ライダーウェイト・タロット解説

PART I
The Veil and its Symbols
ヴェールとその象徴
§1 INTRODUCTORY AND GENERAL
紹介と概要


 ここは、Part1の導入部となります。
 いきなり、ウェイト氏の皮肉っぽい文章が炸裂しますので、しっかりと付いてきてください。(笑)

THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad"; the pathology of the very plain man says that genius is mad; and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses, the sovereign reason takes the part of a moderator and does what it can.
詩人の病理学は、「不信心な天文学者は気が狂っている」と言う。全く平凡な人の病理学は、天才は狂気であると言う。また、それらは1万の類似した過剰を表わすこれらの極端の間で、最上の理性は、調停者の役割を演じ、それができることを行う。

 「pathology/病理学」というのは、科学的な実験や分析を通じて、病気の原因や症状を研究したり診断を行う、かなり専門的な学問です。
 詩人というのは、科学の知識が欠如しており、天上は「恐れ多い神が住まう世界であり、人間が侵してはならない」と考えます。
 一方、天文学者は、天上は「未知のものや不思議な現象に満ちた世界であり、探求せずにはいられない」と考えます。
 このため、病理学者気取りの詩人がいれば、天文学者の研究のことを理解できず、「不信心」であり「気が狂っている」ような行動をしていると考えてしまいます。
 同様に、平凡な人は、専門的な知識が欠如しており、天才の人が思いつくようなことは全く理解できないので、「狂っている」としか表現できません。
 このように、お互いに逆の立場にあり、理解できないもの同士が対立することは、数多くあります。
 ウェイト氏は、このような場合は、何もせずに放り出しておくよりは、理性の力で、お互いの調停を行うように努力することが大事だよ、と言いたいわけです。

 ただ、ウェイト氏は、どちらかと言うと「狂気」の側の人間に近いので、こういった詩人や平凡な人という「不勉強の人」をどう納得させるかを、きっと色々と画策しているのでしょう。

I do not think that there is a pathology of the occult dedications, but about their extravagances no one can question, and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.
私は、神秘学への献身の病理学があるとは思わない。しかし、彼らの無節制については、誰も質問することができないし、そして、それは彼らに関係する調停者としての役割をすることに感謝するほど難しくないことはない。

 「occult dedication/神秘学への献身」というのは、いわゆる熱心なオカルティストという意味ですね。
 オカルティストは、一般の人は理解できない世界で、わけわからないことを言っているのが常です。
 このため、理解しようとして質問したり疑問を投げかけたりしても、やっぱり何言ってるかわかりませんし、一般人とオカルティストの仲介をしようとしても、どちらからも理解してもらえず、感謝されることもほとんど無いでしょう。

 つまり、オカルティストは、「病理学」というものとは相容れないほど、わけわからないものであり、それを一般の人に理解させようとする調停行為もあまり意味の無いものだということですかね。

 ちなみに、A=1,B=2, 〜 Z=26 というようにアルファベットに数値を割り当てて足し算すると、
 ・TAROT = 20+1+18+15+20 = 74
 ・OCCULT = 15+3+3+21+12+20 = 74
 というように、同じ値になります。単なるネタですが。(笑)

Moreover, the pathology, if it existed, would probably be an empiricism rather than a diagnosis, and would offer no criterion.
さらに、病理学は、それが存在するとしても、おそらくは診断というよりむしろ経験主義療法になり、基準を提示しないだろう。

 「diagnosis/診断」は、おそらく近代医学における科学的分析を行う診断法で、一方「empiricism/経験主義療法」というのは、非科学的な経験に頼る診断法と思われます。
 オカルティストの病理学では、非科学的な経験論に頼るしかないので、明確な判断基準というものは存在せず、診断者の主観に頼るしかありません。
 つまり、病理学とは言えないほど、変質したものになってしまうということですね。

Now, occultism is not like mystic faculty, and it very seldom works in harmony either with business aptitude in the things of ordinary life or with a knowledge of the canons of evidence in its own sphere.
さて、神秘学は神秘的な能力と同じものではない。そして、それ(神秘学)は、通常の世間のものの中での実務上の適性を備えた調和、あるいはそれ自身の領域の中での証拠の規準の知識を備えた調和として、働くことはほとんどない。

 神秘学と神秘的能力とは、似て非なるものということです。
 カタカナ的に言うと、「オカルト」と「ミステリー」とは違うということですね。
 日本では、そもそも学問的な「occultism/神秘学」が一般的ではないので、割と混用されているようにも思います。

 そして、オカルトという学問は、このリアル世界では、ほとんど役には立たないものと断言しています。
 確かにその通りですけどね。(笑)
 でも、別な方法でオカルトを金に変えている人もいるわけですが、それはまたそれで別の話になります。

 ところで、「mystic faculty/神秘的能力」って、お金になるのでしょうか?
 結論から言うと、お金になることもあります。
 エンターティメント系占い師はともかくとして、ある程度の能力のある占い師は、プロとしてそれなりに生活できていますし、テレビなんかにも、ミステリー系のネタって、結構多いですからね。
 ミステリーは、学問というよりも娯楽に近いものとして、一般には認知されているようです。
 タロットについても、学問としてのオカルトでは金になりませんが、娯楽としては結構儲かってるみたいなところはありますね。

I know that for the high art of ribaldry there are few things more dull than the criticism which maintains that a thesis is untrue, and cannot understand that it is decorative.
私は、下劣な高等技術という点では、論題が真実でないと主張し、それが装飾的であると理解できない文芸批評より退屈なものはほとんどないことを知っている。

 「criticism/文芸批評」に関するネタは、前のPreface(序文)の章でも出てきましたね。
 ウェイト氏は、こういう中身の無い、うわべの言葉だけの装飾的な議論というものは、嫌いなようです。
 まあ、そういう批評をする人って、自分では何もしないし、出来ないし、余計な口出しをして他人の足を引っ張って、自己満足するタイプが多いですからね。
 「文句あるなら、自分でやらんかい!」などと言うと、また色々と言われて邪魔されるので、基本は放置するようにしています。(笑)

