 つまり、ライダーウェイト版の愚者は、大アルカナの先頭に配置されるのが一番マシなのかな…、という結論でいいと思います。

Etteilla recognized the difficulties of both attributions, but he only made bad worse by allocating the Fool to the place which is usually occupied by the Ace of Pentacles as the last of the whole Tarot series.
エッティラ氏は、両方の属性の困難さを認識していた。しかし彼は、タロット全体の系列の最後として五芒貨のエースにより通常占められる場所に愚者を配置することにより、単にさらにより悪くしただけであった。

 「both attributions/両方の属性」というのは、愚者の「番号」と「位置」のことを指します。
 愚者のカードは、最初の頃は番号も無く位置も不定でしたので、何とか番号と位置を特定しようとして、色々と研究されてきたということですよね。
 とりあえず、番号については、0を割り当てる方向が大勢ですね。
 また、位置については、当時の魔術界をリードしていたゴールデン・ドーンでは、大アルカナの先頭に置く流れとなっていました。

This rearrangement has been followed by Papus recently in Le Tarot Divinatoire, where the confusion is of no consequence, as the findings of fortune telling depend upon fortuitous positions and not upon essential place in the general sequence of cards.
この再配列は、最近、パピュス氏により、「タロット占い」の中でも追従されているが、そこでの混乱は、重要ではない。というのは、占いの結果というものは、偶然の位置に依存し、カードの普遍的な系列にある本質的な位置には依存しないからである。

 「This rearrangement/この再配列」とか、その後にある「confusion/混乱」というのは、愚者を21番目に置くことを指しています。
 『Le Tarot Divinatoire/タロット占い』は、パピュス氏が1909年に出版した本で、以前出版した『ボヘミアンのタロット』をベースとした、オリジナルのエジプト風カードのデザインの挿絵が付いている、タロット占いマニア向けの本です。
 この本の中では、愚者を21番目に配置しているので、それに対する論評と言ったとこですかね。
 タロット占いでは、大アルカナの基本配列は重要ではなく、展開した後のカードの並びの意味の方が重要ですので、この本の大アルカナの並びは参考にはならないということを述べています。
 つまり、ウェイト氏は、愚者を21番目に置くことは間違っていると、再び言いたいわけです。

I have seen yet another allocation of the zero symbol, which no doubt obtains in certain cases, but it fails on the highest planes and for our present requirements it would be idle to carry the examination further.
私は、さらに、0の象徴(愚者)の別の配置を検討したことがあり、それはおそらく、ある場合においては成功する。しかしそれは、最も高い次元で失敗するのであるが、我々の当面の要求に対しては、それをさらに深く考察を進めていくということは、おそらく無用なことであろう。

 「highest planes/最も高い次元」というと、天上界とか神界、あるいはもっと上の世界の話になるのですが、実際のところ、一般相対性理論がブラックホールの中では破綻するといった程度の、我々にとっては全く関係のない世界の話です。
 「our present requirements/我々の当面の要求」というのは、この本の目的である「タロット占いに関するネタ」ということですかね。
 結局のところ、読者であるアンタたち占いマニアにとっては、こんな別次元の愚者の配列に関するオカルトネタなんて、どうでもいい話だよね、と言いたいわけですよね。

 まあ、実際のところはどうなの、という話なのですが、ウェイト氏は、ゴールデン・ドーンで当時提案されて一定の支持を受けていた「0:愚者の大アルカナ先頭配置説」にも、実は不満があったということみたいなんですよね。
 従来のマルセイユ版の各カードの位置付けというのは、
  (天上界)>(越えられない壁)>他の大アルカナ>愚者>(越えられない壁)>小アルカナ>地上界
で、レヴィ説やパピュス説では
  (天上界)>(越えられない壁)>他の大アルカナ≧愚者>(越えられない壁)>小アルカナ>地上界
で、ゴールデン・ドーン説では
  (天上界)>(越えられない壁)>愚者≧他の大アルカナ>(越えられない壁)>小アルカナ>地上界
という感じなのですが、おそらくウェイト氏のイメージでは
  (天上界)>(越えられない壁)>愚者>(越えられない壁)>他の大アルカナ>(越えられない壁)>小アルカナ>地上界
といった感じなんですよね。
 ウェイト氏の愚者に対する思い入れが強すぎて、どこに配置しても不満がある、というかレベルが違うから配置することすらしたくないので、カードの配列なんてものは、もうどうでもいいということなのでしょうか。
 「やだやだ、こんな低俗な列なんかに、オレの大事な愚者を並ばせたくないよ〜!」って感じなので、ウェイトさんって、本当にわがままなんですよね。(笑)


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