ライダーウェイト・タロット解説

X Wheel of Fortune / 運命の輪



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In this symbol I have again followed the reconstruction of Eliphas Levi, who has furnished several variants.
このシンボルについては、私は再びエリファス・レヴィの復元図に従っている。彼は、いくつかの変形を(以前のカードに対して)行っている。

 ウェイト氏は、レヴィ氏の著書『大いなる神秘の鍵』の挿絵に基づいてデザインしています。
 ちなみに、レヴィ氏は 『高等魔術の教理と儀式』の中で、このカードについて「右には上昇するヘルマニュビス、左には下降するテュポン、そして上には均衡を保ち獅子のような手で剣を掴むスフィンクスとエゼキエルの宇宙論的な車輪。」と述べています。


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大いなる神秘の鍵』より「運命の輪」

 「ヘルマニュビス」は、エジプト神話の、冥界(hell)を司る犬の頭を持つアヌビス(anubis)神です。
 そして「テュポン」は、有名な邪神で様々な神話に姿を変えて出現しますが、エジプト神話では、オシリスを殺害したセト(Seth/Typhon)神とされ、ロバや犬の頭を持ち、地下世界を支配します。
 そして、スフィンクスは、エジプトの王であるファラオを神格化したものです。

 様々な世界の中を行き交う「運命の輪」というイメージがありますね。

It is legitimate--as I have intimated--to use Egyptian symbolism when this serves our purpose, provided that no theory of origin is implied therein.
私が暗示したように、(タロットの)エジプト起源説を暗示するわけではないという前提で、これが私たちの目的にかなう場合には、エジプトのシンボルの利用は正当である。

 このカードのデザインには、エジプトのシンボルがたくさん使われてはいるけれども、だからといって、タロットカードがエジプトで発明されたということではないと、ウェイト氏は言っているわけです。
 つまり、ジェブラン氏やレヴィ氏のタロットのエジプト起源説を、ここでも否定しているわけです。

I have, however, presented Typhon in his serpent form.
また一方で、私はテュポンを、その蛇の姿で提示している。

 「テュポン/Typhon」は、様々な神話に出てきています。ギリシャ神話では、百の頭を持ち、足が大蛇になった怪物で、ゼウスなどの神々の敵となった巨大な不死の魔物です。
 ウェイト氏は、レヴィの提案したエジプト風のテュポンを、ギリシャ風のヘビに変化させて描きました。
 それにしても、ずいぷんとかわいいヘビの姿になっていますよね。

 ちなみに、ヘビは「1:の魔術師」や「6:恋人たち」にも出てくる定番キャラですが、「生命力」や「死と再生」の象徴とされており、テュポンのような破壊神よりは良い意味になります。
 ウェイト氏は、ヘビというキャラが好きみたいですね。

The symbolism is, of course, not exclusively Egyptian, as the four Living Creatures of Ezekiel occupy the angles of the card, and the wheel itself follows other indications of Levi in respect of Ezekiel's vision, as illustrative of the particular Tarot Key.
もちろん、(このカードの)シンボル体系は、エジプトに限ってはいない。それは、「エゼキエル書の四つの生きもの」がカードの四隅を占有すること、また輪そのものがエゼキエルの幻視に関連するレヴィの他の指示に従っていることから分かる。そしてこれ(エゼキエルの幻視)は「タロットの重要な鍵」となる部分の具体例である。

 「four Living Creatures/四つの生き物」とは、『旧約聖書:エゼキエル書』の以下の部分を参考にしています。

『旧約聖書:エゼキエル書』1:5 「その中に何か四つの生きもののようなものが現われ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。」
『旧約聖書:エゼキエル書』1:6 「彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。」
『旧約聖書:エゼキエル書』1:10 「彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。」

 そして、この「wheel/輪」は、エゼキエル書の以下の部分を参考にしています。

『旧約聖書:エゼキエル書』1:15 「私が生きものを見ていると、地の上のそれら四つの生きもののそばに、それぞれ一つずつの輪があった。 」

 エゼキエル書には、1、3、10、11章に「生きもの」や「輪」についての説明があり、メルカバー(Merkabah、神の戦車)と呼ばれています。


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エゼキエルの戦車

 ちなみに、『新約聖書:ヨハネ黙示録』にも、この「四つの生きもの」についての記述があります。

『新約聖書:ヨハネ黙示録」4:6 「御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。」
『新約聖書:ヨハネ黙示録」4:7 「第一の生き物は、ししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶわしのようであった。」