I know also that after long dealing with doubtful doctrine or with difficult research it is always refreshing, in the domain of this art, to meet with what is obviously of fraud or at least of complete unreason.
私はまた、疑わしい教義に長く関わったり、あるいは常に新しくなっている困難な調査を長く扱ってきた後で、この技術の分野においては、それは明らかな詐欺か、少なくとも完全な不合理であるものに遭遇するということを知っている。

 「doubtful doctrine/疑わしい教義」というのは、オカルトに関する教義、主義、理論などを指しています。
 「difficult research/困難な調査」というのは、おそらくタロットカードに関する理論を指しています。後の歴史に関する章にもありますが、ウェイト氏の研究していた時期というのは、色々な人が色々と新しい説を発表していて、タロット史上、最も劇的な変化が現れた時期でもありました。
 「domain of this art/この技術の分野」というのは、タロットやタロット占いに関する分野のことですね。

 とまあ、ヒドい言い様ですけど、オカルトや占いに関係しているタロットの分野って、しょせん、そんなものだと思いますよ。
 そういう糞ったれのゴミだらけの世界で、一筋の真実の光を追い求めるのって、ウェイト氏もかなりのヲタク入ってますよね。(笑)

But the aspects of history, as seen through the lens of occultism, are not as a rule decorative, and have few gifts of refreshment to heal the lacerations which they inflict on the logical understanding.
しかし、歴史の面では、神秘学のレンズを通して見られるように、概して装飾的ではなく、それらが論理的な理解に与える裂傷を治すための元気回復の贈り物をほとんど持っていない。

 歴史的に見ても、オカルティストが言っているほどには装飾的(=嘘八百の並べ立て)ではないにしろ、論理的にきちんと説明のつくようなものではないし、結局のところ、歴史的な資料や意見には、期待しているほどには、大した中身は無いよ、ということですね。

It almost requires a Frater Sapiens dominabitur astris in the Fellowship of the Rosy Cross to have the patience which is not lost amidst clouds of folly when the consideration of the Tarot is undertaken in accordance with the higher law of symbolism.
タロットの考察が象徴主義のより高い法則に従って試みられる場合には、愚行の雲の中でも負けない忍耐力を持つことを、薔薇十字団のサピエンス・ドミナンス・アストリス兄弟に要求することに匹敵する。

 「Fellowship of the Rosy Cross/薔薇十字友愛団」という名前は、ウェイト氏が1915年に設立した魔術団が有名ですが、この本が発行された時にはまだ存在していませんでしたので、ここでは普通に「薔薇十字の愛好団体」という感じですかね。
 あと、「Frater Sapiens dominabitur astris/サピエンス・ドミナンス・アストリス兄弟」は、「賢者は星々を支配するであろう」とかいう意味の魔法名となります。
 この名前だけでは、どの人物かは特定できませんが、ゴールデン・ドーンの設立に関係した暗号文書の中に出てくる「秘密の首領」と同じ名前ですので、おそらくそれをネタにしているのではないかと推測します。

 つまり、真のタロットの考察というのは、完璧な能力を持つ超人であっても、さらなる能力を発揮しないと達成できないような難業である、と言いたいわけですよ。
 これは暗に、オレはそういう困難な作業をやり遂げたという、ウェイト氏の自慢でもあるわけですが。(笑)

 とりあえず、回りくどくて皮肉っぽい前置きの文章はここまでで、ここからが本題となります。
 まあ以降も、回りくどくて皮肉っぽい文章なのですが。(笑)

The true Tarot is symbolism; it speaks no other language and offers no other signs.
本物のタロットというのは象徴主義である。それは他の言語を話さず、他の記号を提供しない。

 「symbolism/象徴主義」というのは、文字でなくて絵で書かれているという意味ではありません。
 絵(Symbol)であって絵(picture or painting)ではない、かといって文字(language or letter)でも記号(sign)ないというように、一定の法則には縛られず、直観や感覚を頼りに暗示を読み解いていく、絵による暗号体系みたいな感じの芸術的な表現技法です。
 つまり、タロットというのは、一定の解釈というものは存在せず、読み手のレベルに応じて、様々に解釈をすることが可能という、実にやっかいなシロモノだということです。
 そして、今までの占い本のように、大アルカナの意味を文字で書いても、それはタロットの本来の意味ではないということでもあります。

 結局のところ、こういう根本的問題があるからこそ、ウェイト氏は大アルカナの意味を本文であるPartUに記述することを避け、付録的なPartVに過去の解釈を参考として添付したということなんですよね。

Given the inward meaning of its emblems, they do become a kind of alphabet which is capable of indefinite combinations and makes true sense in all.
その寓意画の内部的な意味を与えられ、それら(個々の寓意画)は無限の組み合わせが可能な一種のアルファベットとなり、全体で本当の意味を形成する。

 「inward meaning/内部的な意味」というのは、隠された意味とか精神的・霊的な意味ということですね。
 タロットの象徴が、文字のようで文字では無いのは、この内部的な意味を文字では表すことが出来ないのも一つの理由です。
 で、そういう不可思議なものの無限の組み合わせで成り立つタロットですから、その意味を簡単な文字の羅列で表すことは不可能ということです。

On the highest plane it offers a key to the Mysteries, in a manner which is not arbitrary and has not been read in,
最も高い次元においては、恣意的でもなく読み取られてもいない方法で、それは神秘を解く鍵を提供する。

 ここでの「plane/次元(面)」というのは、いわゆる天上界、神界、精神界、霊界、人間界、物理界とかいうものです。
 最も高いところは、天上界とか神界、あるいはもっと上の世界ですかね。

