ライダーウェイト・タロット解説

I The Magician / 魔術師



クリックで拡大

 では、最初は「1:魔術師」のカードから、ですね。
 ゴールデンドーン系のタロットでは、「0:愚者」をトップに置くことが多いのですが、この本では従来の解釈と同じように、「1:魔術師」をトップに置いています。
 時代的には、「愚者トップ」が見直されている頃ですので、ライダーウェイト版でも、「愚者トップ」を意識してデザインされているようです。このため、「愚者」をトップに置いて使うこともできますし、MAでは実際に「愚者トップ」で使っています。

A youthful figure in the robe of a magician, having the countenance of divine Apollo, with smile of confidence and shining eyes.
ローブ(聖衣)をまとった若い魔術師の姿。アポロ神の表情で自信に満ちて微笑み、眼は輝いている。

 いきなり「divine Apollo/アポロ神」が出てきますが、なぜ「アポロ神」なのか?
 もちろん理由があります。
 最大の理由は、太陽神だからです。以下、高等女司祭の月神、女帝の地神と続いていますね。

 ちなみに、「アポロ」はギリシャ・ローマ時代を通じて有名かつ有力な神で、太陽を象徴し、美男子で、幸福と創造力を与えてくれる神として崇拝されていました。
 神話でも、あまり浮いた話や殺伐とした話もなく、好青年を演じています。
 占いの世界だと、神託で有名な「デルフォイのアポロ神殿」というのもありますね。
 アポロ神って、人気があり、かつ神秘的な存在なのです。


クリックで拡大

バチカン博物館のベルヴェデーレのアポロン像

Above his head is the mysterious sign of the Holy Spirit, the sign of life, like an endless cord, forming the figure 8 in a horizontal position ∞.
彼の頭上には聖霊の神秘的な印、生命の印があり、それは数字の8の字を横にした「無限大」∞の記号のようでもある。

 「Holy Spirit」を、キリスト教用語の「聖霊」と訳しております。これは「三位一体」の「聖霊」のことです。日本的に言えば、「神様」そのものですね。

About his waist is a serpent-cincture, the serpent appearing to devour its own tail.
彼の腰にある蛇の姿をした聖帯は、自分の尾を食っている。

 英語の「蛇」には、serpent と snake があります。意味的には、「serpent」の方が大きくて神聖で、「snake」の方は、小さくて邪悪のイメージがあります。
 ところで、『旧約聖書:創世記』3:1他に出てくる蛇は、英語の聖書では serpent と書かれたものもありますし、snake となっているものもあります。ちなみに、この『旧約聖書:創世記』に出てくる蛇も知恵者でした。でも、この蛇も、別に悪いことはやっていないと思うんだけどなぁ。

 なお、「cincture/聖帯」 というのは、キリスト教の祭服であるアルバ(長白衣)を結ぶ紐帯のことで、日本ではチングルムと呼ばれています。

This is familiar to most as a conventional symbol of eternity, but here it indicates more especially the eternity of attainment in the spirit.
これはよく知られた伝統的な、永遠のシンボルであるが、ここでは特に、霊魂の達成が永遠であることを示している。

 自分の尻尾を食って円形になっている蛇のシンボルは、「ウロボロスの蛇」と呼ばれていて、永劫回帰、無限、永遠を表しており、オカルトの世界では非常に有名なものですね。
 ここでは、人の魂の輪廻について語っているようです。魂は、肉体の生死を超えて、永遠に進化を繰り返す、という感じでしょうか。

In the Magician's right hand is a wand raised towards heaven, while the left hand is pointing to the earth.
魔術師の右手にある聖杖は天に揚げられており、一方、左手は地を指差している。

 ここでの「wand/聖杖」は、小アルカナの「棒」ではではなく、天からの力を引き降ろすための「魔法の杖」です。
 この魔術師のポーズは、錬金術の「ヘルメスのエメラルド・タブレット」で有名な「上の如く、下も然り」、もしくは仏教での仏陀の「天上天下唯我独尊」というものを連想させますね。

This dual sign is known in very high grades of the Instituted Mysteries; it shews the descent of grace, virtue and light, drawn from things above and derived to things below.
このペアになった象徴は、神秘主義団体での高位の人々に知られている。それは、恩恵・徳・光を上なるものから下なるものへと引きおろしていることを示している。

 そういえば、某カルト教団の首謀者も、そんなポーズを取っていたような気が・・・。
 それはともかく、このポーズは、天上の神の力を、地上に引き降ろすという意味が込められているのです。

The suggestion throughout is therefore the possession and communication of the Powers and Gifts of the Spirit.
したがって、あらゆる点で聖霊の持つ能力と才能を所有しそれとコンタクトすることを示唆している。

 さらに言うと、このポーズを取ることにより、神と同等になれるということですかね。
 ちょっと言いすぎ・・・かな。> ウェイトさん

On the table in front of the Magician are the symbols of the four Tarot suits, signifying the elements of natural life, which lie like counters before the adept, and he adapts them as he wills.
魔術師の前のテーブルの上には、自然界の四元素の象徴であるタロットの4つのスートのシンボルがあり、それらは熟練者の前ではカウンター(数取り)のように並べられている。そして、彼はそれらを自分の意志のままに応用する。

 「counters/カウンター(数取り)」というのは、ゲームで使われる「得点を表すコイン」のことで、賭けのチップやマージャンの点棒みたいなものです。
 四大元素も、魔術の熟練者(アデプト)の前では、単なる賭けチップのようなものにすぎない、ということですかね。

