ライダーウェイト・タロット解説

III The Empress / 女帝



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 さて、太陽・月とくれば、次に来るのは何でしょうか。ウェイト氏は、それを「地球」と考えました。
 「3:女帝」は、「大地母神」をシンボライズしたものと見ることができますね。

 ちなみに、この女帝のカードは、次の「4:皇帝」のカードとペアになってデザインされていると見ることができますが、皇帝は女帝の夫ということでもないようです。
 大地母神は、「聖処女」であり、「処女受胎」を行う存在、つまり、アメーバみたいに「無性生殖」が可能な存在なんですよね。

A stately figure, seated, having rich vestments and royal aspect, as of a daughter of heaven and earth.
豪華なドレスを身にまとい、天と地の娘として、優雅な面持ちで、気高く座っている。

 カードの絵を見て、これが豪華なドレス?と思った人もいるかもしれませんが、あまり深く追求しないように。これが、パメラ嬢の絵の限界なのですから。
 とにかく、豪華で優雅で壮麗な姿というのが、女帝のオリジナルイメージなのです。

Her diadem is of twelve stars, gathered in a cluster.
彼女の王冠には12の星が群れを成して集められている。

 ここは、『新約聖書:黙示録』12:1 の「また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」の部分を連想させますね。
 キリスト教では、この「十二の星の冠」を持つ女性は、聖母マリアと考えています。
 ちなみに、この「十二の星の冠」は、黄道12宮を表現したものと見ることができます。

The symbol of Venus is on the shield which rests near her.
彼女の傍に立てかけられている盾にはヴィーナス神(金星)のシンボルがついている。

 ヴィーナス神のシンボルって、金星、もしくは女性のシンボルである「♀」ですね。
 また、GDの体系では、女帝のカードは、占星術の金星に対応しています。

 ヴィーナス神は、愛と美の女神、裸体画のモデルとして、非常に有名な女神ですが、元々は、アドリア海沿岸のヴェネチ諸部族の地母神に由来する女神でしたが、 のちにギリシャのアフロディテ神、エジプトのイシス神などと同一視され、愛と美をつかさどる女神の総称となりました。
 ヴィーナス神は、本来は大地母神であり、「生殖の女神」として、生誕と死を司る存在でもあります。


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定番の「ヴィーナス誕生」(ボッティチェリ作)

 また、この女帝は、高等女司祭の「ヴェールを被ったイシス=神秘性」に対して、「ヴェールを脱いだイシス=母性」の姿と見ることもできます。

 ちなみに、マルセイユ版などの昔のデザインでは、「3:女帝」と「4:皇帝」は、おそろいの盾を持っているのですが、ライダーウェイト版では「3:女帝」のみの持ち物となっています。

マルセイユ版(ジャン・ノブレ版)

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3:女帝

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4:皇帝
A field of corn is ripening in front of her, and beyond there is a fall of water.
畑の麦が彼女の前で実っており、その向こう側(遠く)には滝がある。

 実った麦は、彼女の母性である、「多産」「豊穣」という面を表します。
 また、滝の部分は、『旧約聖書:創世紀』2:10の「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」の部分を連想させます。

The sceptre which she bears is surmounted by the globe of this world.
彼女は、この世界である宝珠 (地球)を上部に載せた笏を支えている。

 これも、彼女が地球を支配する「大地母神」であることを象徴していますね。

She is the inferior Garden of Eden, the Earthly Paradise, all that is symbolized by the visible house of man.
彼女は「エデンの園」より階級が低い「地上の楽園」、つまり、人間の住まうものに象徴されるもの全てである。

 「visible house of man/人間の住まうもの」とは、人間の住む世界(天と地)という意味のようです。

 ここも、女帝が人間界(自然界)にある象徴ということを表していて、高等女司祭が天界の存在であることの対比となっています。

She is not Regina coeli, but she is still refugium peccatorum, the fruitful mother of thousands.
彼女は「天界の女王」ではなくて、「罪人(つみびと)の避難所」であり、幾千もの実りをもたらす母である。

 「Regina coeli/天界の女王」は高等女司祭と対応します。一方、「refugium peccatorum/罪人の避難所」すなわち「人間の拠り所」であるのが女帝ということですね。
 現世で生きる罪深き存在である人間にとって、大地母神が最も身近に感じることができる存在ということです。