 「not arbitrary/恣意的でない」というのは、意識的に意味付けするのではないということであり、「has not been read in/読み取られてもいない」というのは、過去、この解読に成功した者はいないということなのでしょう。
 ウェイト氏って、やっぱりオレが一番なんですよね。
 でも、たとえ解読できたとしても、それを他人にわかるように文字に書くことは、この結論からしても不可能なことなのでした。(笑)

 なお、この本のタイトルにある、「key to the Tarot/タロットを解く鍵」は、「key to the Mysteries/神秘を解く鍵」と同じ表現です。
 おそらく、タロットというものは神秘を解く鍵そのものである、というのが、ウェイト氏の考えなのでしょうね。

But the wrong symbolical stories have been told concerning it, and the wrong history has been given in every published work which so far has dealt with the subject.
しかし、間違った象徴的な物語が、それ(タロット)に関して伝えられており、間違った歴史が、(タロットという)主題を扱ってきた、今までのところ発表された作品全てに与えられてきた。

 いつものように、ウェイト氏は、過去のものを全否定しています。

It has been intimated by two or three writers that, at least in respect of the meanings, this is unavoidably the case, because few are acquainted with them, while these few hold by transmission under pledges and cannot betray their trust.
2人あるいは3人の著述家によって、曲がりなりにも一応の意味に関しては公表されてはいるが、これはやむを得ない状況である。というのは、それについて知識のある少数の人がいる一方で、これらの少数の人は誓約のもとに伝達されて保持されており、彼らの信頼を裏切ることはできないからである。

 タロットに関する本は、当時もいくつか出版されており、カードの意味についても色々と提示されてはいるのですが、「タロットの本当の意味」に関する情報は、ほとんど公開されていませんでした。それは神秘主義団体の内部において、ごく一部の者だけに伝えられ、その中で厳重に管理されて外部には公言してはならない「秘密の資産」だからです。
 もちろん、ゴールデン・ドーンの内部にも、そういう「秘密の資産」みたいなものが存在していました。
 そして、この「秘密の知的資産」が一般公開されてしまうと、それはもう情報=商品としての価値がなくなってしまい、団体の維持管理は金銭的にも人間関係的にも困難になってしまいます。
 だからこそ、「仕事上の秘密を漏らさない」ということが、いかなる団体でも必要になるわけです、って何の話だ?

 でもまあ、秘密にしないと価値を持たない「秘伝」というものは、確かにあります。
 隠れ家の隠し味のレシピみたいなもので、一般家庭で同じものを作っても、全くおいしく出来ないんですよね。(笑)

The suggestion is fantastic on the surface for there seems a certain anti-climax in the proposition that a particular interpretation of fortune-telling--l'art de tirer les cartes--can be reserved for Sons of the Doctrine.
暗示は、占い(カード占いの技術)の特定の解釈が、教義の息子のために確保されうるという提案の中で、ある反対の極点であるように見えるために、表面的には空想的なものである。

 「fantastic/空想的な」というのは、ここでは「根拠の無い非現実的なもの」という悪い意味です。
 なお、「l'art de tirer les cartes/カード占いの技術」はフランス語ですが、フランスやイタリアではタロット占いが繁盛していて、色々なタロットカードが発行されていました。
 「Sons of the Doctrine/教義の息子」というのは、大アルカナを主体とするタロットの神秘的教義という母から生まれた俗物の息子たち、といった感じですかね。
 タロットにとっては、神秘主義をベースとする象徴主義を一方の極点とすると、占いというのは、もう一方の極点に位置すると考えているようです。
 で、そういう「低俗の息子の占い」にも適用できるように、「母の持つ真の意味」が歪曲されていると言いたいわけです。
 でもまあ、俗物でもいいから養ってもらわないと、神聖なる母も生き残れないわけですので、それはそれでいい家族なのではないかと。
 つーか、ウェイト氏って、俗物的な占い師はマジで嫌いなんでしょうね。(笑)

 とりあえず、今までにも、少数の人がタロットの真の意味についての暗示を書いているけれど、それは商業的な占いの影響を受け、それを排除しないように遠慮して書かれているよ、ということですかね。

The fact remains, notwithstanding, that a Secret Tradition exists regarding the Tarot, and as there is always the possibility that some minor arcana of the Mysteries may be made public with a flourish of trumpets, it will be as well to go before the event and to warn those who are curious in such matters that any revelation will contain only a third part of the earth and sea and a third part of the stars of heaven in respect of the symbolism.
それにもかかわらず、事実として残るのは、秘密の伝統がタロットに関して存在するということである。そして神秘のいくつかの小さな秘密が、派手なトランペットのファンファーレと共に公表される可能性が常にあるので、そのようなイベントに先立って、そのような事柄に興味を持つ人々に対して、どんな暴露であっても、象徴主義に関する大地と海の3分の1、天の星の3分の1しか含まないだろうと警告するのは悪いことではない。

 「revelation/暴露」というのは、お告げによりもたらされた意外な新事実という意味もあり、聖書では「Revelation/黙示録」と訳され、「trumpets/トランペット」や「a third part of/3分の1」などは、『新約聖書:ヨハネ黙示録』8:6〜12をネタにしています。
 参考までに引用しますと、『ヨハネ黙示録』8:7(英語はKing James Version参照)では、「The first angel sounded, and there followed hail and fire mingled with blood, and they were cast upon the earth: and the third part of trees was burnt up, and all green grass was burnt up. /第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。」というもので、天使のラッパというよりも、厄災をもたらすラッパなんですよね。

 とりあえずここでは、タロットには確かに秘密の伝統というものが存在するけれど、象徴主義に基づかない解釈なんて、価値は半分以下でしかないよ、と言いたいのでしょう。

This is for the simple reason that neither in root-matter nor in development has more been put into writing, so that much will remain to be said after any pretended unveiling.
これは、根本的な事柄においても開発段階のものにおいても、それ以上書くことが無い、という単純な理由のためである。だから、何らかの偽りのベールを脱いだ後には、語られるものが多く残っているであろう。

 象徴主義に基づかなければ、もうこれ以上の秘密を探ることは出来ないということであり、象徴主義によってのみ、これ以上の秘密を知ることが出来るということです。
 とはいえ、象徴主義を採用したところで、それをきちんとした文章にすることは出来ない世界でもあるわけですけどね。
 結局のところ、タロットの意味についての文章化に完璧を求めることは、無理ということですよ。(開き直りっ!)