 さて、魔術と奇術の違いについて。
 それは「天の力と意志により内的な変化をもたらすもの」と「人の力とネタにより外見の変化をもたらすもの」です。
 ライダーウェイト版以前は、このカードは「Juggler/奇術師」と呼ばれることもありましたが、ここでは近代魔術における「Magician/魔術師」そのものの姿となっています。

Beneath are roses and lilies, the flos campi and lilium convallium, changed into garden flowers, to shew the culture of aspiration.
下にはバラとユリ、「シャロンの野バラ」と「谷のユリ」が、庭の花に変化している。これは栽培による品種改良(強い願望を洗練し、高い目的へと向かうこと)を示している。

 「flos campi/シャロンの野バラ(野花)」と「lilium convallium/谷のユリ」は、『旧約聖書:雅歌』2:1に出てきています。
   ・ラテン語 Ego flos campi et lilium convallium.
   ・英語  I am a flower of Sharon, a lily of the valley.
 さて、この聖書に出てくる「シャロンの野花」の見解は色々あって、バチカンの公式見解は「スイセン」、新改訳聖書(日本聖書刊行会)では「サフラン」、新共同約聖書(日本聖書協会)では「ばら」と解釈されています。
 野バラとすれば、これは一重の花びらを持つ可憐な野花で、庭に咲く色濃い八重咲きの栽培種バラとは、ずいぶんと印象が違います。
 ちなみに、「谷のユリ」は、野生の「スズラン」のことと考えられています。


クリックで拡大

「シャロンの野花」(日本名:むくげ)


クリックで拡大

「谷のユリ」(日本名:スズラン)

 ここでは、「野に咲く清楚な花」という原料を、意志の力により、「庭に咲く大輪の花」という成果に改良していくことを示しています。

This card signifies the divine motive in man, reflecting God, the will in the liberation of its union with that which is above.
このカードは、神の反映である人間の中にある神聖なる原動力、つまり天上なるものと合一しようとする自由意志を表している。

 「man, reflecting God/神の反映である人間」、これは『旧約聖書:創世記』1:26に示されています。人の姿形は、神と同じなんですね。

 「divine motive in man/人間の神聖なる原動力」というのは、人が生まれながらにして目指すもの、魂が人の姿として生きる意義のことですね。これは、人間性善説とも言えるのかも。

 さて、ここで出てくる「自由意志/liberation」の訳し方が、ここの翻訳の最大の難所となっています。
 「天上なるものとの合一からの"解放"の意志」のようにも見えるし、「天上なるものとの合一を"働かせる"意志」にも解釈できるのですが、ここでは「will in the liberation」を「数々のしがらみから解き放たれた状態での根源的な意志」の意味で解釈してみました。文脈を考えると、これが一番しっくりくるように思います。

It is also the unity of individual being on all planes, and in a very high sense it is thought, in the fixation thereof.
それはまた、非常に高次元の意味で、個々の人間の存在は全ての面で合一されていると考えられており、それゆえ固定されている。

 「全ての面で」というのは、物質世界や精神世界を含む高い次元の話です。
 そして、それらが非常な高次元では「天の力の下に統一される」。
 オカルトの世界は、「ひも理論(現代物理学・宇宙論の話)」に通じる・・・ですな。

 さて、in the fixation の部分ですが、どうにもよくわかりません。
 「人間の存在が固定される」なのか、「全ての面での合一が固定される」のか、「固定された考えられ方」なのか・・・。
 まあ、文脈上、この部分は大した意味はなさそうにも思えるけど。

With further reference to what I have called the sign of life and its connexion with the number 8, it may be remembered that Christian Gnosticism speaks of rebirth in Christ as a change "unto the Ogdoad."
さらに、私が生命の印と呼び、数字の8とに関連するものに関して述べるならば、それはキリスト教グノーシス主義者の言うところの「キリストの復活は『8に』通じる」というものを思い起こさせるであろう。

 イエス・キリストの復活は死後3日目ですが、『新約聖書:ヨハネ福音書』20:26で、復活から8日目に復活を信じない使徒トマスの前に復活したイエスが現れたことから、キリスト教では8が復活の象徴数となっています。

The mystic number is termed Jerusalem above, the Land flowing with Milk and Honey, the Holy Spirit and the Land of the Lord.
その神秘の数字は、乳と蜜の流れる地、聖霊と主の地、天上のエルサレムと呼ばれている。

 「Jerusalem above/天上のエルサレム」は、『旧約聖書:エゼキエル書』や『新約聖書:ヨハネの黙示録』などに出てくる「神の住まう天界」のことです。
 8という数字は、古代ギリシャの数秘術によると、楽園、もしくは神聖なる母を表す数字とされていましたので、このような類推がなされたと思われます。

According to Martinism, 8 is the number of Christ.
マルティニズムによると、8という数字は、キリスト(救世主)の数字ということだ。

 マルティニズムは18世紀にフランスで起こった神秘主義の一つで、フランスの哲学者 Louis-Claude Saint-Martin(1743-1803)に由来するものです。
 ちなみに、1884年には、パピュス氏が、この流れを汲む神秘主義団体である「マルティニスト会/Martinist Order」を設立しています。

 ウェイト氏は、1901年に「The life of Louis Claude de Saint-Martin, the unknown philosopher, and the substance of his transcendental doctrine」というマルティニズムに関する本を書いています。
 その本には、1から10までの数字の神秘的意味を解説する章があり、そこに「キリストの数字は8である」と書かれていますので、興味のある人は読んでみてください。 


BACK HOME NEXT
inserted by FC2 system