 また、彼女が聖母マリアのような存在であるなら、身籠っているのは、「人の子イエス・キリスト」に類する存在であると見ることもできます。

There are also certain aspects in which she has been correctly described as desire and the wings thereof, as the woman clothed with the sun, as Gloria Mundi and the veil of the Sanctum Sanctorum; but she is not, I may add, the soul that has attained wings, unless all the symbolism is counted up another and unusual way.
彼女は、欲望とそれの翼、太陽をまとった女性、「世界の栄光」と「至聖所(内陣)」のヴェールとして適切に描かれてきたという疑いのない様相がある。私はそれに加えて、全ての象徴が他の通常ではない解釈をされない限り、彼女は翼を得た魂ではないことを付け加えておきたい。

 「desire and the wings thereof/欲望とそれの翼」とは、人々が願望を託すことのできる存在であるということでしょうか?
 厳しい父親におねだりするよりも、優しい母親におねだりするような感じでしょうかね。

 「the woman clothed with the sun/太陽をまとった女性」というのは、前にも書いているように『新約聖書:黙示録』12:1 の「また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」の部分に相当します。

 あと、「Gloria Mundi/世界の栄光」は、高等女司祭の天界と対比して考えます。

 「Sanctum Sanctorum/至聖所」とは、ユダヤ教の聖堂の中の奥に設けられた場所(内陣:ないじん)です。イコノスタスとよばれる仕切りで区切られ、聖職者かその手伝いをする者しか入ることができない至って聖なる所であり、天の世界や天国を象徴しています。
 『旧約聖書:出エジプト紀』26:33の「その垂れ幕は留め金の下に掛け、その垂れ幕の奥に掟の箱を置く。この垂れ幕はあなたたちに対して聖所と至聖所とを分けるものとなる。」という部分ですね。

 一方、聖堂の中の中央部分は聖所(せいじょ)と呼ばれ、信徒が立つ場所(外陣:げじん)となっています。至聖所が天国を意味するのに対して、聖所は「この世」「地上」を意味します。
 つまり「the veil of the Sanctum Sanctorum/至聖所のヴェール」である彼女は、この世界と天上界の橋渡しをする存在であり、我々にも見える存在であるということですね。

そして、彼女の魂が翼を持っていないというのは、天上界の存在ではなく、この地上の世界に主に存在するということになります。
She is above all things universal fecundity and the outer sense of the Word.
彼女は普遍的な豊かさや、「神の言葉(聖書)」の表面的な意味に関する全ての事柄を超越した存在である。

 つまり、女帝は、現実的、物質的な面の上位にある存在だということですね。

This is obvious, because there is no direct message which has been given to man like that which is borne by woman; but she does not herself carry its interpretation.
これは、女性が人を産んだように、人間へと与えられた直接的なメッセージではないことからも明らかである。つまり、彼女自身がその解釈をもたらすのではない。

 彼女は、我々に対して、明確で分かりやすいメッセージをもたらす存在ではないということであり、その解釈は普通の人にとっては神秘のままであるということですかね。
 まあ、人間と同じ物理界の存在ではなく、その一段上の存在ですから、人間には理解できないのは当然かもしれません。

In another order of ideas, the card of the Empress signifies the door or gate by which an entrance is obtained into this life, as into the Garden of Venus; and then the way which leads out therefrom, into that which is beyond, is the secret known to the High Priestess: it is communicated by her to the elect.
別の解釈では、「女帝」のカードは、現世で手に入れることのできる「ヴィーナスの園」への入り口である扉や門を象徴している。そこから外へ、向こう側へ連れ出す方法は「高等女司祭」が知っている秘密であり、彼女から選ばれた民によって伝えられた。

 ヴィーナス神(Venus)は、ローマ神話の春・花園・豊饒の女神であり、本来は大地母神です。愛の女神は、ヴィーナスと同一視されるギリシャ神話のアフロディテ(Aphrodite)の方の属性です。
いずれにしても、人間が神の世界へと行くには、そう簡単にはいかないということですね。

Most old attributions of this card are completely wrong on the symbolism--as, for example, its identification with the Word, Divine Nature, the Triad, and so forth.
このカードの最も古い特質は…たとえば「神の啓示(the Word)」、「神性(Divine Nature)」、「三位一体(Triad)」などへのその同定については…、あらゆる点で象徴主義において間違っている。

 昔の女帝のカードについて、色々と書かれていたけれど、それらは全部間違いだと言いたいのですかね。


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