 ということで、ここでこんな駄文を読んでいるアナタ!
 ただ文章を読んでいるだけでは、タロットの神秘については何も知ることは出来ませんよ!(笑)

The guardians of certain temples of initiation who keep watch over mysteries of this order have therefore no cause for alarm.
教団の神秘を見守り続け、儀式を取り行うある神殿の守護者たちは、それゆえに、警戒する理由を持っていない。

 「initiation/儀式」というのは、魔術団体においては入会儀式を指すことが多く、そこで正式に団体に加入した者には、その団体に伝わる隠された奥義というものを伝授されます。
 そして、真の奥義は、それを理解でき実践できる者に対してのみ、口伝もしくは「先輩の術を見て感じて習って体で覚える」形式で伝えられ、泥棒が狙う「秘伝の巻物」に記されたものは偽りの奥義である、というのはよくあるネタですが、実際にそういうものはあります。
 奥義に限らず、マニュアル化できない仕事というものは、いくらでもありますからね。
 マニュアル化できないものが出来るようになって、初めて「adept/達人」と呼ばれることが出来るわけですよ。

 結果的に、奥義そのものは、決して文章化できないので、いくら「○○の秘密、全部教えます」的ないかがわしい暴露本が出版されたとしても、うわべだけでしかない(そもそも奥義を一般人が理解できるはずもない)ので、放置するに限るということですよね。

 ただ、中には「いかがわしい暴露本」程度の似非教団も存在していますので、所属する団体はきちんと選ばないと、人生破滅します。(苦笑)

In my preface to The Tarot of the Bohemians, which, rather by an accident of things, has recently come to be re-issued after a long period, I have said what was then possible or seemed most necessary.
「ボヘミアンのタロット」は、まあある事情の事故のため、長い期間の後に最近になって再発行されるようになったが、その序文において私は、その時何が可能だったか、または何が最も必要だと思われたかについて、述べた。

 『The Tarot of the Bohemians/ボヘミアンのタロット』は、パピュス氏が1889年にフランス語で発行したタロットの解説本で、その英訳本(訳者はA. P. Morton)の第2版が1910年頃にライダー社から発行されたのですが、その序文をウェイト氏が執筆し、改訂作業にも関わっていますので、その宣伝のようですね。
 単なる翻訳版の序文なのに、14ページもある大作になっていますので、興味あるなら読んでみてくれよ、と言いたいようです。

The present work is designed more especially--as I have intimated--to introduce a rectified set of the cards themselves and to tell the unadorned truth concerning them, so far as this is possible in the outer circles.
現在の仕事は、さらにとりわけ…私が暗示していたように…、カードの修正されたセットを彼ら自身に紹介することと、それらに関する装飾のない真実を伝えることを、団体の外部においてできる限りのことが、計画されている。

 「outer circles/団体の外部」というのは、ウェイト氏は当時いくつかのオカルト的な秘密団体に属していましたので、その団体の持つ知的資産=秘密事項については公表してはならないという誓約をしていたはずです。
 このため、公表しても差し支えない範囲のものと、自らの手で調べたネタを基にして、新しいカードをデザインし、この本を書いたということです。
 それに、タロットの神秘に関するネタの多くを提供していたゴールデン・ドーンは、この本が出版された時期は既に壊滅状態であったので、あまり遠慮することも無かったのではないかと思われます。

 なお、文中の「themselves/彼ら自身」というのが何を指すのか、いまいち不明です。
 直前の「cards」の可能性が高いのですが、なんか良くわかりません。

As regards the sequence of greater symbols, their ultimate and highest meaning lies deeper than the common language of picture or hieroglyph.
より偉大なる象徴の系列という点では、それらの最終で最高の意味が、絵や象形文字の一般的な言語よりも深く広がっている。

 「sequence of greater symbols/より偉大なる象徴の系列」っていうのは、大アルカナの一枚一枚と、それら22枚の配列に関する漠然とした表現です。
 こういったタロットのような象徴の配列体系を、きちんと言葉で表現することは難しいというか不可能だということですよね。

This will be understood by those who have received some part of the Secret Tradition.
これは、秘密の伝統のいくつかの部分を授かった人により理解されるだろう。

 オカルトって、基本的には、仲間内だけでネタが理解できればいいんです。こういうネタ的なものは全ての人に理解してもらうことは不可能ですので、こういうふうに割り切ることも必要なんですよ。

 え、バカなこと言わずに、素人でもわかるようにきちんと言葉で説明しろ、ですって?
 そういう人は、もう少しオトナになってから、来てください。
 (分からないのに分かったフリとか、悪いことを見ても見ぬフリができるようになると、オトナだねぇと言われます…)

As regards the verbal meanings allocated here to the more important Trump Cards, they are designed to set aside the follies and impostures of past attributions, to put those who have the gift of insight on the right track, and to take care, within the limits of my possibilities, that they are the truth so far as they go.
より重要な切り札に対して、ここで割り当てられた言葉による意味については、それら(切り札の意味)は、過去に帰属する愚行と詐欺を除外し、洞察する特別の能力を持つ人を正しい進路に向け、そして、私の可能性の範囲内で、それらが行える限り真実であることに注意することが計画されている。

 「Trump Cards/切り札」というのは、大アルカナのことを指します。
 「gift of insight/洞察する特別の能力」というのは、隠された象徴の意味を見抜くことの出来る、神から選ばれた人という感じの意味です。