 この生きものは、新約聖書の四福音書を書いたマタイ(有翼の人間)、ヨハネ(鷲)、ルカ(牡牛)、マルコ(獅子)にも象徴として使われています。


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サン・トロフィーム教会の彫刻
中央はキリスト
下段は12使徒

With the French occultist, and in the design itself, the symbolic picture stands for the perpetual motion of a fluidic universe and for the flux of human life.
フランスのオカルティスト、および彼自身によるデザインによると、この象徴的な絵は人間の人生の流転や流動的な宇宙の永遠の動きを表していることを示す。

 フランスのオカルティストとは、言うまでもなくレヴィのことですね。

The Sphinx is the equilibrium therein.
スフィンクスは、その中で均衡を保っている。

 スフィンクスは、輪の回転という変化には巻き込まれずに、ずっと輪の上で安定して座っているということですね。
 浮遊しているわけではないので、何か特別な力があるのでしょう。

The transliteration of Taro as Rota is inscribed on the wheel, counterchanged with the letters of the Divine Name--to shew that Providence is implied through all.
「TARO」を「ROTA」に書き直したものと、「神の名前」の文字が交代で輪に刻まれている。これは「神」が全てのものを包み込むということを示すためである。

 「TARO」とは、タロットカード(Tarot)のことを暗示します。
 「ROTA」とは、ラテン語で車輪を意味する言葉です。  あと、高等女司祭で出てきたように、Toraとは「大いなる法」、「秘密の法」という意味であり、さらには神の言葉(あるいは聖書)という意味もあります。
 あと、ここでいう「神の名前/Divine Name」は、あの有名な聖四文字です。

 ちなみに、内側の輪のスポークに描かれている記号は、錬金術の記号です。
  上: 水銀
  左: 硫黄
  下: 水
  右: 塩

But this is the Divine intention within, and the similar intention without is exemplified by the four Living Creatures.
しかし、これは「神」の意図は輪の中に存在するということであり、輪の外にある(神に)類似した意図は、「四つの生き物」により例示されている。

 エゼキエルの戦車の中心に座っていたのは、神でした。
 つまり、輪の中は神のいる世界であり、その輪の外部は別の次元の世界があるということですね。
 で、その別の次元は、神の代理である四つの生き物が管理する世界であると。

Sometimes the sphinx is represented couchant on a pedestal above, which defrauds the symbolism by stultifying the essential idea of stability amidst movement.
たまにスフィンクスは台座の上でうずくまった姿勢で描写されるが、それは運動の中での安定という本質的な考えを無意味にするため、シンボル体系を欺くことになる。

 上記のレヴィ氏の挿絵やマルセイユ版では、スフィンクスは台座の上でうずくまった姿勢で描かれています。
 ウェイト氏は、台座という安定した土台上にスフィンクスがいるのではなくて、不安定な輪の上でも安定しているという象徴が必要であると考えています。
 つまり、スフィンクスは、この輪廻世界を超越した存在として、アヌビスやテュポンよりも、一段高い、より神に近い位置にあるということを示しています。

Behind the general notion expressed in the symbol there lies the denial of chance and the fatality which is implied therein.
シンボルに表されている一般的な概念の背後には、偶然を否定し、その中(神界)に示される宿命性が横たわっている。

 つまり、この世の中には偶然というものは存在せず、全ては超越的な存在である神の意志の下にあり、運命づけられているという考えですね。

It may be added that, from the days of Levi onward, the occult explanations of this card are--even for occultism itself--of a singularly fatuous kind.
つけ加えて言えば、レヴィの時代から今日まで、このカードのオカルト的解説については、そのオカルティズム自身ですら、非常に愚かなものである。

 さてここからは、ウェイトお得意の、従来解釈の批判となっています。
 タロットの本格的な研究は、レヴィに始まり、ゴールデン・ドーンに至るまで色々な解釈がされてきましたが、それらは全て「愚かなもの」であると一刀両断していますね。

It has been said to mean principle, fecundity, virile honour, ruling authority, etc.
それは、原理、多産、男性的な名誉、支配的な権威などを意味すると言われている。

 今までのオカルト研究者は、このカードを上記のように低俗的に解釈してきたけれども、そのような解釈は全くの誤りであると言いたいわけです。

The findings of common fortune-telling are better than this on their own plane.
一般的な占いの所見の方が、彼らのレベルよりもましである。

 最後は、オカルト研究者に対する皮肉で終わりました。
 学問のあるオカルト研究者よりも、通俗的と思われている占いの方がマシだなんて、実にウェイト氏らしい言葉ですよね。


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