 ただし、大アルカナの言葉による意味というのは、この本のPartUの本文中には示されず、描かれた象徴の説明と、意味に関する暗示的な説明が主体になっています。
 これは、ダイレクトに意味を言葉に翻訳すると、洞察する特別の能力を持たない人を間違った進路に向けてしまうことが、ままあるからなんです。
 「言葉による意味だけを記憶して占い遊びをする」ことは、タロットの本質を知らないままでいるということになりますので、ウェイト氏は本文中には、あえて意味を書いていないのだと思われます。
 結果として、多くの占い師は、このウェイト氏の書いた本を参考にせず、大アルカナの意味が明記された素人向けの占い手引書に頼ってしまうということになっています。
 とはいえ、ほとんどの人は「洞察する特別の能力を持たない」ので、これはこれで、しょうがないことなんですけどね。

It is regrettable in several respects that I must confess to certain reservations, but there is a question of honour at issue.
私は、ある程度の保留を告白しなければならないことは、いくつかの点で遺憾ではあるが、そこには未解決の名誉の問題がある。

 もっと言いたいことや、書きたいネタはたくさん持っているけれども、色々と世間のしがらみがあって、言えないということですよね。
 この後の詳細は、その手の魔術団に入ってから、よく知ってる人に聞いてください、ということになるのでしょう。

Furthermore, between the follies on the one side of those who know nothing of the tradition, yet are in their own opinion the exponents of something called occult science and philosophy, and on the other side between the make-believe of a few writers who have received part of the tradition and think that it constitutes a legal title to scatter dust in the eyes of the world without, I feel that the time has come to say what it is possible to say, so that the effect of current charlatanism and unintelligence may be reduced to a minimum.
さらに、伝統については何も知らず、まだ彼ら自身の意見でしかない神秘学や哲学とか呼ばれているものの解説者どもの愚行などがある一方で、他方では、伝統の一部を受け取り、外部の世界の目の中にほこりをまき散らすための正当な資格を構成すると考える少数の著述家の見せかけなどもあって、私は、現在のイカサマと無知の影響を最小に減じさせることができると言うことが可能であることを言う時が来たと感じている。

 なんかごちゃごちゃして、ややこしくて、回りくどくて、とりとめの無い文章ですが、2箇所の「between」というのは、そういうゴチャゴチャしてややこしい問題に取り囲まれて、世間が右往左往しているという状況を表しています。
 つまり、自称オカルト科学者とか、自称オカルト哲学者の連中が、何も知らずに自分勝手な理屈をほざきまくっている上に、秘密のサークルにこっそりと入会して本当の事情を知った上で、その仲間うちの秘密を外部に悟られないようにするために、デッチ上げの怪情報をタレ流すデコイ作家どものおかげで、信頼できる公開情報などは何も無い、わけわかんない状況だったということですかね。
 で、そういう状況が我慢ならないとして、愛と勇気と正義に目覚めて腐敗したオカルト界を改革しようと立ち上がったのが、ウェイト氏ということなのでした。(笑)

We shall see in due course that the history of Tarot cards is largely of a negative kind, and that, when the issues are cleared by the dissipation of reveries and gratuitous speculations expressed in the terms of certitude, there is in fact no history prior to the fourteenth century.
我々は、タロットカードの歴史というものが、どちらか言えば否定的なものが大部分であり、しかも、確信の言葉遣いで表現された、幻想と根拠のない推測の消滅によって、論点が明らかにされる場合、実のところ14世紀に先立つ歴史は無いということを、正当な方向として理解すべきである。

 タロットカードに関しては、信頼できる証拠書類は、14世紀になってから出てきています。
 トランプカードは、14世紀には既に一般的な存在でしたが、タロットは少し遅れて、15世紀になって今の形に近いものが作られるようになったようです。
 現存する最古のタロットであるヴィスコンティ・スフォルツァ版は、1460年ぐらいの作品ではないかと言われていますね。

The deception and self-deception regarding their origin in Egypt, India or China put a lying spirit into the mouths of the first expositors, and the later occult writers have done little more than reproduce the first false testimony in the good faith of an intelligence unawakened to the issues of research.
それらの起源がエジプト、インド、または中国に関係するという偽りと自己欺瞞は、ウソツキの精霊を最初の解説者の口に入れ、そして後のオカルト作家は、調査の問題点に気づかない知性を良く信用して、最初の偽証と大差のないものを複写した。

 まあ、皮肉たっぷりの文章ですよね。
 「testimony/証言」というのは、法廷や神の前で、自らを証明して公言することです。
 「an intelligence unawakened/気づかない知性」とは「その程度の嘘を見抜けない程度の無教養さ」であり、「in the good faith of/良く信用して」というのは、「それが間違っていると疑うことさえしない、無知と怠慢さ」という意味ですよね。

 とはいえ、オカルト作家というのは、今も昔も同じようなものなんですけどね。
 オカルトに限らず、そういう人は、昔からいますし・・・・。

As it so happens, all expositions have worked within a very narrow range, and owe, comparatively speaking, little to the inventive faculty.
そんなことが起きているので、すべての解説者は非常に狭い領域で働いており、比較的に言うと、創造性のある能力の恩恵をほとんど受けていない。

 裏を取る知恵も知識も行動力もなく、いかがわしい連中の書いた文献からコピペするしか能の無い三流作家だらけで、どこかで見たようなガセネタしか載っていないオカルト本が大量生産されるという状況って、今も昔も変わらないような気がしますが。(苦笑)

One brilliant opportunity has at least been missed, for it has not so far occurred to any one that the Tarot might perhaps have done duty and even originated as a secret symbolical language of the Albigensian sects.
1つの輝かしい機会が、少なくとも見落とされていた。というのは、タロットがおそらく、職務を持ち、さらにアルビ派の秘密の象徴的な言語に起源を持つかもしれないということは、誰も今までは思い浮かばなかったからである。

 「duty/職務」というのは、雑務でない、より正式で義務を持ち、意味のある仕事のことです。
 それまでは、タロットはトランプと同じように、博打用とかの遊技目的で考案されたとする説が有力でした。
 タロットを神聖視するウェイト氏にとっては、そういう遊技目的の発祥よりは、神秘主義団体の秘密の任務を帯びて誕生したと考える方を選ぶのは、妥当な線です。
 神秘に満ちた生いたちなのに、途中で長いこと俗世界の路頭に迷い、最後に救世主(←ウェイト氏)が現れて、華々しく復活するというストーリーの方が、おいしいですからね。

 なお、「アルビ派/Albigensian sects」というのは、南フランスにある都市名のアルビ(Albi)に由来する、カタリ派(Cathars)とも呼ばれるキリスト教の異端的宗派であり、禁欲生活を奨励し、堕落した生活を送っている当時の聖職者階級を否定するものでした。12世紀にはかなりの勢力がありましたが、13世紀になって、南フランスを侵略したいフランス王と、世俗に染まったローマ教会の共謀により、異端として迫害され、壊滅させられました。

I commend this suggestion to the lineal descendants in the spirit of Gabriele Rossetti and Eugene Aroux, to Mr. Harold Bayley as another New Light on the Renaissance, and as a taper at least in the darkness which, with great respect, might be serviceable to the zealous and all-searching mind of Mrs. Cooper-Oakley.
私は、この提案を、大きな尊敬をもってクーパー・オークレー夫人の熱心で全てを探る精神に役に立つかもしれない、暗闇の中の少なくとも小さなロウソクのように、もう一つの「ルネッサンスの新しい光」としてハロルド・ベイリー氏へ、ガブリエル・ロセッティ氏およびユージン・アルー氏の精神での直系の子孫として推薦する。

 ガブリエル・ロセッティ氏(Dante Gabriele Rossetti, 1828-1882)は、イギリス出身のイタリア系の画家/学者/詩人で、ダンテの神曲の研究者でした。
 ユージン・アルー氏(1793〜1859)は、フランスの弁護士/作家で、ダンテの神曲がフリーメーソンの儀式やシンボルに関係があると言及しています。
 ダンテ(Dante Alighieri、1265-1321) は、イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの哲学者/政治家/詩人で、代表的な著書である『La Divina Commedia/神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部構成から成る叙事詩です。
 神曲は、他の人からも、カバラやカタリ派にも影響されていると言っています。
 つまり、「lineal descendants in the spirit of Gabriele Rossetti and Eugene Aroux/ガブリエル・ロセッティ氏およびユージン・アルー氏の精神での直系の子孫」というのは、散文形式の叙事詩である神曲の研究と同じように、象徴主義であるタロットを深く追求し研究していくと、様々な神秘が隠されていることを発見できるということですかね。

 ハロルド・ベイリー氏(?-?)は、ウェイト氏と同時代の歴史家/作家で、著書である『New Light on the Renaissance/ルネッサンスの新しい光』は、1909年発行の中世における製紙と印刷についての研究書で、「watermark/透かし」に関する色々な考察があります。ウェイト氏は、この中世の透かしのデザインに興味を持ったようです。

 クーパー・オークレー夫人(Isabel Cooper-Oakley、(1853/4-1914)は、神智学者/作家で、中世の神秘主義やメーソンに関する著作があります。「zealous and all-searching mind/熱心で全てを探る精神」というのは、彼女の神秘主義に関する多くの著作を高く評価しているような感じです。

 とまあ、色々と当時の著名なオカルト系作家の名前が並びますが、ウェイト氏はそういう人達に対して提案できるほどの自信をもって、この考えを読者に提案するというわけです。
 とはいえ現在では、ウェイト氏のこの提案は、単なる可能性の一つとしか見られておりませんが。

Think only what the supposed testimony of watermarks on paper might gain from the Tarot card of the Pope or Hierophant, in connexion with the notion of a secret Albigensian patriarch, of which Mr. Bayley has found in these same watermarks so much material to his purpose.
紙上の透かしの想定された証拠が、教皇や法王のタロットカードから得るかもしれないと考えてみなさい。それ(教皇や法王)は、秘密のアルビ派の族長の概念に関連し、ベイリー氏はこれらと同じ透かしを彼の目的とする多くの資料で見つけている。

 アルビ派は、キリスト教会のような大規模組織を持たず、個人の信仰を主体とした、原理主義的な信仰です。現在のプロテスタントにも似ていますが、もっと急進的なものでした。
 このため、当然ながら当時のキリスト教会からは迫害されましたので、アルビ派の指導者というのは、あまり表には出てきません。

 なお、ベイリー氏とウェイト氏は、何らかの親交があったようで、この本に掲載されていない資料についても、ウェイト氏はカードデザインの参考にした可能性はあります。
 とりあえず、タロットの「法王」のカードに関係した図を参考に出しておきます。


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『ルネッサンスの新しい光』より「法王」の右手に似たもの


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『ルネッサンスの新しい光』より「法王」の鍵に似たもの

Think only for a moment about the card of the High Priestess as representing the Albigensian church itself; and think of the Tower struck by Lightning as typifying the desired destruction of Papal Rome, the city on the seven hills, with the pontiff and his temporal power cast down from the spiritual edifice when it is riven by the wrath of God.
アルビ派の教会それ自体を表しているとして、高等女司祭のカードについて、ほんの少しの間、考えてみなさい。そして、7つの丘の都市であるローマ教皇のローマの望ましい破壊の象徴としての稲妻によって打たれた塔と、(キリスト教会の)祭司長と彼の俗界の権威が、神の激怒によって裂かれる精神的な大建築物(塔)から追い落とされることについて考えてみなさい。

 「Papal Rome/ローマ教皇のローマ」というのは、カトリック教総本山であるローマ教会とローマ教皇のことを指しています。
 ローマは「七つの丘の都市」と呼ばれていますが、この文中での深い意味は不明です。
 あと、「spiritual edifice/精神的な大建築物」というのは、ローマ教会を指しますが、物理的な建築物だけでなく、精神的な組織体系についての意味も含んでいるようです。

 この大組織の腐敗に対抗したのが、個の信仰を重視するアルビ派で、これもありがちな対決の構図ですよね。
 もちろん、ウェイト氏は、アルビ派みたいな秘密組織が大好きですし、大いに肩入れしています。

 で、その腐敗した大組織の象徴というのが、ローマの七つの丘に囲まれた大きな教会=塔ということで、これが雷に打たれて倒壊し、俗悪に染まった教皇と大司教が落下してくるというのが、タロットの「塔」のモチーフということですよね。

 とりあえず、タロットの「高等女司祭」と「塔」のカードに関係した図を参考に出しておきます。


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『ルネッサンスの新しい光』より「高等女司祭」に似たもの


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『ルネッサンスの新しい光』より「塔」に似たもの

The possibilities are so numerous and persuasive that they almost deceive in their expression one of the elect who has invented them.
可能性は、多数であり説得力があるので、それらは、それらの表現において、それらを発明した選ばれた者の1人をほとんど欺している。★

 うーむ、何を言ってるか、よくわかりません。
 色々と証拠がありすぎで、どれが本当なのかが、逆にわからない状態ということなんですかね。

But there is more even than this, though I scarcely dare to cite it.
しかし、これよりさらに多くのものがあるが、だが私はそれを引用する勇気はほとんど無い。

 いつもは自信満々のウェイト氏ですが、これ以上の可能性の言及については、ちょっと及び腰です。
 おそらく、タロットに関わる伝説や推測が色々ありすぎて、限られた紙面では、とても紹介しきれないということなのでしょう。
 結局のところ、タロット誕生に関する真実は、現在においても、まだまだ闇の中のままということですからね。

When the time came for the Tarot cards to be the subject of their first formal explanation, the archaeologist Court de Gebelin reproduced some of their most important emblems, and--if I may so term it--the codex which he used has served--by means of his engraved plates--as a basis of reference for many sets that have been issued subsequently.
タロット・カードが最初の正式な説明の主題になる時が来たとき、考古学者クール・ド・ジェブランはそれらの最も重要な寓意画のいくつかを模写した。そして、彼が用いた…私がそう名付けてよいものであれば…古写本は、…彼の刻まれた版を用いて…その後に発行された多くのセットの参考文献の基礎として貢献している。

 クール・ド・ジェブラン氏(1719-1784)は、フランスのプロテスタントの牧師/オカルト的作家で、フリーメーソンに所属していました。
 彼の著作の『Monde primitif/原始の世界』の第8巻(1781年発行)で、タロットについて考察しており、タロットのエジプト起源説とか、大アルカナとヘブライ文字の関連などのネタは、ここが発祥となっています。
 この巻には、大アルカナ22枚のシンプルな挿絵も添えられています。

 後半の文は、ちょっと遠回しな表現になっていますね。
 「codex/古写本」は、ジェブラン氏の書いた『原始の世界』を指しています。
 「by means of his engraved plates/彼の刻まれた版を用いて」というのは、この本の挿絵部分のことで、本文での文字の印刷に使われる活版技術(凸版)ではなくて、銅板に絵を刻む凹版技術による印刷のことを指しています。
 とりあえず、この本は、タロットに関する初期の学術的文献の基礎的資料として、内容の真偽はともかく、当時も今も重要な位置付けであるということです。

The figures are very primitive and differ as such from the cards of Etteilla, the Marseilles Tarot, and others still current in France.
図は非常に原始的であり、エッティラのカード、マルセイユのタロット、およびフランスにおいて現在流通している他のものとも異なっている。

 ジェブラン氏の『原始の世界』の挿絵は、マルセイユ版に近い、かなりシンプルな構図です。
 「primitive/原始的」という表現は、『Monde primitif/原始の世界』をもじったものですかね。
 「the cards of Etteilla/エッティラのカード」というのは、フランスのオカルト研究者であるエッティラ氏(Etteilla, 1738-1791)が、クール・ド・ジェブラン氏の影響を受けていくつか制作したエジプト風のタロットで、3パターンぐらいあるらしいです。
 ジェブラン氏の生きていた時代は、既にフランスではマルセイユ版が普及していましたので、タロットに似たようなものが乱立していたのでしょうかね。

 ちなみに、この挿絵の中で、最も異なっていると思われるのは、これですかね。


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原始の世界』より「吊られていない男」(笑)

I am not a good judge in such matters, but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cups.
私は、そのような問題での良い鑑定者ではない。しかし、大アルカナの1枚1枚が透かし目的として役立っていたであろうという事実は、私が引用した事例と、杯のエースという1つの最も注目すべき実例により、示されている。

 結局のところ、ウェイト氏は自説に自信満々のようですね。
 全ての謎は解けた! 証拠はこれだ!! っていう感じですね。(笑)


この本の挿絵


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マルセイユ版の杯のエース

I should call it an eucharistic emblem after the manner of a ciborium, but this does not signify at the moment.
私は、聖体器の様式にちなんで、それを聖体拝領の寓意画と呼ぶべきである。しかし今のところ、これは重要ではない。

 「ciborium/聖体器」は、キリスト教の聖餐(せいさん)、聖体拝領の儀式に使われる聖体を入れておく容器のことです。
 聖体は、復活したキリストの体を象徴化したものであり、聖体器は骨壺のように死んだ肉体を保管するものではありません。

 聖体拝領というのは、『新約聖書:マタイ福音書』26:26-28 にある部分を象徴化した儀式です。
 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」」

 で、この杯のエースのデザインが聖体器に似ているから、これを「eucharistic emblem/聖体拝領の象徴」と呼ぶべきだと言っているわけで、ウェイト氏は実際に、「今のところ重要ではない」けれど、後に出てくる小アルカナの杯のエースを、それに近いイメージに改変しています。
 ウェイト氏の興味は、完全に『大アルカナ>>(超えられない壁)>>小アルカナ』なんですよね。(笑)

The point is that Mr. Harold Bayley gives six analogous devices in his New Light on the Renaissance, being watermarks on paper of the seventeenth century, which he claims to be of Albigensian origin and to represent sacramental and Graal emblems.
要点は、17世紀の紙上の透かしで、ハロルド・ベイリー氏が「ルネッサンスの新しい光」の中で、6つの類似した図案を提供しているということである。彼は、それがアルビ派起源のものであり、聖餐と聖杯の象徴を意味していると主張している。

 『ルネッサンスの新しい光』の本には、聖杯の絵は大量にありますが、カップのエースに似たようなものが無くて迷うのですが、とりあえずこれを挙げておきます。


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『ルネッサンスの新しい光』より「杯のエース」に似たもの?

 それにしても、ウェイト氏は、聖杯伝説って好きみたいなんですよね。
 聖杯伝説は、12世紀から物語として存在していますが、ウェイト氏はこれを小アルカナの杯と剣のモチーフに取り入れています。
 十字軍とかも興味があったようなので、騎士に憧れていたのかもしれません。

Had he only heard of the Tarot, had he known that these cards of divination, cards of fortune, cards of all vagrant arts, were perhaps current at the period in the South of France, I think that his enchanting but all too fantastic hypothesis might have dilated still more largely in the atmosphere of his dream.
もし彼がタロットのことを聞いてさえいれば、そして、もし彼が、占いのこれらのカード、運勢のカード、すべての放浪の芸術(技術)のカードが、南フランスにおいてその時代におそらく流行していたことを知っていたならば、私は、彼の魅惑的ではあるが、あまりにも空想的すぎる仮説は、彼の幻想の大気の中で、さらに大きく膨張したかもしれないと思う。

 「Had he」は、条件(if)を表す倒置文ですよね。
 「vagrant arts/放浪の芸術(技術)」とうのは、タロット自体の起源が定まっていないのと、流浪民(ジプシー)がタロットを職業として使っていたということを表現しています。
 「the period in the South of France/南フランスにおけるその時代」というのは、直前の文章にある「17世紀」のことを指していて、当時のフランスでは、多くの新デザインのタロット、いわゆるマルセイユ版タロットがデザインされ発行されていました。ちなみにマルセイユというのは、南フランス最大の都市ですね。

 ハロルド・ベイリー氏が『ルネッサンスの新しい光』の本を書いた時(1909年発行)は、タロットについては、まだあまり知識が無かったようで、この本の文中にはタロットの記述はありません。ウェイト氏は、それがちょっと残念なようですね。

We should no doubt have had a vision of Christian Gnosticism, Manichaeanism, and all that he understands by pure primitive Gospel, shining behind the pictures.
我々は、絵(透かし模様)の後ろで光る、キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が純粋な原始福音書により理解するもの全てについて、洞察力を持っていることを疑うべきではない。

 「Christian Gnosticism/キリスト教グノーシス主義」は、1世紀頃のローマ帝国支配下の地中海世界発祥の、反宇宙的二元論基づく思想、哲学、信仰です。なかなか難解なのですが、神秘主義の基本となる思想の一つですので、興味のある人は、しっかりと把握しておいてください。
 「Manichaeanism/マニ教」は、3世紀のペルシャ発祥の、グノーシス主義に基づいた善悪二元論の宗教で、アルビ派にも影響を与えていました。
 「pure primitive Gospel/純粋な原始福音書」は、おそらく現在の新約聖書にある福音書の起源となるものや、数多くの外典や資料のことで、ウェイト氏の頃は、キリスト教会の締め付けが緩くて、割と聖書やイエスの研究が進んだ時代でもありました。
 古代宗教や思想の研究が進んだおかげで、ゴールデン・ドーンなどのオカルト系も、発達したという面もあるのでしょうね。

 で、ベイリー氏は、こういうグノーシス主義やマニ教や原始キリスト教という、学術的な面からの研究をして、それを本として発表したということですかね。これについては、ウェイト氏も、高く評価しているようです。

I do not look through such glasses, and I can only commend the subject to his attention at a later period; it is mentioned here that I may introduce with an unheard-of wonder the marvels of arbitrary speculation as to the history of the cards.
私は、そのような眼鏡を通して見ない。そして私はただ、後の時代に、彼が注目したものを推薦することができる。カードの歴史について、前例のない驚くべき事で、私が勝手な推測の不思議を紹介して差し支えないことを、ここで言及しておく。

 「such glasses/そのような眼鏡」というのは、ベイリー氏が解釈に使ったグノーシス主義やマニ教や原始キリスト教というものです。
 それに対し、ウェイト氏は別の視点から、透かし模様について、何か言いたいことがあるようです。
 いずれにしろ、このベイリー氏の考察については、ウェイト氏はかなりの興味があるようですね。

 とりあえず、ベイリー氏の話題はここで終わって、以下、本題のタロットの考察に入ります。

With reference to their form and number, it should scarcely be necessary to enumerate them, for they must be almost commonly familiar, but as it is precarious to assume anything, and as there are also other reasons, I will tabulate them briefly as follows:--
それら(タロット)の形式と数に関して、それらを列挙することは、ほとんど必要ではないはずである。というのは、それらは、ほとんど一般によく知られているに違いないからである。しかし、何でも(読者が良く知っているものと)推測するのは心許なく、また他の理由もあるので、私はそれらを、簡潔に以下に一覧にしようと思う。

 まあ、タロットが有名だからといって、この本の読者全員が、タロットについて詳しく知っているということではないですよね。
 とりあえず、みんなが今まで良く知っている「従来のタロット」というものについて、簡単に紹介しておきましょうということです。 

 ということで、もったいぶった文章ですが、以降から、やっと本格的なタロットの話題に入ります。


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